仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
仏教を本気で学ぶ

門前掲示板(もんぜんけいじばん)- お寺の掲示板

門前掲示板とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。単に掲示板とも、伝導掲示板とも、呼ばれ方の違いはあるものの、多くのお寺で利用されています。門前掲示板の内容は様々ですが、お経やその宗派に因んだものから、書籍やマンガから抜粋されることもあります。文字だけではなく、イラストで現わされることもあります。更新頻度は1ヶ月のところが多いようですが、お彼岸やお盆、新年など、季節の節目やイベント時に特別な掲示物を貼りだすことも多いようです。・門前掲示板便り 一覧<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

木柾(もくしょう)

木柾とは、読経や唱題の時に叩いて音を出す仏具です。座布団状の台の上に円形や四角形の木柾を置き、木製のバチで叩くと、内部は空洞になっていて「カン・カン」と歯切れの良い甲高い音が出ます。日蓮宗や法華宗などで使われ、この木柾が作られるまでは木魚を使っていました。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

文殊菩薩とは、智慧をつかさどる大乗仏教の菩薩です。普通の人間でも三人あつまれば、よい考えを生むことが出来るという意味で「三人寄れば文殊の智慧」と一般にもよく使われています。梵名をマンジュシュリーといい、音写して文殊師利(もんじゅしゅり)となり、文殊は略称です。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいいます。その姿は、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持ち、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐して乗っている造形が描かれることが多いです。単独で安置されることや、釈迦三尊の脇侍として、向かって右に安置されることや、禅宗においては、剃髪し坐禅を組む僧形の「聖僧」(しょうそう)...
人物

学生モーガラージャ

学生モーガラージャは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】16、学生モーガラージャの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

網明仏(もうみょうぶつ)

網明仏とは、網の様に広く覆う光明ある者という意味の北方の現在仏です。梵語では jaliniprabha(ジャーリニー・プラバ)といいます。また、網明如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

木魚(もくぎょ)

木魚は仏具の一種、あるいは打楽器の一種として使われています。中国では北宋(960~1127年)の頃に魚形のものが現れていたようです。魚はまぶたがありませんね。ですから、その目は閉じることが出来ません。魚が昼夜目ざめているように見えることから、不眠勉学をさとし怠惰を戒めたことにもとづくといわれています。木魚がどのような用途で使われてきたかですが、はじめは寺院などで衆を集めるための鳴物であったようです。形は横に長く、魚の形をそのまま形どったものでした。木魚鼓(もくぎょく)、魚鼓(ぎょく)、魚板(ぎょばん)、魚ほう(ぎょほう:ほうは「木」へんに「邦」梆)などとも呼ばれていました。明(1368~164...
人物

森田童子(もりたどうじ)

女性シンガーソングライター。本名は非公開。芸名は笛吹童子に由来。テレビドラマ『高校教師』の主題歌として1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、シングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなった。生誕 1953年1月15日命日 2018年4月24日<< 戻る
人物

森光子(もりみつこ)

女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。主な作品テレビドラマ『時間ですよ』シリーズ『天国の父ちゃんこんにちは』シリーズ『じゃがいも』シリーズ『おしろい花』『花吹雪はしご一家』『せい子宙太郎』『敵か?味方か?3対3』『熱愛一家・LOVE』『なぜか初恋・南風』『かくれんぼ』『田中丸家御一同様』『お玉・幸造夫婦です』映画『川の流れのように』舞台『放浪記』『おもろい女』アテレコ『もののけ姫』生誕 1920年(大正9年)5月9日命日 2012年(平成24年)11月10日惠光院放譽花雪逗留大姉<< 戻る
人物

森繁久彌(もりしげひさや)

俳優、声優、歌手、コメディアン(喜劇俳優)、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。主な作品テレビドラマ『七人の孫』シリーズ『あんたがたどこさ』シリーズ『どてかぼちゃ』『三男三女婿一匹』シリーズ『熱い嵐』『関ヶ原』『森繁久彌のおやじは熟年』『ガンコおやじに敬礼!』『そして戦争が終った』『白虎隊』『おやじのヒゲ』シリーズ映画『三等重役』シリーズ『次郎長三国志』シリーズ『夫婦善哉』『警察日記』『社長シリーズ』『駅前シリーズ』『新・三等重役』シリーズ『恍惚の人』『喜劇 百点満点』『小説吉田学校』『流転の海』生誕 1913年(大正2年)5月4日命日 2009年(平成21年)11月10日慈願...
人物

森下博(もりしたひろし)

実業家、森下仁丹の創業者。広告宣伝を積極的に行って商品の名を広め、日本の広告王と称された。生誕 1869年12月5日(明治2年11月3日)命日 1943年(昭和18年)3月20日<< 戻る
人物

森鷗外(もりおうがい)

明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎。 石見国津和野出身。東京大学医学部卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。代表作『舞姫』(1890年)『うたかたの記』(1890年)『ヰタ・セクスアリス』(1909年)『青年』(1910年)『雁』(1911年)『阿部一族』(1913年)『山椒大夫』(1915年)『高瀬舟』(1916年)『渋江抽斎』(1916年、史伝)生誕 文久2年1月19日〈1862年2月17日〉命日 1922年〈大正11年〉7月9日貞献院殿文穆思斎大...
人物

