便り 觀音寺-徳島県板野郡 ・觀音寺 高野山真言宗 徳島県板野郡松茂町長岸120四国三郎のひとつ、吉野川河口にできた自然の中洲を開拓して発展した土地です。吉野川の支流は、決壊することも多く、觀音寺の境内も流されたようです。1602年に開基されましたが、境内地が洪水より流されたため150年ぐらい前に現在地に移転されたと記録が残っています。(リンク先より) << 戻る 1602.01.01 便り年表
便り 神崎寺-千葉県香取郡 ・大日山神崎寺 真言宗醍醐派 千葉県香取郡神崎町本宿231慶長5年、1600年関ケ原合戦の世、一人の行者が利根川を望む山に霊気を覚え、錫をとどめる。名を普賢を名乗った行者により山は開かれ、寺の歴史を刻むこととなった。江戸時代の書物の記録によると当山”大日山”は神崎三山に数えられておりました。鎮守神の山”神崎の杜”、愛宕権現の山”愛宕山”そして大日如来の山”大日山”が神崎三山とされ、神崎は古来より神仏を大切にしてきた土地であったことがうかがいしれます。(リンク先より) << 戻る 1600.01.01 便り年表
便り 智積院-京都府京都市東山区 ・智積院 真言宗智山派 京都府京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え、最盛時には、2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院のなかの学頭寺院でした。 しかし、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を高野山に逃れ、苦心のすえ、... 1598.01.01 便り年表
便り 常性寺-東京都調布市 ・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 高野寺-和歌山県和歌山市 ・高野寺 高野山真言宗 和歌山県和歌山市元寺町北ノ丁18当山は慶長年間、興山寺勢誉法印の開基にして初代紀州藩主 浅野幸長公の命により保田の庄梁瀬の里より現在の地にうつす。高野山行人方と紀州藩との国交拠点になった寺院で、高野山輪番所として紀伊国名所図会に伝わる。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
年表 青厳寺建立 天正二十年(1593年)、豊臣秀吉、剃髪寺(のちに青巌寺と改名)建立。 文禄4年(1595年)の秀次事件では、青巌寺で豊臣秀次の切腹が行われています。 << 戻る 1593.01.01 年表
便り 福泉寺-神奈川県横浜市緑区 ・福泉寺 高野山真言宗 神奈川県横浜市緑区長津田町3113寺伝によると文禄年間~慶長の頃(西暦1592~1600年)徳川家康に仕えた千五百石取りの旗本で、長津田初代の領主岡野房恒という殿様が開基となり、村の鎮守として勧請した王子権現の別当寺として開創、僧栄存の開山と伝えられます。領主岡野家の祈願所でもあり、江戸時代を通じ岡野家の庇護の下に田畑山林などの寄進を受けました。慶安二年(西暦1649年)、徳川三代将軍家光より四石五斗の朱印を賜りました。この朱印状は将軍が変わる毎に書き換える事になっており、最後のものは十四代将軍家茂のものである。(リンク先より) << 戻る 1592.01.01 便り年表
便り 薬研堀不動院-東京都中央区 ・薬研堀不動院 真言宗智山派 東京都中央区東日本橋2-6-8天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る 1591.01.01 便り年表
便り 金剛院-埼玉県さいたま市北区 金剛院は天正十九年(1591年)徳川家康公より河越内に寺領四石を賜り、慶安二年(1649年)八月ニ十四日には、徳川家光公より下加村内に十石四斗の朱印地を拝領し、下加村(日進一丁目)西谷村(日進三丁目)の菩提寺となりました。今でも金剛院には十通の御朱印状が残されています。(リンク先より)・金剛院<< 戻る 1591.01.01 便り年表
年表 豊臣秀吉の高野山を焼き討ちは中止される 天正十三年(1585年)、織田信長の基盤を継いだ豊臣秀吉も高野山を焼き討ちしようとするが、高野山の客僧だった応其上人の働きで中止される。高野山の寺領が解放され、秀吉はその後、金堂や大塔を再建するなど、高野山の復興を援助することになる。 << 戻る 1585.01.01 年表
