仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
仏教を本気で学ぶ

ブッダ最後の旅の登場人物

『ブッダ最後の旅』に登場する主な人物についてまとめました。紹介する人物以外にも話の中で人物名が出てきたり、○○村の信者という形で登場したり、多くの人々が登場している話です。① ブッダ(お釈迦様)この『ブッダ最後の旅』はお釈迦様の涅槃にいたるまでの記録です。最後にどのような様子だったのか、最後にどのような説法を行なったのか、時系列で記されています。② アーナンダ(阿難)アーナンダは25歳の時に出家し、ブッダが涅槃に入るまで25年間常に侍者として、身の回りの世話を行いました。この『ブッダ最後の旅』はアーナンダが見聞きしたことが記録されています。③ アジャータシャトル(阿闍世)アジャータシャトルは古...
人物

鳥山明(とりやまあきら)

鳥山明は、漫画家やデザイナーとして活躍しました。代表的な漫画は『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』。また、キャラクターデザインを手がけた『ドラゴンクエスト』『クロノ・トリガー』も世代を超えて知られている。尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、幼少時には『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日描いていた。同じく、一番影響を受けたのはディズニーアニメで、『101匹わんちゃん大行進』のディフォルメに影響を受けて毎日模写をしていたという。生誕 1955年〈昭和30年〉4月5日命日 2024年〈令和6年〉3月1日<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

兜率天(とそつてん)

兜率天は、都率・兜術・兜率陀・覩史多・トゥシタ天などと表記され、仏教の世界観における天上にあるすばらしく楽しいところ。ブッダ(お釈迦様)はこの世に生まれる前にトゥシタ天に住し、そこから没して、カピラヴァストゥ城の近くのルンビニ園で生まれたという伝説が初期仏教の頃には確認出来ます(「ブッダの言葉」スッタニパータ)。兜率は梵語でトゥシタ(tuṣita)「満足させる」という意味で、知足・喜足・妙足などとも意訳されます。後代の仏教の世界観によると、三界の内の欲界における六欲天の第4の天、つまり夜摩天と化楽天との中間にあるとされ、現在の兜率天では弥勒菩薩が修行・説法していると説かれ、ブッダの入滅後56億...
仏教を本気で学ぶ

賽銭泥棒(さいせんどろぼう)

賽銭泥棒とは、お寺や神社にお参りに行った時に、お賽銭が入っている賽銭箱からお金を盗む行為です。また、仏像などの前に賽銭として置いているものや池の中に投げ込まれた賽銭などを盗むことも同様です。賽銭泥棒は窃盗罪にあたり、10年以下の懲役が課せられます。お寺側も見回りを強化したり、監視カメラを設置したり、用がないときは扉を閉めたり、先の例では後半のお金が見える形でのお賽銭をしないように呼び掛けたり、対策はしていますが、どのお寺も予算には限りがあり、十分な対策はとれていません。賽銭泥棒が出たという話になると、気味が悪いということで人の出入りが少なくなり、逆効果となります。賽銭泥棒は繰り返される例も多く...
仏教を本気で学ぶ

忉利天(とうりてん)- 三十三天

忉利天とは、仏教世界観における天の1つで、欲界の六欲天の内の第2天です。須弥山(しゅみせん)の頂上にあり、その東西南北にそれぞれ8つの城、中央に善見城(ぜんけんじょう)があり、合計33の城があります。善見城中の殊勝殿(しゅしょうでん)には帝釈天(たいしゃくてん)が住んでいます。梵語トラーヤストゥリンシャの音訳語の略称で、原語は「33」を意味し、ここでは「33種の天からなる世界」をさし、「三十三天」と意訳されます。数々の立派な建物、庭園、香樹などがあり、一種の楽園として描かれています。ブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために祇園精舎から忉利天へ昇天し、ここで3ヶ月間、母マーヤー...
仏教を本気で学ぶ

