人物

みのもんた

フリーアナウンサー、総合司会者、ニュースキャスター、タレント、実業家。主な出演番組『午後は○○おもいッきりテレビ』『どうぶつ奇想天外!』『学校へ行こう!』『クイズ$ミリオネア』『みのもんたの朝ズバッ!』『みのもんたのサタデーずばッと』『秘密のケンミンSHOW』など。2006年11月28日に「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(記録:21時間42分)」という記録が、『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。生誕 1944年〈昭和19年〉8月22日命日 2025年〈令和7年〉3月1日法号(戒名) 悠照院法道日国居士(ゆうしょういんほうどうにっこくこじ)<< 戻る
仏教を学ぶ

弥勒菩薩(みろくぼさつ)

弥勒菩薩は、ブッダの次にブッダとなることが約束された菩薩で、そのことから、弥勒仏、弥勒如来とも呼ばれます。梵名をマイトレーヤ、パーリ名をメッテイヤといい、音写して、弥勒となりました。意味は「慈しみ」(梵: maitrī, 巴: mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(慈しみという名の菩薩)とも意訳されます。ブッダの入滅(にゅうめつ)後56億7000万年ののち、仏になると約束された菩薩です。阿逸多菩薩、アジタと記述される場合もあります。現在は、兜率天(とそつてん)で菩薩として修行・説法してますが、ブッダの入滅後56億7千万年後の未来に至ると、ブッダにかわって衆生を救済する為に、この世に出現すると...
仏教を学ぶ

御影堂(みえいどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを御影堂といいます。宗派によって、開山堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。真言宗の御影堂などでは、伽藍の中心から外れて建てられることが多いですが、日蓮宗では本堂と並ぶことが多く、浄土宗では御影堂が本堂であり、浄土真宗・真宗では本堂である阿弥陀堂と並んで建てられることが多くあります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。御影堂であるからこの形で建てられているという見分けは、宗派を超えて見る場合は判断出来ません。ちなみに、例にあげた東本願寺の御影堂は、木...
人物

ミガーラ(弥伽羅/鹿子)

ミガーラは『スッタニパータ【第3 大いなる章】12、二種の観察』内に登場する鹿子母講堂の関連人物で、妻であるヴィサーカーと共にお釈迦様の在家信者です。<< 戻る
人物

水木しげる(みずきしげる)

漫画家。大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町育ち。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家としてデビュー。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』『総員玉砕せよ!』『のんのんばあとオレ』『日本妖怪大全』生誕 1922年3月8日命日 2015年11月30日大満院釋導茂(覚證寺-東京都調布市)<< 戻る
人物

三國連太郎(みくにれんたろう)

俳優、映画監督。主な作品映画『善魔』(1951年)『戦国無頼』(1952年)『太平洋の鷲』(1953年)『宮本武蔵』(1954年)『警察日記』(1955年)『ビルマの竪琴 第一部・第二部』(1956年)『異母兄弟』(1957年)『鷲と鷹』(1957年)『切腹』(1962年)『飢餓海峡』(1965年)『にっぽん泥棒物語』(1966年)『神々の深き欲望』(1968年)『襤褸の旗』(1974年)『金環蝕』(1975年)『犬神家の一族』(1976年)『八甲田山』(1977年)『復讐するは我にあり』(1979年)『マルサの女2』(1988年)『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年 - 2009年)『利休』...
人物

光本幸子(みつもとさちこ)

女優。テレビドラマ『必殺仕事人・激突!』『鬼平犯科帳』。映画『男はつらいよ』『シベリア超特急2』『隠し剣 鬼の爪』など多数出演。生誕 1943年8月25日命日 2013年2月22日麗光院演妙真幸大姉<< 戻る
人物

南方英二(みなかたえいじ)

和歌山県田辺市出身。お笑い芸人グループであるチャンバラトリオの頭(かしら)、ハリセン係。生誕 1932年11月21日命日 2010年2月26日<< 戻る
人物

ミッキー安川(ミッキーやすかわ)

タレント、ラジオパーソナリティ、随筆家、実業家。1959年、映画『花嫁さんは世界一』(新藤兼人監督)で俳優デビュー。以後、日本国外での豊富な経験を生かして俳優や司会などを始めとするタレント活動を行う。石原裕次郎やその兄で作家の石原慎太郎をはじめ、幅広い交友関係を持っていた。生誕 1933年2月10日命日 2010年1月18日<< 戻る
人物

三木たかし(みきたかし)

