曹洞宗の出来事

仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵 』(しょうぼうげんぞう)

正法眼蔵は、道元禅師が23年間に渡りまとめ説かれたもので、1231(寛喜3)年8月に最初の巻である『弁道話』をあらわされました。最終巻は示寂の年1253(建長5)年1月に完成した『八大人覚』の巻です。その題名が示すように、釈尊から歴代の祖師をつうじてうけ継いだ正しい教法の眼目をあますところなく収蔵して提示しようとした書物ということが出来ます。その内容の多くは、道元禅師の深い悟りの境涯を、禅師独特の語法で説示した高度なもので、現代においても、日本の生んだ最高の宗教思想書とも評され、世界的にも高い評価がなされており、特に曹洞宗における根本的な聖典です。一般的には95巻とされていますが、それは道元禅...
年表

年表

寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。飛鳥時代, 奈良時代, 平安時代, 鎌倉時代, 室町時代, 安土桃山時代, 江戸時代, 明治時代, 大正時代, 昭和時代, 平成時代, 令和時代, 曹洞宗の出来事, 浄土宗の出来事, 浄土真宗の出来事, 天台宗の出来事, 真言宗の出来事, 臨済宗の出来事, 日蓮系宗派の出来事, 諸宗派の出来事, 世界の出来事(仏教),世界の出来事(仏教以外),仏教(インド)の出来事,仏教(中国)の出来事,日本の出来事(仏教以外)...
人物

板橋興宗(いたばしこうしゅう)

曹洞宗の僧侶。閑月即眞禅師。大本山總持寺独住23世(貫首)。曹洞宗管長、總持寺祖院住職、大乗寺山主、御誕生寺住職を歴任。宮城県多賀城市出身。1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男として生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住し、旧制仙台第一中学校を経て、1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。第二次世界大戦の敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院する。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。在学中に同級生の片野達郎(後に、東北大学名誉教授)の勧めで仙台市の輪王寺に下...
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普門寺-岡山県岡山市中区

・普門寺 曹洞宗 岡山県岡山市中区徳吉町2-8-35当寺は平成八年、永平寺副貫主大玄一光老師の発願で、平成十八年三月に新寺建立されました。(リンク先より)※平成八年 1996年 << 戻る
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極楽寺-熊本県阿蘇市

・極楽寺 曹洞宗 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3032450余年の歴史を有りし、明治維新前までは阿蘇家の菩提寺で由緒深き禅寺である。旧本堂は、阿蘇山上に建立してあった建物をこの地に移転したもので、今日まで風雪に耐えて老朽化したため、平成七年、現在の本堂の建立となった。(リンク先より)※平成七年 1995年 << 戻る
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観音寺-青森県十和田市

・観音寺 曹洞宗 青森県十和田市三本木字稲吉149-34寺院建立発起人委員会を立ち上げ多くの人達の努力の末、住職を五戸町高雲寺住職村松幸榮老師へお願いし。昭和六十年十二月二十日に念願の宗教法人観音寺を設立。昭和六十二年九月三十日現住職前田憲良和尚へと引き継がれ事実上の開山の苦労の末、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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薬王寺-北海道札幌市中央区

・薬王寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区宮の森1263−3・昭和59年:宮の森(現在地)に新寺建立「曹洞宗・薬王寺」を設立・昭和60年:北海道無名開拓殉難者慰霊碑建立(リンク先より)※1984年、昭和59年 << 戻る
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興禅寺-福岡県北九州市戸畑区

・興禅寺 曹洞宗 福岡県北九州市戸畑区天神2-4-38興禅寺は昭和10年、雄峰玉城大和尚によって設立された、曹洞宗(禅宗)のお寺です。現在の本堂は平成元年に、檀信徒会館は平成26年に建立されました。(リンク先より)※昭和10年 1935年 << 戻る
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浄国寺-北海道札幌市西区