便り 長遠寺-山形県長井市 ・長遠寺 真言宗豊山派 山形県長井市館町北10-49-12彌陀三尊懸佛 室町時代末期に作られたもので、直径二十八センチ青銅の懸佛で、中央の蓮華座に阿彌陀如来と左右に観音菩薩とが浮き彫りになっている。裏には、天正十二年輝宗と刻記されている。(リンク先より)※天正十二年 1584年 << 戻る 1584.01.01 便り年表
便り 平等寺-石川県鳳珠郡 ・平等寺 高野山真言宗 石川県鳳珠郡能登町字寺分2字116和住山平等寺は、十世紀の中頃荘園の宮寺として創建され、以後千年余り法燈が守られてきた高野山真言宗のお寺です。武士の台頭により、荘園の衰退と共に平等寺は和住の本郷(能登町字上町)を追われ、天正十一年(1583)に応清法印が現在地に再興されました。(リンク先より) << 戻る 1583.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 織田信長、高野攻め 天正九年(1581年)、織田信長、高野攻め。高野山は比叡山と同じように、独自の武力を蓄えていた。寺領は17万石以上あり、3万6千の兵を養っていたと記されている。高野山が織田信長を裏切った荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党が組織する「高野大衆一揆」の関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協... 1581.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 妙音寺-神奈川県三浦市 ・花山曼荼羅 妙音寺 公式サイト 高野山真言宗 神奈川県三浦市初声町下宮田119「新編相模国風土記稿」によれば、当山は今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ二キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。(リンク先より)※天正年間 1573年からグレゴリオ暦1593年 << 戻る 1580.01.01 便り年表
便り 妙音院-千葉県館山市 ・安房高野山妙音院(公式ホームページ) 高野山真言宗 千葉県館山市上真倉1689当院は、正式名称「光照山醫王寺妙音院」通称「安房高野山妙音院」 といい、南房総唯一の高野山真言宗であります。鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁(じょうきょう)が紀州高野山、一心院谷にご開基されました。天正七年(1579)大名里見義頼公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山され、 里見氏より破格の寺領161石を与えられ、保護されておりました。(リンク先より) << 戻る 1579.01.01 便り年表
便り 大徳寺-高知県南国市 ・大徳寺 高野山真言宗 高知県南国市大桶乙2194戦国時代初頭、天正三年に長宗我部元親公の熊野権現勧請に際し、別当として吾岡山の東端に吾岡山延寿院吾岡寺として創建される。(リンク先より)※天正三年 1575年 << 戻る 1575.01.01 便り年表
便り 阿弥陀寺-福島県郡山市 ・阿弥陀寺 真言宗室生寺派 福島県郡山市富久山町久保田52現在地の東方(旧郡山中央卸売市場付近)にあった天台宗正覚寺から始まり。その後、天正2年(1574)に真言宗の寺として中興開山、その後二度の火災に遭いながらも、そのたびごとに難を免れて、今日に至り法灯を伝えております。(リンク先より) << 戻る 1574.01.01 便り年表
便り 金蔵院-栃木県佐野市 ・金蔵院 真言宗豊山派 栃木県佐野市越名町426安土桃山時代初期(1570年代)天正年間初期安養坊法師と須藤六右衛門正行(唐沢城佐野家々臣)の尽力により「医王山金蔵院薬師寺」として開山され、「薬師如来」をご本尊として祀りました。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 金性寺-福島県南相馬市 ・金性寺 真言宗豊山派 福島県南相馬市小高区仲町1-89当寺の創建は古く、小高城主第十五代相馬盛胤公夫人の掛田御前(掛田城主掛田義宗の娘)は永禄十二年(一五六九)十月二十二日逝去。盛胤公が夫人「金室妙仲大禅定尼」の冥福を祈るため、同年十二月小高村堂前(現在の小高町小高字堂前)に錦繍寺を建て、霊牌を安置したことによる。(リンク先より) << 戻る 1569.01.01 便り年表