東司(とうす)

仏教寺院においてトイレ・便所のことを東司と呼ばれることが多くあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。禅宗寺院や密教寺院では古くから東司の守護神として、「トイレの神様」で再注目された烏芻沙摩明王が祀られています。また、三黙道場のひとつにも数えられています。修行寺院では多くの僧侶が使用し、参拝客が多い寺院でも使用者が多いため、脚下照顧(きゃっかしょうこ)等の貼り紙でマナー向上を訴えていることが現在では多く見られます。画像は東福寺の東司で、桁行7間、梁間4間、一重、切妻造本瓦葺で、現存、国内最古最大のものです。(東司 東福寺)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

弔い上げ(とむらいあげ)

弔い上げとは、50回忌や33回忌に施主やその家の都合でこれ以後、年忌供養を営まないと決めることです。どの宗派にも「弔い上げとはこうするもの」という決まりはありません。ただし、寺院によっては、弔い上げを行うと永代供養をしなければならないという話の流れになり、墓地販売と同じく収入源にするところも少なくないようで、その場合は寺院都合とも言えます。仏教が入ってくる前の日本では人が亡くなって50年や100年経つと、山の神や海の神となるような信仰が各地にありました。それが50回忌で弔い上げを行うことにつながり、近年では早めようとする傾向もありますが、そもそも、昔は寿命が50年ほどで、50回忌まですると、そ...
仏教を本気で学ぶ

投薬(とうやく)

投薬とは、病気や症状に応じて薬を与えることで「患者に投薬する」というような使われ方をします。しかし、その語源が仏教によること、さらにはお釈迦様の涅槃に関することだと知っていますか?今回は、その詳細をまとめていこうと思います。お釈迦様は最後の旅の途中で病気になり、クシナガラの沙羅双樹の間に横になり、今まさに涅槃に入ろうとしていることをお釈迦様がルンビニで誕生して7日後に亡くなった生母・摩耶夫人が天界で知ります。摩耶夫人は、お釈迦様がもっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いから、長寿の薬を与えようと急いでその場所まで行き、お釈迦様が沙羅双樹の間に横になっている枕元を目がけて薬を投げました...
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」道心(どうしん)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

道教(どうきょう)

道教(どうきょう)とは、中国で、不老不死などこの世での幸福を願うそぼくな民間の信仰や、宗教です。老子・荘子の教えと神秘思想がむすびついておこり、のち仏教の影響を受けて宗教としての形をとるようになりました。唐代には宮廷に保護され、日本にも道教の経典や儀礼、ならわしをつたえました。ブッダやキリストの教えまでとりいれながら、民衆の間に今日も根強い人気があります。禅宗の勉強をしていると道教の影響を受けたという説が出てくることがあり気になっていましたが、道教側から見ると仏教の影響を受けて宗教として形を成してきたということで、状況的には日本の神道と仏教の関係にも似ています。神道は仏教の影響を受けて宗教とし...
仏教を本気で学ぶ

独坐/独座(どくざ)

独坐とは、ひとりで座っていること。身を遠ざけて、奥まったところに坐すこと。孤座。・「独坐と禅定を捨てることなく、諸々の事柄について常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、サイの角のようにただ独り歩め。」(スッタニパータ 69偈)<< 戻る
人物

トーデーヤ・バラモン

トーデーヤ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内でお釈迦様の生きていた時代、コーサラ国のイッチャーナンガラ村に住んでいる著名なバラモンとして紹介されています。<< 戻る
人物

学生ドータカ

学生ドータカは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】6、学生ドータカの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

学生トーデイヤ

学生トーデイヤは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】10、学生トーデイヤの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

無量天鼓震大妙音仏(むりょうてんくしんだいみょうおんぶつ)

無量天鼓震大妙音仏とは、その音声が太鼓の響きの如き者という意味の北方の現在仏です。梵語では dundubhisvaranirghosa(ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ)といいます。また、無量天鼓震大妙音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

