明治時代

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一華寺-広島県呉市

・一華寺 臨済宗佛通寺派 広島県呉市西中央5-7-1明治28年、自宅医院に隣接した土地に小庵を建て、寛量和尚の常宿ともし、そこで毎月参禅会も開いた。小さな標札には『仏通寺事務所』とあった。(リンク先より)※明治28年 1895年 << 戻る
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龍祥寺-三重県度会郡

・龍祥寺 曹洞宗 三重県度会郡大紀町阿曽1585不盡山宝泉寺(寛延元年・1748年)と諏訪山龍祥寺(寛文元年・1661年)の二ヶ寺が明治27年宝泉寺を龍祥寺へ合併し、明治30年不盡山龍祥寺として成立し、明治43年現在地(もとの不盡山宝泉寺の境内地)に建立され、現在に至る。(リンク先より)※明治27年-1894年 << 戻る
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治外法権の撤廃

1894年、イギリスとの間で条約の改正。治外法権の撤廃(外務大臣 陸奥宗光)。<< 戻る
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日清戦争

1894年、日清戦争が始まる(~1895年)。<< 戻る
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福住寺-北海道札幌市豊平区

・福住寺 浄土真宗本願寺派 北海道札幌市豊平区福住一条1-3-1福住寺の前身は明治26年3月25日、札幌郡豊平村字月寒に布教の拠点として明治26年設置された本願寺札幌別院の出張所です。僅か間口三間、奥行き五間の仮説教所がてられ、香川県福住寺の住職長尾諦順師は、57才の時、住職を長男に譲り、当時のフロンティアであった新天地北海道での布教に燃え、住民の心の支えになろうと、来道し福住寺の開基住職になられました。(リンク先より)※明治26年 1893年 << 戻る
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法城寺-北海道勇払郡

・法城寺 浄土真宗本願寺派 北海道勇払郡むかわ町大原2-24開教明治26年(1893年) 浄土真宗本願寺派 胆振組むかわ町(リンク先より) << 戻る
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憲徳寺-鹿児島県姶良郡

・憲徳寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県姶良郡姶良町東餅田40721893年(明治26年) 本願寺鹿児島別院松原説教所として設立。1952年(昭和27年) 寺号公称により浄土真宗本願寺派無極山憲徳寺となり、初代住職に藤谷幸生が就任。(リンク先より) << 戻る
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性原寺-鹿児島県姶良市

・性原寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県姶良市松原町1丁目30番地1明治9年(1876)の念仏解禁から17年後の明治26年に、松原地区500戸の人達によって鹿児島別院松原説教所が建立されました。ところが説教所の門徒の間に支持政党をめぐって不協和音が芽生え、大正6年(1917)約150戸の人達が説教所を離れて行きました。(リンク先より) << 戻る
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潜龍寺-北海道函館市

・潜龍寺 曹洞宗 北海道函館市亀田中野町136明治二十五年旧六月二十四日、高龍寺第十八代住職雲林大法大和尚が当時亀田村大字赤川村長根と呼んでいた小高い丘に、高龍寺の説教所を設け、村民に仏の道を布教していたのが始まりです。(リンク先より)※明治二十五年 1892年 << 戻る
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専修寺北海道別院-北海道札幌市清田区

・専修寺北海道別院 真宗高田派 北海道札幌市清田区平岡三条3丁目25-10専修寺北海道別院について 明治25年春、福井県鮎川願生寺住職、出見法泉が、縁故の信徒をたどって当区に立錫し、南二条東四丁目に山崎孝太郎より土地を賃借して説教場の創設を企て、開教の事情を本山に建議しました。翌26年本山は服部亮厳を札幌教務所主任として派遣し、ここに専修寺札幌別院の基礎が定まりました。(リンク先より)※明治25年 1892年 << 戻る
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覚王寺-北海道札幌市北区

・覚王寺 浄土真宗本願寺派 北海道札幌市北区麻生町5-2-121892(明治25)年、内平可敬が山命を受けて熊本から来道。屯田兵の入植に伴い、開拓時代の人々と苦労や喜びを分かち合いながら、阿弥陀さまの救いにであうご縁を紡いだのが「覚王寺」の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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子院六百数十ヶ寺を統廃合

明治二十四年(1891年)、高野山内の子院六百数十ヶ寺を統廃合し、百三十ヶ寺に。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『修証義』(しゅしょうぎ)