便り 慎福寺-三重県鈴鹿市 ・慎福寺 真言宗豊山派 三重県鈴鹿市神戸2-19-8寺伝によると、永禄2年(1559年)法印紹盛上人の開基と伝わり、往時は七堂伽藍を備え、神福寺と称していました。のちに神戸城主織田信孝の祈願寺とされ、寺領六百六十石を受領し栄えたものの、江戸時代の大地震により焼失し、その後再建されて明治の廃仏毀釈の際に寺名を慎福寺と改称したと伝わっています。(リンク先より) << 戻る 1559.01.01 便り年表
便り 普門寺-埼玉県八潮市 ・普門寺 真言宗豊山派 埼玉県八潮市南川崎440永禄年間(1558~1570)に開創され、開山から現住職までに29世を数える古いお寺で、真言宗豊山派に属しています。開創当時は、現在の埼玉県八潮市木曽根という場所にありましたが、埼玉県から東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川 中川の改修事業への協力の為、昭和59年に、現在の八潮市南川崎の地へ移転しました。(リンク先より) << 戻る 1558.01.01 便り年表
便り 定泉寺-神奈川県横浜市栄区 ・田谷山 「定泉寺」 真言宗大覚寺派 神奈川県横浜市栄区田谷町1501田谷山 定泉寺(じょうせんじ)室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。(リンク先より)※天文元年 1532年から1555年 << 戻る 1532.01.01 便り年表
便り 常勝院-福島県いわき市 ・常勝院 真言宗智山派 福島県いわき市平中平窪字岩間61開山 室町時代 享緑3年(1530年) 下好間大館開祖 見瑜上人は、岩城朝義4世、隆忠の孫である中山隆朝の一子(リンク先より) << 戻る 1530.01.01 便り年表
便り 神恵院-香川県観音寺市 ・神恵院・観音寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市八幡町1-2-7・67番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第68番札所 七宝山 神恵院 ⇒ 69番札所 七宝山 観音寺 ⇒ 70番札所本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。(リンク先より)<< 戻る 1525.12.01 便り年表
便り 長泉寺-岡山県岡山市北区 ・長泉寺 真言宗御室派 岡山県岡山市北区南方3-10-40永正6年(1509年)7月に開創。その頃、当山の周辺には備前国営の薬草園が広がっていたと伝えられ、岡山の先進医学の発祥の地とされます。薬園山と言う山号の由来です。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 福生寺-佐賀県武雄市 ・福生寺 真言宗大覚寺派 佐賀県武雄市武内町大字梅野乙14726本尊は聖観世音菩薩であり、開基については黒髪大権現を勧請した神社(黒髪神社)の棟札に《永正六年、 大檀主藤原千代童丸助成松尾道久、住持福生寺法印快憲》と記されたものがあり、 寺伝では永正六年(1509年)に快憲法印によって中興されたとなっている。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 教深寺-愛媛県伊予郡 ・教深寺 真言宗豊山派 愛媛県伊予郡松前町大間330開基、由来については、諸説があって確定し難い。文亀二年(一五〇二)金蓮寺七末寺の一寺として建立されたとも伝えられ、また明治初年の「寺院取調」によると、延宝七年(一六七九)仁良和尚の開山とも記され、当寺に伝わる「萬記録」によれば、享保一〇年(一七二五)開基とも記録されている。(リンク先より) << 戻る 1502.01.01 便り年表
便り 金剛頂寺-神奈川県平塚市 ・金剛頂寺 公式サイト 東寺真言宗 神奈川県平塚市岡崎3152本尊は大日如来、相模薬師第十九番札所弘安年間(鎌倉時代)東寺の僧 融仙が、関東来錫の砌、現在地(岡崎)に開創1496年(明応5年3月13日卒)開山賢秀(リンク先より) << 戻る 1496.03.13 便り年表
便り 弘法寺-広島県呉市 ・弘法寺 高野山真言宗 広島県呉市安浦町大字中畑132野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度に渡り登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。大師堂の堂字の起源は、明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改... 1492.01.01 便り年表