・浄国寺 曹洞宗 北海道札幌市西区山の手1条12-1-2昭和8年、札幌市中央区の中央寺4世尾崎文英おざきぶんえい和尚が、道内および旧樺太きゆうからふとに在住の青年僧侶や一般檀信徒いっぱんだんしんとのための、研修道場として計画開創したのが浄国寺です。開基かいきは小川耕助氏で、寺領15000坪と伽藍一宇がらんいちうを寄進されました。尾崎文英和尚は、修行参学しゅぎょうさんがくの恩師である大本山総持寺そうじじ4世 、西有穆山禅師にしありぼくざんぜんじを開山に奉請ぶじようしました。(リンク先より)※昭和8年 1933年 << 戻る
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靖國寺-京都府宇治市

・鳳翔山 靖國寺 曹洞宗 京都府宇治市牛金井戸7-14昭和4年、建立者中井祖門師が当時の首相、田中義一氏と熟議し、賛同を得て発願されました。昭和16年より全国を托鉢勧募した浄財で用材を購入、本堂建立に着手。各地の信徒の多大なる寄進により、昭和18年11月には入佛式を修行、昭和24年4月に勤皇山靖國寺として落慶しました。 創建以来、戦没者の遺骨、無縁の英霊が全国各地より奉安置され、昭和26年には靖国神社より二百四十万余りの御分霊をお迎えしてお祀りしています。(リンク先より)※昭和4年 1929年<< 戻る
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大宥寺-北海道札幌市中央区

・大宥寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区南11条西13-1-11忍法山大宥寺は大正12年に曹洞宗山鼻説教所として設立され、以来山鼻地区の発展と共に、檀信徒の皆様の篤い御法愛に支えられ、禅風の宣揚に勤めて参りました。(リンク先より)※大正12年 1923年 << 戻る
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安泰寺-兵庫県美方郡

・安泰寺 曹洞宗 兵庫県美方郡新温泉町久斗山字中ノ平106安泰寺は曹洞宗に属しております。 大正10年丘宗潭により宗学研究の学堂として、 京都洛北の玄琢に開創されました。 多くの学匠を輩出し、近代の伝統宗学はこの学堂によって継承発展してきました。第二次世界大戦中には一時期荒廃していましたが、 昭和24年澤木興道と内山興正の師弟が、 只管打坐を純粋に行持する寺として再興されました。(リンク先より)※大正10年 1921年 << 戻る
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北大寺-北海道札幌市北区

・北大寺 曹洞宗 北海道札幌市北区北十二条西3北大寺は中央寺住職三沢松偃師が、大正7年12月19日、北区北8条西1丁目に中央寺法務所を開設したのをその淵源とする。開設時の主任に任命された開創二世道円和尚は、19年間、熱意あふれる布教活動により多数の檀信徒を擁するに至った。(リンク先より)※大正7年 1918年 << 戻る
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總持寺-神奈川県横浜市鶴見区

・諸嶽山總持寺 曹洞宗 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」と告げて、姿を消されたというのです。(中略)律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。 明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、...
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永祥寺-北海道帯広市

・永祥寺 曹洞宗 北海道帯広市西3条南2丁目永祥寺の開創は明治33年(西暦1900年)と伝わっています。初代住職は明治7年、愛知県額田郡福岡町に織田利造の六男として生を受けた織田活道。(リンク先より) << 戻る
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東川寺-北海道上川郡

・東川寺 曹洞宗 北海道上川郡東川町北町4丁目1番3号抑も天真山東川寺は明治三十二年の時、真宗大谷派に属する信者山崎才一郎氏なる者あって禅宗信者なる川本万吉、日比野堅次郎の両氏に諮り、僧の耆宿たる東京市芝区白金台町高幢寺前住職牧玄道師を請し開教の任に當らしめ、假布教所、忠別原野西六号南一番地川本万吉氏の納屋の一隅を以て、之が教所に當て、大いに曹洞宗の旨趣を布演するの途を開きぬ。(リンク先より)※明治三十二年 1899年 << 戻る
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龍祥寺-三重県度会郡