『修証義』(しゅしょうぎ)は、おもに道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです(どの部分から抜き出されたか詳しく知りたい方は ▶ 『修証義』(しゅしょうぎ)『正法眼蔵』対応版へ)。明冶時代の中ごろ、各宗派では時代に適応した布教のあり方を考える流れがありました。曹洞宗では曹洞扶宗会(そうとうふしゅうかい)が結成され、多くの僧侶や信者の人々がそれに参加しました。そのメンバーであった大内青巒(おおうちせいらん)を中心として『洞上在家修証義』(とうじょうざいけしゅしょうぎ)が刊行されました。これは在家教化のためのすぐれた内容となっていたため、曹洞宗では、ときの大本山永...
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旭川別院-北海道旭川市

・旭川別院 真宗大谷派 北海道旭川市宮下通2-1463別院の創建は、1890(明治23)年に久教淵【ひさしきょうえん】師によって、寺子屋から始まり約120年の時を経て、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
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紋鼈寺-北海道伊達市

・紋鼈寺 浄土真宗本願寺派 北海道伊達市末永町71-1明治23年に本願寺から布教を差許され、北海道の地に浄土真宗本願寺派の布教所を開きました。これが紋鼈寺の発祥となります。以来、伊達の地でお念仏を受け伝え、平成15年より第四代目の住職・正教へと継職し、現在まで至ります。(リンク先より) << 戻る
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正法寺-広島県三原市

・正法寺 真言宗御室派 広島県三原市本町3丁目4-1亀甲山延命尊院正法寺は、長谷町鶴ヶ巣に大規模な七堂伽藍があったと伝えられていますが、天正年間築城に際し、館町に移されました。ところが福島正則の代に城の鬼門にあたる中之町に移し、侍屋敷を増築して東の街道を固め戦に備えました。そして、明治23年(1890年)末寺4ヶ寺を合併して大徳院跡であった現在の地へ移転しました。この寺は城主の祈願所として、江戸時代三原4ヶ寺のひとつとして、法燈継承しています。備後西国8番霊場(リンク先より)・正法寺 しょうぼうじ
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教育勅語が発布

1890年、教育勅語が発布される。<< 戻る
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鈴木大拙が徳証寺に寄宿

明治22年(1889年)からおよそ2年間鈴木大拙(禅で知られる仏教学者)が徳証寺に寄宿した。<< 戻る
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大日本帝国憲法が公布

1889年、大日本帝国憲法が公布される。<< 戻る
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青森寺-青森県青森市

・青森寺 真言宗智山派 青森県青森市栄町1-4-24明治二十一年、中村浄了師が結成した成田山新勝寺に参拝することを目的とした「成田講」の信徒が中心となり、青森市青柳に不動堂を建立したのが当山の始まりです。同二十三年に新勝寺の御分霊を不動堂に奉安し青森成田山と称しました。(リンク先より) << 戻る
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水上寺-群馬県利根郡

・水上寺 真言宗智山派 群馬県利根郡みなかみ町湯原358当山、成田山水上寺は、西暦1888年・明治21年に千葉県成田市の真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より勧請した不動明王をお祀り致しております。(リンク先より) << 戻る
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大安寺-北海道恵庭市

・大安寺 曹洞宗 北海道恵庭市大町4-2-25大安寺は恵庭村となる前の漁村に、明治21年に寺子屋として誕生したお寺です。当時、漁村には郷党を頼って山口県から団体での入植がありました。入植者の“子弟の教育”と、“心の拠り所”として地域に求められて建立されたお寺なのです。恵庭における最初の教育施設が大安寺だったのです。御開山は曹洞宗大本山永平寺64世の大休悟由禅師さまで、大本山永平寺の直末のお寺になります。(リンク先より)※明治21年 1888年 << 戻る
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東京に電灯がつく

1887年、東京に電灯がつく。<< 戻る
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富山別院-富山県富山市

