仏教を本気で学ぶ

仏教三大聖木(無憂樹・菩提樹・沙羅双樹)

仏教三大聖木とは、ブッダ誕生の花である無憂樹(むゆうじゅ)、ブッダ悟りの木である菩提樹(ぼだいじゅ)、ブッダ入滅(にゅうめつ)の木である沙羅双樹(さらそうじゅ)のことをさします。<< 戻る
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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十四無記(じゅうしむき)

十四無記とは、お釈迦様がある形而上学的な問い、「世界の存続期間や有限性」「修行完成者の死後のあり方」「生命と身体の関係」といった仏道修行に直接関わらない、役に立たない関心についての問いに対して、回答、言及を避けた十四の無記のことをいう。十四難(じゅうしなん)ともいう。『倶舎論』『箭喩経(せんゆきょう)』等で確認できる。世界は、①常であるか②無常であるか③常かつ無常であるか④常でも無常でもないか⑤有辺であるか⑥無辺であるか⑦有辺かつ無辺であるか⑧有辺でも無辺ででもないか如来は、⑨死後存するか⑩存しないか⑪存しかつ存しないか⑫存しも存しなくもないか個我と身体は、⑬同じであるか⑭異なるか梵語(サンス...
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無憂樹(むゆうじゅ)

無憂樹とは、お釈迦さま誕生の花で、アショーカというマメ科の植物です。阿輸迦(あそか)の木とも呼ばれ、黄色から橙色の花を咲かせます。また、三大聖木の一つです。臨月が近づいたお釈迦さまの母親である摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝に右手を掛けられた時、お生まれになったのがお釈迦さまです。摩耶夫人が何の心配もなく安らかに出産したことから、後に無憂樹と名付けられたそうです。その名の通り憂いの無い木としてインドでは...
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牟呼栗多(むこりった)

牟呼栗多とは、「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味を持ち、時間の単位を表します。『摩訶僧祇律』では、須臾(しゅゆ)と表記されています。それによると、1昼夜 = 30須臾(牟呼栗多)1須臾(牟呼栗多) = 20羅予(らよ)『大毘婆沙論』『倶舎論』では、1昼夜 = 30牟呼栗多1牟呼栗多 = 30臘縛(ろうばく)1昼夜とは24時間で、1440分 = 30牟呼栗多よって、1牟呼栗多は約48分を表します。ただし、上記は一例で、この単位が表す時間の程度には使われ方によって幅があります。また、松山ケンイチ主演で公開された映画「川っぺりムコリッタ」は、ここで説明している牟呼栗多から採られ、この映画は「かも...
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無尽意菩薩(むじんにぼさつ)

無尽意菩薩は、梵語では、アクシャヤマティ・ボーディサットヴァといい、全ての衆生に満足を与え、尽きることのない智慧を持った菩薩です。菩薩の姿は、如来のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。(画像は観音菩薩立像)<< 戻る
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ムンジャ草

ムンジャ草とは、インド全域の平野に自生するサトウキビ属の草。中国にも分布し、高さ7メートルに達するものもある。若い穂は食用になるが、このワラで衣や敷具をつくった。柔らかい乾草。干し草。<< 戻る
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無量天鼓震大妙音仏(むりょうてんくしんだいみょうおんぶつ)

無量天鼓震大妙音仏とは、その音声が太鼓の響きの如き者という意味の北方の現在仏です。梵語では dundubhisvaranirghosa(ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ)といいます。また、無量天鼓震大妙音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量相仏(むりょうそうぶつ)

無量相仏とは、無量のかたまりを持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitaskandha(アミタ・スカンダ)といいます。また、無量相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量幢仏(むりょうどうぶつ)

無量幢仏とは、無量なる幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitadhvaja(アミタ・ドバージャ)といいます。また、無量幢如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無我(むが)

”私”と認識されるものには永遠なる実体がないことを無我と言います。全ての物事に実体がないことを諸法無我と言います。常に変化する世界で、例えば、私の細胞は常に生き死にしています。水分を飲んで、食事して栄養は吸収し排出されます。適度な温度、適度な空気がなければ生きられません。私の実体はどこからどこまででしょうか?それらの周りの環境なしでは”私”は生きることが出来ません。仏教は約2500年前にインドでブッダ(お釈迦様)によりはじまりました。インドで”我”とは「アートマン」のことです。アートマンとは、輪廻の主体と考えられていてます(仏教の教えではありません)。例えば、前世は鳥であったが、今世は人間に生...
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無常(むじょう)

