毎日供養や祈願の法要を行なっているその基本は、これまで師匠の下で何年も修行し、大本山で修行してきたことで身についた儀式を知っているからです。多くの修行僧と共に過ごした日々が伝統仏教としての確かな感覚となっています。
私の場合、師匠の寺で修行する期間が何年もあり、それから大本山での修行に向かいました。師匠とは基本的に2人で修行生活していたのですが、地方寺院なので比較的普通の生活をしていたのですが、大本山に行く際には覚悟を決めました。
好きなアーチストのCDを全て捨て、普通の服も捨て、実家に一部の本は置きっぱなしにしていたと思いますが、集めていた音楽の雑誌、手塚治虫の作品集やその他のマンガ等も捨てました。準備は出来た、いざ修行へ!
私は一般家庭から僧侶になったのですが、大本山へ行ってみるとほぼお寺で生まれ育ったお坊さんの卵の集まりでした。お金を隠し持って来ていたり、遊びに行く用の一般的な服を持っていたり、そのような緩い感じも見受けられました。
それでも、新入りが始めに配属される部署は法要の基本を徹底的に学び、掃除し、厨房の手伝いをし、法要の実践の場を学ぶところでした。そこの長がかなり厳しい上に、体育会系のノリで、毎朝、そして、毎晩の反省会は硬い床の上にそれが終わるまで正座でした。
ほとんどが我々新入りの失敗報告で、それに対する指摘の話もあったので初めの内は苦痛でしかありませんでした。同じ時期に入った新入り60名の内、中間くらいの頃に入った私ですが、比較的無難に、ひっそりと息をひそめていたのですが、例外なく、その反省会で指摘されます「今朝の○○番、誰がやった!!」
「はい!!!」と返事して、「どんな仕事をしたんだ・・・」と質問されたので、何か知らない内にやらかしてしまったのかと思いながら、しどろもどろ申し送りのノートに書いていることを参考に目上の方の部屋を掃除したと報告すると・・・。
部屋がしっかり整っていて、座蒲(ざふ)も丸くなっていたということで、お褒めの言葉をいただきました。大本山に入ってから褒められることなど聞いたことがなかったので拍子抜けです。ちなみに、座蒲は使っていると潰れた状態になり、坐禅する時に横からこねて丸くします。その状態にしていたということで。
これは師匠と2人で修行していて、いわば”他人の部屋”の掃除を普段からしていたので、大本山でもその経験が活きたということでしょう。このことでそれまで付き合いが難しいなと思っていた同時期に先に入っていた修行仲間からも一目置かれ、付き合いやすくなったことの方が嬉しかったです。
叱られ、厳しく指導されるだけではなく、褒められる時もあるということも経験し、少し前向きになれた瞬間でした。それでも、今から思えば締め付けが酷かった。そんな経験を経て、今があります。