カピラヴァストゥ

仏教を本気で学ぶ

兜率天(とそつてん)

兜率天は、都率・兜術・兜率陀・覩史多・トゥシタ天などと表記され、仏教の世界観における天上にあるすばらしく楽しいところ。ブッダ(お釈迦様)はこの世に生まれる前にトゥシタ天に住し、そこから没して、カピラヴァストゥ城の近くのルンビニ園で生まれたという伝説が初期仏教の頃には確認出来ます(「ブッダの言葉」スッタニパータ)。兜率は梵語でトゥシタ(tuṣita)「満足させる」という意味で、知足・喜足・妙足などとも意訳されます。後代の仏教の世界観によると、三界の内の欲界における六欲天の第4の天、つまり夜摩天と化楽天との中間にあるとされ、現在の兜率天では弥勒菩薩が修行・説法していると説かれ、ブッダの入滅後56億...
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無憂樹(むゆうじゅ)

無憂樹とは、お釈迦さま誕生の花で、アショーカというマメ科の植物です。阿輸迦(あそか)の木とも呼ばれ、黄色から橙色の花を咲かせます。また、三大聖木の一つです。臨月が近づいたお釈迦さまの母親である摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝に右手を掛けられた時、お生まれになったのがお釈迦さまです。摩耶夫人が何の心配もなく安らかに出産したことから、後に無憂樹と名付けられたそうです。その名の通り憂いの無い木としてインドでは...
人物

迦留陀夷(かるだい)

迦留陀夷はお釈迦様の弟子です。カピラヴァストゥの人でクシャトリア出身もしくはバラモン出身とされています。お釈迦様と同じ日に生まれました。Udāyīというのが迦留陀夷の本名ですが、肌が黒いことからKāludāyīと呼ばれたそうです。仏典には多く似た名前の人が登場し同一人物なのか別人なのかがはっきりしない場合が多々あるそうです。巴語でKāludāyī(カールダーイー)、梵語でKālodāyī(カーローダーイー)/Kāludāyī(カールダーイー)ということから音写して、迦留陀夷、迦楼陀夷などと記述され、略して、迦慮、優陀夷、優陀耶、憂陀耶、烏那曳嚢などとも記述されます。意訳されている場合、黒光、黒...
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カピラヴァストゥ – ブッダが王子として過ごした地(カピラ城)

カピラヴァストゥとは、釈迦族の都であり城で、お釈迦様が生後から出家するまで王子として過ごした地として仏典等に出てきます。ブッダ入滅後1000年ほどは仏教徒の巡礼の地であったようですが、仏教の八大聖地に入っていないためか、その所在地は現在、はっきりしていません。現在のインド・ネパール国境付近に位置していたようです。この地にいたカピラ (Kapila) という黄色い髪をした仙人(リシ)の名に由来すると伝えられ、「ヴァストゥ」とは「土地」を意味しています。漢訳仏典には迦卑羅婆率、迦毘羅婆蘇都、迦毘羅衛などの音写の記述の他、蒼城、蒼住城、黄赤城、黄頭居処、黄髪仙人住所、赤澤国、妙徳城などの意訳の記述も...
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ブッダ最後の旅【 第6章 】26、遺骨の分配と崇拝

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「正法眼蔵」帰依仏法僧(きえぶっぽうそう)

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序

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人物

アンニャーシコンダンニャ(阿若憍陳如/あにゃきょうちんにょ)

アンニャーシコンダンニャ Aññāsi-Koṇḍañña(巴) 阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ) アージュニャータカウンディニヤ Ājñāta-Kauṇḍinya(梵)、阿若多憍陳如、阿若多憍陳那、阿若憍隣、阿若拘隣、阿若倶隣などの音写、阿若は了本際、知本際、已知、解了、了教などの意訳で記述される場合もあります。アンニャーシコンダンニャは、お釈迦様の最初の弟子です。お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またその中心的な人物です。カピラヴァストゥ城に近いドーナヴァットゥ村(Donavatthu)のバラモンの家庭出身です。お釈迦様の誕生時、スッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)...
人物

ウパーリ(優波離)