本木昌造(もとぎしょうぞう/もときしょうぞう)

江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。諱は永久、幼名作之助または元吉。異表記に昌三、笑三、咲三。なお、木本昌造は誤記である。 通詞の家系へ養子に入り、幕府の通詞をする傍ら、西洋への興味から操船、造船、製鉄、活字製造などに関わった。生誕 文政7年6月9日(1824年7月5日)命日 1875年9月3日<< 戻る
人物

毛利敬親 / 慶親(もうり たかちか / よしちか)

長州藩の第13代藩主。敬親は幕末の混乱期にあって有能な家臣を登用し活躍させ、また若い才能を庇護することで窮乏していた長州藩を豊かにし幕末の雄藩に引き揚げ、結果として明治維新を成し遂げるきっかけを作った人物としても有名である。生誕 文政2年2月10日(1819年3月5日)命日 明治4年3月28日(1871年5月17日)<< 戻る
人物

木喰五行明満(もくじきごぎょうみょうまん)

江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。甲斐(山梨県)に生まれ、元文4 (1739) 年、22歳で出家し、宝暦 12 (1762) 年、相模国大山で木喰観海より木喰戒を受ける。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、生涯を通じて全国を行脚し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者として1000体以上の仏像を彫刻したと言われる。木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。生誕 1718年(享保3年)命日 1...
人物

本居宣長(も通りのりなが)

江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤と共に「国学の四大人」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身である。主要な作品『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』『玉勝間』生誕 享保15年5月7日(1730年6月21日)命日 享和元年9月29日(1801年11月5日)高岳院石上道啓居士<< 戻る
人物

森川許六(もりかわきょりく)

江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。生誕 明暦2年(1656)8月14日命日 正徳5年(1715)8月26日<< 戻る
人物

毛利輝元(もうりてるもと)

戦国時代後期から江戸時代前期にかけての大名。安芸の戦国大名・毛利氏14代当主。 豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となった。長州藩の藩祖でもある。生誕 天文22年1月22日(1553年2月4日)命日 寛永2年4月27日(1625年6月2日)天樹院殿前黄門雲巌宗瑞大居士<< 戻る
人物

最上義光(もがみよしあき)

戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、上杉景勝と戦い、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。生誕 天文15年1月1日(1546年2月1日)命日 慶長19年1月18日(1614年2月26日)光禅寺殿玉山道白大居士<< 戻る
人物

木食応其(もくじきおうご)

安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名を応其、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。小瀬甫庵の『信長記』では出家は25~6歳の頃であるとしている。また高野山入山のおり、十穀を絶つ木食行を行うことを発願している。応其は「客僧」という立場であり、学侶や行人、高野聖とも異なる存在であった。また密教大辞典では天下人から厚遇を受けた政遍からも戒を受け、仁和寺宮仁助法親王より三部の大法を受...
仏教を本気で学ぶ

後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。<< 戻る
人物

森長可(もりながよし)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系、河内源氏の棟梁・源義家の六男・義隆を祖とする森氏(仮冒の説あり)。父は森可成。兄に森可隆、弟に森成利ら。生誕 永禄元年(1558年)命日 天正12年4月9日(1584年5月18日)鉄開秀公大禅定門霊光院殿慧徳長榮日勝大居士<< 戻る
人物

森蘭丸(もりらんまる/成利/なりとし)

安土桃山時代の武将。織田信長の近習。俗称は蘭丸。本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。名前については異説が多く、幼名を乱(らん)とするものや、諱を長定(ながさだ)や長康(ながやす)とするものなど。生誕 永禄8年(1565年)命日 天正10年6月2日(1582年6月21日)月江宗春居士瑞桂院殿鳳山智賢居士正翁定是禅定門<< 戻る
人物

毛利元就(もうりもとなり)- 三本の矢

戦国時代の武将・大名。毛利氏の第12代当主。 安芸吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。元就は用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られている。家督を継いだ時点では小規模な国人領主に過ぎなかった毛利家を、一代で山陽・山陰10か国を領有する戦国大名の雄にまで成長させた。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物である。三本の矢死ぬ間際の元就が、3人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せて教訓を教えたという逸話がある。元就は最初に、1本の矢を...
仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵随聞記』33、もし人来って用事を云う中に

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】16、学生モーガラージャの質問

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
人物

モッガラーナ(目犍連、目連)

モッガラーナ(moggallaana、मोग्गळान)、目犍連(もっけんれん)、目連(もくれん)、摩訶目犍連(まかもっけんれん)ブッダの十大弟子の一人で「神通第一」といわれています。マガダ国のラージャグリハ(王舎城)北、コーリカ(拘利迦)村のバラモンの裕福な家系に生まれ、幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。容姿端麗で一切の学問に精通していたといわれます。幼い頃から隣村ナーラダのサーリプッタとは仲が良く、ある日、人々が祭りに興じて遊び戯れている姿を見て、無常を感じて出家を共に決意し合ったといわれます。モッガラーナとサーリプッタはマガダ国のラージャグリハの懐疑論者サンジャ...