・龍祥寺 曹洞宗 三重県度会郡大紀町阿曽1585不盡山宝泉寺(寛延元年・1748年)と諏訪山龍祥寺(寛文元年・1661年)の二ヶ寺が明治27年宝泉寺を龍祥寺へ合併し、明治30年不盡山龍祥寺として成立し、明治43年現在地(もとの不盡山宝泉寺の境内地)に建立され、現在に至る。(リンク先より)※明治27年-1894年 << 戻る
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潜龍寺-北海道函館市

・潜龍寺 曹洞宗 北海道函館市亀田中野町136明治二十五年旧六月二十四日、高龍寺第十八代住職雲林大法大和尚が当時亀田村大字赤川村長根と呼んでいた小高い丘に、高龍寺の説教所を設け、村民に仏の道を布教していたのが始まりです。(リンク先より)※明治二十五年 1892年 << 戻る
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『修証義』(しゅしょうぎ)

『修証義』(しゅしょうぎ)は、おもに道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです(どの部分から抜き出されたか詳しく知りたい方は ▶ 『修証義』(しゅしょうぎ)『正法眼蔵』対応版へ)。明冶時代の中ごろ、各宗派では時代に適応した布教のあり方を考える流れがありました。曹洞宗では曹洞扶宗会(そうとうふしゅうかい)が結成され、多くの僧侶や信者の人々がそれに参加しました。そのメンバーであった大内青巒(おおうちせいらん)を中心として『洞上在家修証義』(とうじょうざいけしゅしょうぎ)が刊行されました。これは在家教化のためのすぐれた内容となっていたため、曹洞宗では、ときの大本山永...
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大安寺-北海道恵庭市

・大安寺 曹洞宗 北海道恵庭市大町4-2-25大安寺は恵庭村となる前の漁村に、明治21年に寺子屋として誕生したお寺です。当時、漁村には郷党を頼って山口県から団体での入植がありました。入植者の“子弟の教育”と、“心の拠り所”として地域に求められて建立されたお寺なのです。恵庭における最初の教育施設が大安寺だったのです。御開山は曹洞宗大本山永平寺64世の大休悟由禅師さまで、大本山永平寺の直末のお寺になります。(リンク先より)※明治21年 1888年 << 戻る
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東行庵-山口県下関市

・東行庵 曹洞宗 山口県下関市吉田町1184清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)と称し、維新の革命児・高杉晋作の霊位礼拝堂として明治17年(1884)に創建されました。ご本尊は「白衣観音菩薩」です。初代庵主となったのは、高杉晋作の愛妾おうの。晋作の死後、明治14年(1881)に曹洞宗総本山永平寺の貫主である久我環渓禅師から得度を受け、「梅処」(ばいしょ)と称して晋作の眠るこの地で菩提を弔うことを余生としたと伝えられており(リンク先より) << 戻る
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禅林寺-北海道帯広市

・禅林寺 曹洞宗 北海道帯広市緑が丘8丁目1−1本院 明治16年開教別院 平成25年開教(リンク先より)※明治16年 1883年 << 戻る
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高福寺-青森県弘前市

・高福寺 曹洞宗 青森県弘前市撫牛子4-5-4前身は橋本庵で明治15年開基白眼光沙弥(白崎熊太郎翁)の発願によって建てられ、師は長年に亘って独り托鉢修行をせられ、施主各々菩提の為に千足の草履を踏み破ってようやくに伽藍が建立されたという尊い記録が御座います。(リンク先より)※明治15年 1882年 << 戻る
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常宿寺-愛知県一宮市

・待鳳山 常宿寺 曹洞宗 愛知県一宮市住吉1-7-12常宿寺開創木村観洲尼は、中嶋郡本神戸村字宮山田中新兵衛氏の長女として、嘉永6年(1853年)7月6日誕生。明治3年(1870年)中嶋郡宮地の(当時は曹洞宗)報恩寺四世木村恵光尼の養女となり、同13年に相続、五世となられましたが、明治34年頃報恩寺を退いて、当地通称南木(なぎ)に移られました。(リンク先より)※明治13年(1880年) << 戻る
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中央寺-北海道札幌市中央区

