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鳥山明(とりやまあきら)

鳥山明は、漫画家やデザイナーとして活躍しました。代表的な漫画は『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』。また、キャラクターデザインを手がけた『ドラゴンクエスト』『クロノ・トリガー』も世代を超えて知られている。尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、幼少時には『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日描いていた。同じく、一番影響を受けたのはディズニーアニメで、『101匹わんちゃん大行進』のディフォルメに影響を受けて毎日模写をしていたという。生誕 1955年〈昭和30年〉4月5日命日 2024年〈令和6年〉3月1日<< 戻る
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東司(とうす)

仏教寺院においてトイレ・便所のことを東司と呼ばれることが多くあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。禅宗寺院や密教寺院では古くから東司の守護神として、「トイレの神様」で再注目された烏芻沙摩明王が祀られています。また、三黙道場のひとつにも数えられています。修行寺院では多くの僧侶が使用し、参拝客が多い寺院でも使用者が多いため、脚下照顧(きゃっかしょうこ)等の貼り紙でマナー向上を訴えていることが現在では多く見られます。画像は東福寺の東司で、桁行7間、梁間4間、一重、切妻造本瓦葺で、現存、国内最古最大のものです。(東司 東福寺)<< 戻る
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投薬(とうやく)

投薬とは、病気や症状に応じて薬を与えることで「患者に投薬する」というような使われ方をします。しかし、その語源が仏教によること、さらにはお釈迦様の涅槃に関することだと知っていますか?今回は、その詳細をまとめていこうと思います。お釈迦様は最後の旅の途中で病気になり、クシナガラの沙羅双樹の間に横になり、今まさに涅槃に入ろうとしていることをお釈迦様がルンビニで誕生して7日後に亡くなった生母・摩耶夫人が天界で知ります。摩耶夫人は、お釈迦様がもっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いから、長寿の薬を与えようと急いでその場所まで行き、お釈迦様が沙羅双樹の間に横になっている枕元を目がけて薬を投げました...
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トーデーヤ・バラモン

トーデーヤ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内でお釈迦様の生きていた時代、コーサラ国のイッチャーナンガラ村に住んでいる著名なバラモンとして紹介されています。<< 戻る
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学生ドータカ

学生ドータカは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】6、学生ドータカの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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学生トーデイヤ

学生トーデイヤは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】10、学生トーデイヤの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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ドーナ・バラモン

ドーナ・バラモンは、コーリヤ族出身で『ブッダ最後の旅【 第6章 】26、遺骨の分配と崇拝』に登場します。お釈迦様の遺骨をどうするかを仲裁したバラモンとして知られています。お釈迦様が荼毘に付された後、その遺骨を分けて欲しいと7種族が申し出ました。しかし、クシナガラに住むマッラ族は「我々の住む土地でブッダはお亡くなりになられたのだから、一部分をも分け与えない」と言いました。それに対して、ドーナ・バラモンが次のようなことを言いました。「我らのブッダは耐え忍ぶことを説くかたでありました。最上の人の遺骨を分配する為に争うのはよくありません。我らはともに喜び合って遺骨を八つの部分に分けましょう。多くの人々...
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土建屋よしゆき(どけんやよしゆき)

京都府京都市伏見区に在住し、主に関西で活動していたタレント。所属事務所はオフィスとんで。本業は“土建屋(土木建設業)”の大型重機オペレーターであり、土建屋の格好をしているのが特徴。島田紳助とは学生時代からの同級生で、一時期は紳助の番組に多数出演していた。趣味はモータースポーツ全般。生誕 1955年10月25日命日 2014年7月31日浄観吉光禅定門<< 戻る
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貪欲(とんよく)