ウパーリ(upaali、उपालि) 優波離(うばり)ブッダの十大弟子の一人で「持律第一」といわれています。ウパーリはインドのカースト制度の中でも下層であるスードラの出身で、カピラヴァストゥ城、釈迦族を担当する理髪師をしていました。ブッダがカピラヴァストゥ城に帰国し、スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)、ラーフラ(羅睺羅/密行第一)が弟子となった後、アニルッダ(阿那律・あなりつ)、跋提梨迦(五比丘の一人とは別人)、金毘羅、婆咎、アーナンダ(阿難陀)、デーヴァダッタ(提婆達多)の6人の諸王子がブッダの弟子となるらしいとの話を聞き、ウパーリはアニルッダに従いアヌピヤー村に向かいます。...
人物

アニルッダ(阿那律)

アニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)、阿那律(あなりつ)、阿㝹楼駄(あぬるだ)、アヌルッダ(Anuruddha)ブッダの従弟であり、十大弟子の一人で「天眼第一」といわれています。釈迦族のドロノダーナ(斛飯王)、あるいはアムリトダーナ(甘露飯)のどちらかの太子で、兄・マハーナーマ(摩訶男)の弟とされます。ブッダが故郷カピラヴァストゥ城に帰り、ナンダ(難陀)、ラーフラ(羅睺羅)がまず仏弟子となると、釈迦族の青年が次々と出家することになりました。アニルッダも兄のマハーナーマと相談して出家することになったといいます。あるいは、母親が兄弟共に出家させるのは忍びないので「バドリカ(跋提梨迦王...
人物

プールナマイトラーヤニープトラ(富楼那)

プールナマイトラーヤニープトラ(puurNamaitraayaniiputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)、富楼那弥多羅尼弗多羅(ふるなみたらにぷとら)、富楼那弥多羅尼子 (ふるなみたらにし)、富楼那(ふるな)ブッダの十大弟子の一人で「説法第一」といわれています。大勢いたブッダの弟子の中でも、弁舌に優れていたとされます。プールナマイトラーヤニープトラ(富楼那弥多羅尼弗多羅)のマイトラーヤニー(弥多羅尼)とは母の名で、プトラ(弗多羅)は子を意味します。同じく、富楼那弥多羅尼子とも書かれます。カピラヴァストゥ城近郊のドーナバストゥ(またはスナーパランタ)という、バラモン種族に生まれま...
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出家踰城

(仏伝「出家踰城(しゅっけゆじょう)」ロリアン・タンガイ出土クシャーン朝(2世紀頃))「どんなに身分が高くても、みな老い、病気になり、死んでいくではないか。バラモンだって同じだ。病気には身分や生まれなど関係ないのだから。日照りや洪水だって、彼らバラモンがどんなに神々に祈っても、まぬがれることはない。では、どうしたら、これらの恐怖に立ち向かうことが出来るのか。私は、生きているうちに、その答えを知りたい」シッダッタ(お釈迦様)は人生の生老病死の苦に疑問を抱き妻子を残し出家をします。ある日の明け方、真理(悟り)を求めるために出家の決意を決めたシッダッタは生まれ育ったカピラヴァストゥ城を去り、自らの髪...
人物

摩耶夫人(まやふじん)- お釈迦様の母

摩耶夫人とは、シッダッタ(お釈迦様)の生母のことです。梵語や巴語の「マーヤー(Māyā)」の音写で、マーヤー夫人とも表記されます。コーリヤ族の出身とされ、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)と結婚します。しかし、夫婦の間に世継ぎとなる子どもがなかなか生まれなかったのを悩んでいました。マヤ夫人という表記も。お釈迦様の誕生摩耶夫人はあるとき(ヴァイシャーカ月)に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされています。そして、臨月が近づいた摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとら...
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お釈迦様がルンビニで誕生

紀元前565年4月8日(ネパール・インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がルンビニで誕生する。(463年誕生説など諸説あり。ここでは565年誕生説に基づいて以降の出来事を記述しています。)ある日、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)の后であるマヤ夫人は白い象が体内に入る夢を見てご懐妊されました。長い間子どもが生まれなかった二人はとても喜びました。産む日が近づいたマヤ夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝...