「 東大寺-奈良県奈良市 」 一覧

仁王像(におうぞう)

  仁王像とは、寺院の山門内で本堂を背に正面を向き境内を守っている二体一対の金剛力士像のことです。二王と表記される場合もあります。向かって右が口を大きく開け金剛杵(こんごうしょ)を持っている ...

大仏様=天竺様(だいぶつよう=てんじくよう)

  鎌倉時代に南宋(中国)からつたえられた仏教建築の一様式。天竺様は鎌倉時代初期に東大寺再建のため、南宋に行った経験のある大勧進俊乗坊重源(ちようげん)が取り入れた建築様式で、そのため大仏様 ...

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#奈良 #東大寺 #紅葉@kojomrmt #奈良 #東大寺 #紅葉 pic.twitter.com/8KotxI2GFj — 森本 公穣 @東大寺 (@kojomrmt) Novembe ...

奈良県奈良市の諸宗派寺院

寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。 蓮長寺 日蓮宗 奈良県奈良市油阪町426 唐招提寺 律宗 奈良県奈良市五条町13-46 元興寺 真言律宗 奈良県奈良市中院町11 西大寺 真 ...

重源(ちょうげん)

  平安時代末期から鎌倉時代の日本の僧。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう、俊乗坊とも記す)。 東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした。 長承2年(1133年)、真言宗 ...

栄西禅師、東大寺勧進職に

建永元(1206)年には、重源の後を受けて栄西禅師が東大寺勧進職に就任。 << 戻る

運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる

1203年、運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる。 << 戻る

法然上人、東大寺大勧進職を辞退する

養和元(1181)年、東大寺大勧進職を辞退し、重源を推挙する。 << 戻る

最澄上人、具足戒を受ける

最澄上人は奈良の都に行き、さらに勉学を積みました。そして延暦4(785)年、東大寺で具足戒を受けました。受戒後、比叡山に籠り一人修行を続けます。 << 戻る

正倉院ができる

756年、東大寺の宝庫、正倉院ができる。聖武天皇の遺品などを保存、校倉造り。 << 戻る

東大寺の大仏ができる

752年、東大寺の大仏ができる。天平文化がさかえる。多くの民衆と僧行基の力を借りる。 << 戻る

行基(ぎょうき)

  行基・668〜749年)とは、奈良時代に活躍したとされる高僧です。百済系渡来人の子孫として、和泉国(大阪府)に生まれました。諸国をまわって人々に仏教を広め、朝廷から民衆をまどわすとして弾 ...

大仏造立の詔

743年、大仏造立の詔。 << 戻る

東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1 ・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城 天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾 ...

国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。 <<  ...

華厳宗が伝えられる

736年、華厳宗第3祖法蔵(開祖は杜順(557年-640年)、第2祖智儼(602年-668年))門下の審祥によって華厳宗は伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において ...

聖武天皇と東大寺 - 前身寺院・金鍾山寺建立

奈良時代は、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺たる時代でした。このような混乱の中、神亀元年(724)2月、聖武天皇が24歳で即位し、待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀 ...



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