難沮仏(なんそぶつ)

難沮仏とは、襲い難き者という意味の北方の現在仏です。梵語では duspradharsa(ドゥシプラダルシャ)といいます。また、難沮如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
人物

ドーナ・バラモン

ドーナ・バラモンは、コーリヤ族出身で『ブッダ最後の旅【 第6章 】26、遺骨の分配と崇拝』に登場します。お釈迦様の遺骨をどうするかを仲裁したバラモンとして知られています。お釈迦様が荼毘に付された後、その遺骨を分けて欲しいと7種族が申し出ました。しかし、クシナガラに住むマッラ族は「我々の住む土地でブッダはお亡くなりになられたのだから、一部分をも分け与えない」と言いました。それに対して、ドーナ・バラモンが次のようなことを言いました。「我らのブッダは耐え忍ぶことを説くかたでありました。最上の人の遺骨を分配する為に争うのはよくありません。我らはともに喜び合って遺骨を八つの部分に分けましょう。多くの人々...
人物

土建屋よしゆき(どけんやよしゆき)

京都府京都市伏見区に在住し、主に関西で活動していたタレント。所属事務所はオフィスとんで。本業は“土建屋(土木建設業)”の大型重機オペレーターであり、土建屋の格好をしているのが特徴。島田紳助とは学生時代からの同級生で、一時期は紳助の番組に多数出演していた。趣味はモータースポーツ全般。生誕 1955年10月25日命日 2014年7月31日浄観吉光禅定門<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

貪欲(とんよく)

貪欲とは、自分の欲しいままに貪り求めること、自分の情にかなうものを受け入れて飽くことを知らないことです。度を越えて欲の深いこと、名声や利益を貪ること、そのような事柄を指します。三毒の一つ。五蓋の一つ。・「貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、サイの角のようにただ独り歩め。」(スッタニパータ 74偈)・「その儀を守ると云うは、我執を捨て、知識の教に随うなり。その大意は、貪欲無きなり。貪欲なからんと思わば先ずすべからく吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり。」(『正法眼蔵随聞記』17、人その家に生まれ、その道に入らば)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第四十一祖。後同安大師。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第四十四祖。投子和尚。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第五十一祖。永平元和尚。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第三十八祖。洞山悟本大師。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第四十祖。同安丕禅師。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

道心(どうしん)

道心とは、悟りを求める心、または、悟りを得た人が他の人々を悟らせる心をいいます。自利利他の心。菩提心。・「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。」(「正法眼蔵」道心)・「学道の人も、初めより道心なくとも、ただ強いて道を好み学せば、終には真の道心も起るべきなり。」(『正法眼蔵随聞記』5、古人云く、聞くべし見るべし)・「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。」(天台法華宗年分学生式)関連:道心者。無道心。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

道心者(どうしんしゃ)

道心者とは、仏道に精進する人、また、道心があって修行する在家の修行者をいいます。・「道心者と云うは、昔より三国皆貧にして身を苦しめ、つづまやかにして慈あり道あるを真の行者と云うなり。」(『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時)<< 戻る
人物

富沢幹雄(とみざわみきお)

将棋棋士。山本樟郎八段門下。棋士番号は34。福島県生まれ。改名前は富沢伝助。生誕 1920年4月20日命日 1998年1月10日<< 戻る
人物

戸板康二(といたやすじ)

演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。「車引殺人事件」で推理作家としてデビュー。「団十郎切腹事件」によって直木賞を受賞する。様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』の5冊を数える名シリーズとなった。その他、作品多数。生誕 1915年12月14日命日 1993年1月23日<< 戻る
人物

冨澤有爲男(とみさわういお)

作家、画家。『地中海』『東洋』『侠骨一代』など多数。生誕 1902年3月29日命日 1970年1月15日<< 戻る
人物

徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
人物

峠三吉(とうげさんきち)

詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る