貪欲とは、自分の欲しいままに貪り求めること、自分の情にかなうものを受け入れて飽くことを知らないことです。度を越えて欲の深いこと、名声や利益を貪ること、そのような事柄を指します。三毒の一つ。五蓋の一つ。・「貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、サイの角のようにただ独り歩め。」(スッタニパータ 74偈)・「その儀を守ると云うは、我執を捨て、知識の教に随うなり。その大意は、貪欲無きなり。貪欲なからんと思わば先ずすべからく吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり。」(『正法眼蔵随聞記』17、人その家に生まれ、その道に入らば)<< 戻る
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道心(どうしん)

道心とは、悟りを求める心、または、悟りを得た人が他の人々を悟らせる心をいいます。自利利他の心。菩提心。・「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。」(「正法眼蔵」道心)・「学道の人も、初めより道心なくとも、ただ強いて道を好み学せば、終には真の道心も起るべきなり。」(『正法眼蔵随聞記』5、古人云く、聞くべし見るべし)・「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。」(天台法華宗年分学生式)関連:道心者。無道心。<< 戻る
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道心者(どうしんしゃ)

道心者とは、仏道に精進する人、また、道心があって修行する在家の修行者をいいます。・「道心者と云うは、昔より三国皆貧にして身を苦しめ、つづまやかにして慈あり道あるを真の行者と云うなり。」(『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時)<< 戻る
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富沢幹雄(とみざわみきお)

将棋棋士。山本樟郎八段門下。棋士番号は34。福島県生まれ。改名前は富沢伝助。生誕 1920年4月20日命日 1998年1月10日<< 戻る
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戸板康二(といたやすじ)

演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。「車引殺人事件」で推理作家としてデビュー。「団十郎切腹事件」によって直木賞を受賞する。様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』の5冊を数える名シリーズとなった。その他、作品多数。生誕 1915年12月14日命日 1993年1月23日<< 戻る
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冨澤有爲男(とみさわういお)

作家、画家。『地中海』『東洋』『侠骨一代』など多数。生誕 1902年3月29日命日 1970年1月15日<< 戻る
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徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
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峠三吉(とうげさんきち)

詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る
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鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)

人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者。『ある老学徒の手記』生誕 1870年5月4日(明治3年4月4日)命日 1953年(昭和28年)1月14日<< 戻る
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東郷平八郎(とうごうへいはちろう)

幕末から昭和時代初めの武士、海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。生誕 弘化4年12月22日(1848年1月27日)命日 昭和9年(1934年)5月30日<< 戻る
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徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍。在任中に江戸入城しなかった唯一の将軍であり、最も長生きした将軍。御三卿一橋徳川家の第9代当主時に将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務める。徳川宗家を相続した約4か月後に第15代将軍に就任。生誕 1837年10月28日〈天保8年9月29日〉命日 1913年〈大正2年〉11月22日<< 戻る
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徳川家茂(とくがわいえもち)

江戸幕府第14代征夷大将軍。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を受けて慶福と名乗っていた。 実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたる。将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主であった。 徳川斉順の嫡男であるが、父は家茂が生まれる前に薨去している。祖父は第11代将軍徳川家斉、祖母は妙操院。御台所は孝明天皇の皇妹・親子内親王(静寛院宮)。第13代将軍・徳川家定の後継者問題が持ち上がった際、家定の従弟にあたる慶福は徳川家一門の中で将軍家に最も近い血筋であることを根拠に、大老で譜代筆頭の彦根藩主井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となった。生誕 弘化3年閏5月...
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徳川斉昭(とくがわなりあき)

江戸時代後期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)将軍徳川慶喜の実父である。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人。しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。生誕 寛政12年3月11日(1800年4月4日)命日 万延元年8月15日(1860年9月29日)<< 戻る
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徳川家定(とくがわいえさだ)

江戸幕府の第13代征夷大将軍。第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。しかし家定も幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った。天保12年(1841年)に大御所・徳川家斉(第11代将軍。家定の祖父)の死後、(第12代将軍・家慶の)世嗣となる。しかし家慶は、家定の継嗣としての器量を心配して、一橋家の徳川慶喜を将軍継嗣にしようと考えたほどである。だが、老中・阿部正弘らが反対したため、結局は家定を将軍継嗣とした。黒船来航の19日後にあたる嘉永6年6月22日(1853年7月27日)、家慶が病死したことを受け家定は第1...
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徳本行者(とくほんぎょうじゃ)

