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津田左右吉(つだそうきち)

20世紀前半の日本の歴史学者・思想史家。『古事記』と『日本書紀』を史料批判の観点から研究したことで知られる。生誕 1873年(明治6年)10月3日命日 1961年(昭和36年)12月4日<< 戻る
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和辻哲郎(わつじてつろう)

哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。生誕 1889年3月1日命日 1960年12月26日明徳院和風良哲居士<< 戻る
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風巻景次郎(かざまきけいじろう)

国文学者。主著『中世の文学伝統』。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。生誕 1902年(明治35年)5月22日命日 1960年(昭和35年)1月4日<< 戻る
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北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る
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高浜虚子(たかはまきょし)

明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。生誕 1874年2月22日命日 1959年4月8日虚子庵高吟椿寿居士<< 戻る
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和田英作(わだえいさく)

鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。生誕 1874年12月23日命日 1959年1月3日<< 戻る
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小室哲哉(こむろてつや)

音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ。83年、宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORK(のちのTMN)を結成し、84年に「金曜日のライオン」でデビュー。同ユニットのリーダーとして、早くからその音楽的才能を開花。93年にtrfを手がけたことがきっかけで、一気にプロデューサーとしてブレイクした。以後、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle With t、globeなど、自身が手がけたアーティストが次々にミリオンヒット。2010年、作曲家としての活動を再開。AAA、森進一、北乃きい、超特急、SCANDAL、To...
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横山大観(よこやまたいかん)

美術家、日本画家。本名、横山秀麿(よこやま ひでまろ)。常陸国水戸出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。『村童観猿翁』1893年 東京藝術大学蔵 東京美術学校卒業制作『無我』1897年 東京国立博物館蔵『屈原』1898年 厳島神社蔵『迷児』1902年 個人蔵 『流燈』1909年 茨城県近代美術館蔵『瀟湘八景』1912年 東京国立博物館蔵 ※重要文化財『柳蔭』1913年 東京国立博物館蔵 六曲一双屏風 『游刄有余地』(ゆうじ...
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徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
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志賀潔(しがきよし)

医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。生誕 1871年2月7日(明治3年12月18日)命日 1957年(昭和32年)1月25日<< 戻る
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小林一三(こばやしいちぞう)

実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る
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牧野富太郎(まきのとみたろう)

植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957...
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有馬頼寧(ありまよりやす)

政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球球団オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。明治43年(1910)東京帝大農大学卒業後、農商務省に入り農政に携わる。大正6年(1917)年に辞職後は、東京帝大の講師、助教授となる一方、部落解放運動や農民組合運動を支援し、「革新」的な華族として注目される。13年衆議院議員、昭和4年(1929)貴族院議員、7年農村政務次官、12年第1次近衛内閣農相。他に産業組合の要職を歴任、近衛の側近として新体制運動に参画し、15年大政翼賛会の初代事務総長となった。戦後はA級戦犯として収容されたが不起訴。30年中央競馬会理事長となり、「...
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高村光太郎(たかむらこうたろう)

詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。高村光太郎の命日(4月2日)は、高村がアトリエの庭に咲く連翹(れんぎょう)の花を好んでおり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことから連翹忌と呼ばれている。生誕 1883年(明治16年)3月13日命日 1956年(昭和31年)4月2日光珠院殿顕誉智照居士<< 戻る
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本多光太郎(ほんだこうたろう)

物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。生誕 1870年3月24日(明治3年2月23日)命日 1954年(昭和29年)2月12日<< 戻る
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峠三吉(とうげさんきち)

詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る
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斎藤茂吉(さいとうもきち)

歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。生誕 1882年(明治15年)5月14日命日 1953年(昭和28年)2月25日赤光院仁誉遊阿暁寂清居士<< 戻る
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鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)

人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者。『ある老学徒の手記』生誕 1870年5月4日(明治3年4月4日)命日 1953年(昭和28年)1月14日<< 戻る
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中山晋平(なかやましんぺい)

作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1...
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藤井健次郎(ふじいけんじろう)

、 - )は、日本の植物学者、遺伝学者。帝国大学で植物形態学の研究をし、ドイツ・イギリスに留学。帰国後、ドイツ遺伝学の研究を取り入れ東京帝国大学に細胞遺伝学講座を初めて開設し、日本における遺伝学研究に尽力。生誕 1866年11月11日(慶応2年10月5日)命日 1952年(昭和27年)1月11日<< 戻る
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西川正治(にしかわしょうじ)

東京都八王子市出身の結晶学者。東京帝国大学物理学科を卒業 (1910) 。同大学教授 (22~45) 。生誕 1884年12月5日命日 1952年1月5日<< 戻る
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林芙美子(はやしふみこ)

小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る
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白井松次郎(しらいまつじろう)

松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。生誕 1877年12月13日命日 1951年1月23日<< 戻る
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仁科芳雄(にしなよしお)

物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。生誕 1890年(明治23年)12月6日命日 1951年(昭和26年)1月10日誠明院巧譽報徳中正居士<< 戻る
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波多野精一(はたのせいいち)

哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎と並ぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。生誕 1877年7月21日命日 1950年1月17日<< 戻る
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石原莞爾(いしわらかんじ)

陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位・勲一等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らと共に柳条湖事件・満州事変を起こした首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。生誕 1889年1月18日 (戸籍の上では17日)命日 1949年8月15日<< 戻る
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大谷光瑞(おおたにこうずい)

宗教家、探検家。浄土真宗本願寺派第22世法主、伯爵、国営競馬馬主。 諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。 弟に真宗木辺派の本山錦織寺第20代法主となる木辺孝慈、大谷尊由、妹に九条武子がいる。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子。1900年12月3日、日本を出発、1902年(明治35年)8月15日ロンドンを出発、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年(明治36年)1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく位置が判らなかった霊鷲山を発見している。同年に父・光尊が死去し、法主を継職するため3月12日帰国したが、探検・調査活動は1904年(明治3...
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ベーブ・ルース

アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。愛称は「バンビーノ」。 最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人の中の1人であり、本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した。生誕 1895年2月6日命日 1948年8月16日<< 戻る
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太宰治(だざいおさむ)

小説家。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。生誕 1909年〈明治42年〉6月19日命日 1948年〈昭和23年〉6月13日文綵院大猷治通居士<< 戻る
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菊池寛(きくちかん)

小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池寛(きくち ひろし)。また「文藝春秋」を創刊し雑誌発行人としても活躍した。生誕 1888年(明治21年)12月26日命日 1948年(昭和23年)3月6日<< 戻る
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マハトマ・ガンディー

インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者である。インド独立の父。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である。生誕 1869年10月2日命日 1948年1月30日<< 戻る
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横光利一(よこみつりいち)

小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作『日輪』(1923年)『頭ならびに腹』(1924年)『機械』(1930年)『上海』(1931年)『純粋小説論』(1935年、評論)『旅愁』(1937 - 1946年)生誕 1898年(明治31年)3月17日命日 1947年(昭和22年)12月30日光文院釋雨過居士<< 戻る