作曲家。本名は渡邊匡(わたなべ ただし)。歌手・女優の黛ジュン(本名: 渡邊順子)は実妹にあたる。渡辺たかし名義の作品も存在する。「能登半島」/石川さゆり(1977年)、「きみ可愛いね」/伊藤咲子(1976年)、「お元気ですか」/清水由貴子(1977年)など多数。生誕 1945年1月12日命日 2009年5月11日耀功院奏心匡道居士<< 戻る
人物

水野晴郎(みずのはるお)

映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNOの名義を使っていた。水曜ロードショーや金曜ロードショーの映画解説を務め「いや~、映画って本当にいいものですね」の決め台詞が有名。映画『シベリア超特急』では、監督・原作・脚本(MIKE MIZNO名義)に加え、主演まで果たした。生誕 1931年7月19日命日 2008年6月10日<< 戻る
人物

宮脇俊三(みやわきしゅんぞう)

編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。デビュー作『時刻表2万キロ』(1978年)。『最長片道切符の旅』『鉄道廃線跡を歩く』シリーズなど多数の作品がある。生誕 1926年12月9日命日 2003年2月26日鉄道院周遊俊妙居士<< 戻る
人物

三波春夫(みなみはるお)

新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の浪曲師、演歌歌手。和服姿の男性歌手「三波春夫」として「チャンチキおけさ」でデビュー。「お客様は神様です」の名台詞と共に国民的歌手として多くの人々に親しまれた。生誕 1923年7月19日命日 2001年4月14日大乗院法音謡導日春居士<< 戻る
人物

宮路年雄(みやじとしお)

実業家。家電量販店「城南電機」を運営していた信光電機の代表取締役社長。身長154cmという小さな体躯と独特のダミ声に加え明るいキャラクターで、城南電機の宮路社長としてテレビ番組にも出演した。生誕 1928年8月20日命日 1998年5月9日実徳院釋大雄<< 戻る
人物

三船敏郎(みふねとしろう)

俳優・映画監督・映画プロデューサー。本名は同じ。 中国・青島市の生まれで、軍隊生活を送った後、1947年に東宝ニューフェイス第1期生として入社し『銀嶺の果て』で映画デビューした。翌年の『醉いどれ天使』から黒澤明とコンビを組んで『羅生門』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『用心棒』など計15本に主演したほか、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』、熊井啓監督『黒部の太陽』や、墨映画『価値ある男』、米映画『グラン・プリ』、『太平洋の地獄』、米ドラマ『将軍 SHOGUN』、仏映画『レッド・サン』といった海外映画にも多く出演した。黒澤が世界的な監督になると共に、三船も国際的なスターとなり、世界中の映画関係者に影響...
人物

南利明(みなみとしあき)

喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。脱線トリオを1956年に結成。コメディ『てなもんや三度笠』、映画『やくざ刑事シリーズ』『トラック野郎シリーズ』。生誕 1924年3月14日命日 1995年1月13日<< 戻る
人物

美空ひばり(みそらひばり)

歌手、女優、実業家。国民栄誉賞。生誕 1937年(昭和12年)5月29日命日 1989年(平成元年)6月24日茲唱院美空日和清大姉<< 戻る
人物

御手洗毅(みたらいたけし)

実業家、医師。キヤノン創業者・初代社長。また、太平洋戦争以前は産婦人科医として御手洗産婦人科病院を開業。甥はキヤノン社長や日本経済団体連合会会長を務めた御手洗冨士夫。生誕 1901年3月11日命日 1984年10月12日<< 戻る
人物

三原脩(みはらおさむ)

プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・球団経営者。 香川県仲多度郡神野村(現・まんのう町)出身。 選手としては、1934年に発足した大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)の契約第1号。監督としては、選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で数々の名勝負を演出し「三原魔術」「三原マジック」とも呼ばれた。後にあらゆる名将に付けられた「○○マジック」の元祖的存在であり、「魔術師」「知将」の異名をとった。「野球は筋書きのないドラマである」という言葉を残した。生誕 1911年11月21日命日 1984年2月6日顯徳院釋脩道<< 戻る
人物

三波伸介(みなみしんすけ)

コメディアン・俳優・司会者・タレント。本名・澤登 三郎。昭和期を代表するテレビスターのひとり。東京府東京市本郷区出身。当たりギャグは「びっくりしたナァ、もう!」。生誕 1930年6月28日命日 1982年12月8日施明院太伸三省居士<< 戻る
人物

水原弘(みずはらひろし)