・中央寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区南6条西2明治七年八月西有穆山師曹洞宗管長代理として來道せられ、本道各地を巡回しその宗教事務を執る事務所として、開拓使に出願して、南二條西九丁目に於て、千六百貮拾坪の地所を拂下げを受け、 教部省に出願して許可を得て小教院を設立したり(リンク先より)※明治七年 1874年 << 戻る
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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設けられ、全ての神官・僧侶等が兼任させられました。神仏合同による布教が求められ、以後、教導職でない人は、一切の宗教的布教活動は出来ないことになったのです。そして、教導職をまとめたり、大教を広めるための指導機関として、東京に設けられたのが「大教院(だいきょういん)」です。更に、その下部機関として各府県に設けられたのが「中教院(ちゅうきょういん)」や「小教院(しょうきょういん)」です。<< 戻る
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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。<< 戻る
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神仏分離令、廃仏毀釈(しんぶつぶんりれい、はいぶつきしゃく)

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府は神仏分離令出す。廃仏毀釈によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)はゆきすぎた仏教廃止運動でした。明治維新の復古思想から神道を国教とする考えがあり、神仏分離令がだされ、神社から仏教的なものがのぞかれました。神官を先頭とする群衆が寺をおそって仏像や仏具を焼いてしまいました。奈良の興福寺の五重塔は、わずか25円(一説には250円)で売りにだされたといいます。<< 戻る
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法光寺-北海道幌泉郡

・法光寺 曹洞宗 北海道幌泉郡えりも町本町23明治10年以前の、法光寺に関する史実については、詳細の資料がないので明らかではないが、当地方の巡教は、道仙和尚によって行われたと思われる。この地方の曹洞宗は、えりも岬に説教所のようなものが文久時代(1861頃)からすでにあったといわれ、古文書でもあらわされている事もあり、当時70歳と言われる道仙和尚がその教えをえりも町一帯にひろめていたと思われる。法光寺裏の丘の歴代住職の墓地に、道仙和尚の墓碑が祀られていることも、これらを物語っている。(リンク先より) << 戻る
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龍澤寺-北海道札幌市北区(北海道石狩市)

・龍澤寺 曹洞宗 北海道札幌市北区新琴似町546-3・龍澤寺 曹洞宗 北海道石狩市厚田区古潭村2龍澤寺は、幕末安政の頃、記録には文久元年(西暦1861年)に函館市高龍寺第十八世住職大光海雲大和尚を勧請開山し開闢開山(初代住職)に萩原泰能師(後に古潭神社神主)を迎え、開基様(龍澤寺建立発願者)である古潭請負人平田興三右衛門様の御寄進により建立されました。(リンク先より) << 戻る
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全修寺-北海道岩内郡

・全修寺 曹洞宗 北海道岩内郡岩内町高台25全修寺は、北海道岩内町において、安政4年(1857)年に開教した曹洞宗の寺院です。写真を織り交ぜまして、全修寺や身替地蔵尊、三十三観音像などをご紹介しております。どうぞごゆっくりご覧ください。(リンク先より) << 戻る
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楞厳寺-山口県周南市

・楞厳寺 曹洞宗 山口県周南市湯野1929嘉永6年(1853年)3月13日、その日はここ牧村の地神祭の日。 村の若者数人がウサギ狩りのためにこの山に登った。その中の松田好松なる人物が山頂の土中にキラキラ輝くものを発見。これが今に伝わる黄金の聖観世音菩薩の尊像である。 当時、この山頂付近一帯は毛利家の家臣、堅田家のものであったが翌年、黄金仏の敷田として楞厳寺に寄進され、黄金仏も松田氏より楞厳寺へ奉納された。このことが『観音岳』と呼ぱれる由縁である。(リンク先より)<< 戻る