常に変化していることを無常と言います。全ての物事が常に変化していることを諸行無常と言います。これを聞いて、多くの人は「当たり前だな」と思うわけですが、私たちは同時に大切なもの、大切な人、大切な活動、大好きな場所などは「変わらないでほしい」という気持ちも自然にあります。無常を前提に、後者を大切にして生きるのか、無常を無視して大切なもの、大切な人、大切な活動、大好きな場所などに永遠を求めるて生きるのかは大きな違いだと思います。失う苦しみも大きいかもしれません。その他の方法として、どちらも曖昧にしておく、考えないということも出来ます。しかし、「当たり前だな」と分かっていることを隠すことは得策でしょう...
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六七日(むなのか)- 檀弘忌

六七日のことを檀弘忌(だんこうき)とも言います。亡くなられた日から数えて42日目に行なわれます。また、関西ではお逮夜を重視して41日目にする場合があります。六七日の本尊・弥勒菩薩は智恵の菩薩です。無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。<< 戻る
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無明(むみょう)

無明とは、私たちの存在の根底にある根本的な無智のことです。これが私たちの迷いの根本原因となっています。生・老・病・死などの全ての苦をもたらす原因であり、無明を滅することによって、私たちの苦も消滅します。十二因縁の第一。愚かさ。迷い。最も根本的な煩悩。真実を見失った無知。真理にくらいこと。迷いの根源。梵語(サンスクリット語) avidya巴語(パーリ語) avijja・「この汚れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明こそ最大の汚れである。修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。」(ダンマパダ 243偈)<< 戻る
人物

村田英雄(むらたひでお)

演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。生誕 1929年(昭和4年)1月17日命日 2002年(平成14年)6月13日玉泉院英聲日楽大居士<< 戻る
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無漏(むろ)

無漏とは、人間の肉体的に外に漏れ出る不浄物がないことです。また、人間の精神的に煩悩のけがれのないことをいいます。汚れのないこと、煩悩のなくなった境地をいいます。つまり、修行者としての最終段階である阿羅漢果に達することです。有漏の対。煩悩を無くし、人格を完成することを無漏や無尽(むじん)といいます。梵語(サンスクリット語) anāsrava アナースラバ巴語(パーリ語) anasava・「その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼の足跡は知り難い。空飛ぶ鳥の迹の知り難いように。」(ダンマパダ 93偈)<< 戻る
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無為(むい)

無為とは、つくられたものでないもののことです。種々の原因・条件(因縁)によって生成されたものではない存在のことです。因果関係を離れている存在であり、成立・破壊を超えた超時間的な存在であり、生滅変化を超えた常住絶対の真実のことを指します。⇔有為。無為は涅槃の異名とされています。大乗仏教では真如そのものと同一視されています。唯識説では空と同一視されています。上座部仏教のアビダルマ教学では、虚空無為・択滅無為・非択滅無為の三種があると説かれています。中国の仏教、特に禅宗などでは、一切のものに対して、捕らわれたり求めたりする心を捨てて、淡々として仏道に徹していくこと、何もなくひっそりとしていて、全ての...
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無道心(むどうしん)

無道心とは、悟りを求める道心のないこと、菩提心のないことをいいます。・「無道心の者、仮名に僧堂に居するは、半時片時なりともなお眠るべし。道心あって修行の志あらんは、長からんにつけ喜び修せんずるなり。」(『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時)・「無智の道心、始終退する事多し。智慧ある人、無道心なれどもついに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先ず道心の有無をいわず、学道勤労すべきなり。」(『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると)<< 戻る
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無願(むがん)

無願とは、欲求や目的などの特別な願を持たないことで、欲望を離脱した状態です。また、三解脱門の1つに数えられます。梵語(サンスクリット語) apranidhana巴語(パーリ語) apranihita<< 戻る
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無相(むそう)