・富山別院 真宗大谷派 富山県富山市総曲輪2-8-29明治維新という日本が大変革された時代に、廃仏毀釈の嵐が富山藩を吹き荒れました。明治3年、藩内の仏教諸宗に対して一宗に一カ寺しか存続を認めない「合寺令」が断行されたのです。権力による激烈な仏教弾圧によって、藩内の200以上の真宗寺院が取り壊されました。 念仏の灯火が消されそうになった地に、門徒たちは聞法の場を求めました。明治19年、富山城の外堀を埋め立てて説教所の敷地にしようと「砂持奉仕」が実施されました。延べ7000人以上の人々が神通川から土砂を運び、埋め立てて、現在の総曲輪に寺地を築きました。これが富山別院の始まりです。(リンク先より)※...
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善徳寺-広島県広島市南区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市南区宇品神田4-11-8明治19年に宇品築港でやって来た上蒲刈島大浦出身の浄土真宗門徒たちが、宇品海岸3丁目の旧運輸部跡に真宗宇品説教所を開設し、主管に東広島市河内町宇山教念寺副住職の友國順信師を迎えた。淳信師のご往生後に寺基は転々としたが、昭和12年に後継者の友國善量が寺を宇品神田5丁目に移して再建し、昭和22年4月に本願寺より「善徳寺」の寺号の公認をうけた。(リンク先より)※明治19年 1886年 << 戻る
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新栄寺-北海道札幌市中央区

・新栄寺 真言宗醍醐派 北海道札幌市中央区南7条西3丁目2番地成田山新栄寺は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の札幌別院です。当山の開創は明治時代です。 明治2年(1869年)に北海道開拓使が置かれて以来、本州、四国、九州方面から多くの人々が新天地開拓のために北海道へ移住しました。自然環境の厳しい北海道の開拓は容易ではなく、筆舌に尽くせぬ艱難辛苦を味わった、と当時の記録にあります。そのような苦労の中、心の支えとしてお不動さまを信仰していた人々が発起人となり、明治18年(1885年)、現在の地に仮堂を建設し大本山より御本尊不動明王のご分身を勧請し開創されました。(リンク先より) << 戻る
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法城寺-鹿児島県薩摩郡

・法城寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田536明治18年頃、開基住職、副 慈雲によって鶴田真宗本願寺派説教所として設立された。同22年に大火にあい、建物一切を焼失した。その後、本堂を門徒が建立し、庫裏の一部は民家を持って来たと言われる。(リンク先より)※明治18年 1885年 << 戻る
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東行庵-山口県下関市

・東行庵 曹洞宗 山口県下関市吉田町1184清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)と称し、維新の革命児・高杉晋作の霊位礼拝堂として明治17年(1884)に創建されました。ご本尊は「白衣観音菩薩」です。初代庵主となったのは、高杉晋作の愛妾おうの。晋作の死後、明治14年(1881)に曹洞宗総本山永平寺の貫主である久我環渓禅師から得度を受け、「梅処」(ばいしょ)と称して晋作の眠るこの地で菩提を弔うことを余生としたと伝えられており(リンク先より) << 戻る
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禅林寺-北海道帯広市

・禅林寺 曹洞宗 北海道帯広市緑が丘8丁目1−1本院 明治16年開教別院 平成25年開教(リンク先より)※明治16年 1883年 << 戻る
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函館寺-北海道函館市

・函館寺 真言宗智山派 北海道函館市松風町15-17当山は、明治16年(1883)真言宗智山派大本山成田山新勝寺のご本尊大聖不動明王のご分霊を勧請し、明治29年(1896)開創され、成田山凾館寺(通称成田山凾館別院)と号します。昭和9年(1934)未曾有の業火凾館大火にて本堂・客殿・庫裡全てが烏有に帰し、昭和10年(1935)仮堂を建立。(リンク先より) << 戻る
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高福寺-青森県弘前市

・高福寺 曹洞宗 青森県弘前市撫牛子4-5-4前身は橋本庵で明治15年開基白眼光沙弥(白崎熊太郎翁)の発願によって建てられ、師は長年に亘って独り托鉢修行をせられ、施主各々菩提の為に千足の草履を踏み破ってようやくに伽藍が建立されたという尊い記録が御座います。(リンク先より)※明治15年 1882年 << 戻る
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甘露寺-宮城御県栗原市

・甘露寺 浄土真宗本願寺派 宮城県栗原市若柳字川北塚原427-6明治十五年頃、旧 栗原郡北部の門信徒は、称念寺歴代の住職及び幾多の人々教化伝道によってご縁をむすばれ、旧 若柳町新町平塚清兵衛宅に「道場」が開設されていた。明治三十五年に本願寺布教使井上安祥師を中心に門信徒と共に同町元町九番地の土地を買い求めて本願寺説教所を設立し、柴田宣照、龍原孝順、楯玄一の各師により御法義相続が勤められた。柴田宣照師は当地に寺院建立を願い、北海道に開設した寺院を長子宣妙に譲り、来町して各方面に働きかけるも、宗教政策により許可されず苦慮していた。そこで弟の称念寺住職柴田宣海師と図り、同寺内「甘露寺」移転を画策した...