江戸時代後期の浄土宗の僧侶。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人とも呼ばれた。27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名...
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鳥居清長(とりいきよなが)

江戸時代の浮世絵師。鳥居派四代目当主。鳥居派の代表的な絵師。 鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、それらや後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。特に堂々たる八頭身の美人画で、今日世界的に高く評価されている。生誕 宝暦2年〈1752年〉命日 文化12年5月21日〈1815年6月28日〉長林英樹信士<< 戻る
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徳川家治(とくがわいえはる)

江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。生誕 元文2年5月22日(1737年6月20日)命日 天明6年8月25日(1786年9月17日)浚明院殿贈正一位大相国公<< 戻る
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徳川吉宗(とくがわよしむね)

江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康の曾孫に当たる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月27日)命日 寛延4年6月20日(1751年7月12日)有徳院殿贈正一位大相国<< 戻る
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徳川家宣(とくがわいえのぶ)

江戸幕府第6代将軍(在職:1709年 - 1712年)である。 甲府藩主・徳川綱重(甲府宰相)の長男で、母はお保良の方(長昌院)。正室は近衛基熙の娘・熙子(天英院)。子に徳川家継ほか。第3代将軍・徳川家光の孫に当たる。同母弟に松平清武、その子で甥に松平清方がいる。幼名は虎松。初名は綱豊。生誕 寛文2年4月25日(1662年6月11日)命日 正徳2年10月14日(1712年11月12日)文昭院殿贈正一位大相国公文昭院殿順蓮社清譽廓然大居士<< 戻る
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徳川綱吉(とくがわつなよし)

上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代征夷大将軍(在職:1680年 - 1709年)。第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。「生類憐みの令」生誕 正保3年1月8日(1646年2月23日)命日 宝永6年1月10日(1709年2月19日)常憲院殿贈正一位大相国公<< 戻る
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徳川光圀(とくがわみつくに)

常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)命日 元禄13年12月6日(1701年1月14日)<< 戻る
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土佐光起(とさみつおき)

江戸時代の土佐派を代表する絵師。和泉国堺出身。父は土佐光則。本姓は藤原、幼名は藤満丸。住吉如慶は父の門人。子は土佐光成、土佐光親。大和絵の主流だった土佐派にあきたらず、ライバルの狩野派や宋元画を学び、従来の温雅なやまと絵に克明な写生描法を取り入れ、江戸時代の土佐派様式を確立した。特に南宋の院体画家李安忠の「鶉図」(国宝。現在は根津美術館蔵)を父譲りの細密描法を用いてしばしば描き、後の土佐派の絵師たちに描き継がれている。江戸中期の国学者、有職故実家である橋本経亮は著書『梅窓筆記』(享和元年(1801年))で、光起の鶉の絵に猫が飛びかかったという伝承を記している。また画題の面でも、風俗画や草木図な...
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徳川家光(とくがわいえみつ)

江戸幕府の3代将軍。2代将軍秀忠の次男である。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみである。生誕 慶長9年7月17日(1604年8月12日)命日 慶安4年4月20日(1651年6月8日)大猷院殿贈正一位大相国公<< 戻る
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土井利勝(どいとしかつ)

安土桃山時代から江戸時代初期の武将、譜代大名。江戸幕府の老中・大老。下総国小見川藩主、同佐倉藩主、同古河藩初代藩主。土井家宗家初代。徳川秀忠政権における老中として、絶大な権勢を誇った。生誕 元亀4年3月18日(1573年4月19日)命日 寛永21年7月10日(1644年8月12日)宝池院殿前拾遺穏誉泰翁覚玄大居士<< 戻る