無相とは、形やすがたがないことです。また、一定の形態や様相を持たないこと。物事には固定的、実体的な姿というものがないという意味です。対義語は有相(うそう)ですが、無相のいわんとするところは有相・無相を超えた空の姿を示しています。また、三解脱門の1つに数えられます。巴語(パーリ語) animitta・「財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼らの行く路(足跡)は知り難い。空飛ぶ鳥の迹が知り難いように。」(ダンマパダ 92偈)<< 戻る
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『無量寿経』(むりょうじゅきょう)

無量寿経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとの梵語(サンスクリット語)では सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)となります。同タイトルの『阿弥陀経』と区別して『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『阿弥陀経』の『小経』に対して、無量寿経を『大経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりお経の解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈...
人物

椋鳩十(むくはとじゅう)

小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂。日本における動物文学の代表的人物。代表作片耳の大鹿大空に生きる孤島の野犬マヤの一生大造じいさんとガン生誕 1905年1月22日命日 1987年12月27日<< 戻る
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武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)

小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。 姓の武者小路は本来「むしゃのこうじ」と読むが、後に「むしゃこうじ」に読み方を変更した。しかし、一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと糺すことはなかったという。 仲間からは「武者」の愛称で呼ばれた。代表作『お目出たき人』(1911年)、『その妹』(1915年,戯曲)、『幸福者』(1919年)、『友情』(1919年)、『人間万歳』(1922年,戯曲)、『愛慾』(1926年,戯曲)、『愛と死』(1939年)、『真理先生』(1951年)など多数。生誕 1885年(明治18年)5月12日命日 1976年(昭和51年)4月9日<< 戻る
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棟方志功(むなかたしこう)

板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。 青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。生誕 1903年(明治36年)9月5日命日 1975年(昭和50年)9月13日華厳院慈航真海志功居士※「海」カイは「毎」の下に「水」がある漢字が使われている。<< 戻る
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陸奥宗光(むつむねみつ)

武士(紀州藩士)、外交官、政治家。明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えた。また、カミソリ大臣と呼ばれ、第2次伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之助(ようのすけ)。生誕 天保15年7月7日(1844年8月20日)命日 1897年8月24日<< 戻る
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村田新八(むらたしんぱち)

武士(薩摩藩士)・政治家。明治10年以降、賊軍の将として遇されたが、大正5年(1916年)4月11日に正五位を追贈されて名誉回復した。生誕 天保7年11月3日(1836年12月10日)命日 明治10年(1877年)9月24日<< 戻る
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村田珠光(むらたじゅこう)

室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者とされる人物。なお僧侶であり本来ならば苗字は持たないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。 近年では「しゅこう」と濁らないとする説もある。奈良に出生し、11歳の時、奈良の浄土宗・称名寺に入り出家。僧名である「珠光」の名は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』の語句「一々の珠、一々の光」からとられた。20歳以前に称名寺を出る。その後の経歴は不明。応仁の乱の頃には、奈良に帰るが、称名寺には戻らずに、東大寺の近くの北川端町で、庵を営む。当時の北川端町は、民家もない田園だった(『奈良坊目拙解』より)。生誕 応永29年(1422年)または30年(1423...
人物

夢窓疎石(むそうそせき)

鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元(中国)の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)...
人物

無住(むじゅう)

鎌倉時代後期の僧。字は道暁、号は一円。宇都宮頼綱の妻の甥。臨済宗の僧侶と解されることが多いが、当時より「八宗兼学」として知られ、真言宗や律宗の僧侶と位置づける説もある他、天台宗・浄土宗・法相宗にも深く通じていた。 梶原氏の出身と伝えられる。『沙石集』は54歳の時に執筆し、数年かけて5巻を完成させたが、死ぬまで手を加え続けた結果、全10巻となった。上野国の長楽寺を開き、武蔵国の慈光寺の梵鐘をつくり、1262年(弘長2年)に尾張国長母寺(ちょうぼじ)を開創してそこに住し、80歳の時、寺内桃尾軒に隠居している。和歌即陀羅尼論を提唱し、「話芸の祖」ともされる。生誕 1227年1月17日(嘉禄2年12月...
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「正法眼蔵」無情説法(むじょうせっぽう)

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「正法眼蔵」夢中説夢(むちゅうせつむ)

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『正法眼蔵随聞記』25、無常迅速なり、生死事大なり

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