歌手・俳優。愛称は「おミズ」。生誕 1935年(昭和10年)11月1日命日 1978年(昭和53年)7月5日玅音院釋正弘居士<< 戻る
人物

三宅大輔(みやけだいすけ)

東京都出身の野球選手・プロ野球監督。大日本東京野球倶楽部初代監督。生誕 1893年4月16日命日 1978年1月3日<< 戻る
人物

三島海雲(みしまかいうん)- カルピスの誕生

明治・大正・昭和時代の実業家。特にカルピス株式会社の創業者として著名。三島海雲は、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなくの1902(明治35)年、大学からのすすめもあり中国へ渡ります。1905(明治38)年から雑貨商の事業を手がけるようになり、ある時、内モンゴルの地を訪れました。長旅の疲れですっかり胃腸が弱り、体調を崩していましたが、酸乳や馬乳酒といった乳酸菌を用いた飲料を飲んでいるうちに胃腸の調子が良くなり、体調も回復したといいます。1915(大正4)年、...
人物

三島由紀夫(みしまゆきお)

小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型、身長は163cm。本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家です。代表作 『仮面の告白』(1949年)『潮騒』(1954年)『近代能楽集』(1956年)『金閣寺』(1956年)『鹿鳴館』(1956年)『鏡子の家』(1959年)『憂国』(1961年)『サド侯爵夫人』(1965年)『豊饒の海』(1965年-1970年)生誕 1925年〈大正14年〉1月14日命日 1970年〈昭和45年〉11月25日彰武...
人物

三好達治(みよしたつじ)

大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。日蓮宗本山本満寺貫首を務めた三好龍紳は実弟。代表作『測量船』(1930年)、『駱駝の瘤にまたがつて』(1952年)など多数。生誕 1900年(明治33年)8月23日命日 1964年(昭和39年)4月5日法治院平安日達居士<< 戻る
人物

南方熊楠(みなかたくまぐす)

博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。生誕 1867年5月18日(慶応3年4月15日)命日 1941年(昭和16年)12月29日智荘厳院鑁覚顕真居士<< 戻る
人物

宮沢賢治(みやざわけんじ)

詩人、童話作家。 仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーブと名付けたことで知られる。代表作『注文の多い料理店』(1924年)「雨ニモマケズ」(1931年)「銀河鉄道の夜」(未定稿)『風の又三郎』(1934年)生誕 1896年(明治29年)8月27日命日 1933年(昭和8年)9月21日真金院三不日賢善男子<< 戻る
人物

水野忠邦(みずのただくに)

江戸時代後期の大名、老中。肥前国唐津藩主、のち遠江国浜松藩主。1841年から天保の改革を行ったことで著名。生誕 寛政6年6月23日(1794年7月19日)命日 嘉永4年2月10日(1851年3月12日)英烈院忠亮孝友大居士<< 戻る
人物

三井高利(みついたかとし)

江戸時代の商人である。通称は八郎兵衛。三井家(のちの三井財閥)の基礎を築いた。三井中興の祖と言われる。「現金掛け値なし」で呉服の廉価販売を始め、また呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆して切り売りをし、庶民の大人気となった。生誕 元和8年(1622年)命日 元禄7年5月6日(1694年5月29日)松樹院長誉宗寿居士<< 戻る
人物

宮本武蔵(みやもとむさし)

江戸時代初期の剣術家、兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名で、後世、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっている。特に吉川英治の小説が有名であるが史実と異なった創作が多いことに注意する必要がある。外国語にも翻訳され出版されている自著『五輪書』には十三歳から二九歳までの六十余度の勝負に無敗と記載がある。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など水墨画・鞍・木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。生誕 天正12年(1584年)命...
仏教を学ぶ

妙心寺派(本山妙心寺(京都))の開派

南朝:延元2・北朝:建武4(1337)年、関山恵玄禅師により始まる。末寺3400ケ寺を持つ臨済宗最大の宗派。臨済宗妙心寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

明恵(みょうえ)

鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される。明恵は『大唐天竺里程記』(だいとうてんじくりていき)をつくり、天竺(インド)へ渡って仏跡を巡礼しようと企画したが、春日明神の神託のため、これを断念した。明恵はまた、これに先だつ建仁2年(1202年)にもインドに渡ろうとしたが、このときは病気のため断念している。遁世僧となった明恵は、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて高山寺を開山し、華厳教学の研究などの学問や坐禅修行などの観行に励み、戒律を重んじ...