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瑞龍寺-静岡県静岡市葵区

・瑞龍寺 曹洞宗 静岡県静岡市葵区井ノ宮町48戦国時代の永禄3年(1560年)、能屋梵藝(のうおくぼんげい)和尚によって開創された曹洞宗の寺です。 能屋梵藝和尚は、現在の静岡市内の沓谷にありました「長源院」の四世・梵梅和尚(ぼんばいおしょう)の法嗣でもありました。(リンク先より) << 戻る
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西王寺-大阪府高槻市

・西王寺 浄土宗 大阪府高槻市成合東の町6-1永禄3年(1560年)の創建で、元禄2年に現在地に再建。山間に抱かれるようにして建つ。現在の本堂と庫裏は、平成7年に建て替えられた。本尊は阿弥陀如来立像で、観音菩薩・勢至菩薩を脇士とする弥陀三尊形式。鎌倉時代後期の作と伝えられている。また珍しい釈迦誕生時の様子の「摩耶夫人像(木造 32センチ 立像)があり、江戸末期の作と伝えられている。(リンク先より)・西王寺<さいおうじ><< 戻る
人物

狩野元信(かのうもとのぶ)

室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」と通称された。弟は雅楽助。 父・正信の画風を継承すると共に、漢画の画法を整理しつつ大和絵の技法を取り入れ、狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。重要文化財四季花鳥図 (京都・大仙院) 8幅 紙本著色 京都国立博物館寄託禅宗祖師図 (東京国立博物館) 6幅 紙本墨画淡彩蔬果図 (東京国立博物館) 4幅 紙本墨画淡彩朱買臣図 (東京国立博物館) 2幅 紙本墨画淡彩山水図 (東京国立博物館) 4幅 紙本墨画淡彩太公望・林和靖図 (東京国立博物館...
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龍雲寺-和歌山県新宮市

・龍雲寺 曹洞宗 和歌山県新宮市三輪崎2-15-6名称  太興山 龍雲寺(たいこうざん りゅううんじ) 御本尊 延命地蔵菩薩御開山 静岡県伊豆最勝院8世 大用精賢大和尚(龍雲寺を開かれた方)永禄2年4月28日創建(リンク先より)※1559年 << 戻る
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法海寺-福島県いわき市

・法海寺
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慎福寺-三重県鈴鹿市

・慎福寺 真言宗豊山派 三重県鈴鹿市神戸2-19-8寺伝によると、永禄2年(1559年)法印紹盛上人の開基と伝わり、往時は七堂伽藍を備え、神福寺と称していました。のちに神戸城主織田信孝の祈願寺とされ、寺領六百六十石を受領し栄えたものの、江戸時代の大地震により焼失し、その後再建されて明治の廃仏毀釈の際に寺名を慎福寺と改称したと伝わっています。(リンク先より) << 戻る
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宝福寺-静岡県下田市

・宝福寺 浄土真宗本願寺派 静岡県下田市下田1-18-26永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。(リンク先より) << 戻る
人物

織田信行(おだのぶゆき)

戦国時代の尾張の武将。同時代史料に見える諱は信行ではなく、信勝、達成、信成である。父は織田弾正忠家の織田信秀、母は土田御前で織田信長の同母弟である。 信行は、父の信秀の生前から尾張国内に判物を発給するなど一定の統治権を有した。信秀の死後は末森城主となって兄の信長と尾張の支配権を巡って争い、初期の信長の統治にとって大きな脅威となった。一時は信長に代わって弾正忠家の当主を名乗ったが、稲生の戦いで敗北し、その後、信長に謀殺された。信行の人物像について詳細は伝わらないが、信秀の葬儀において、信長が奇矯な行動をとった一方で、信行は礼儀に則った振舞いをしたという逸話がよく知られている。また、白山を信仰して...
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長福寺-長野県北安曇郡

・長福寺 曹洞宗 長野県北安曇郡池田町大字会染3011長福寺の開創は、永禄年間でありますが、現在の長福寺は、「曹洞宗 大本山 総持寺直末 金勝山長福寺」として、明治13年再興されたお寺です。江戸時代まで、安曇野には沢山のお寺がありましたが、明治初期、この安曇野一円の寺院が藩令により廃寺とされ、そのほとんどが取り壊しを受けました。しかし、その後、人々の中に《何としても、お寺を建て、ご先祖の供養をしなければならない》という気運が高まり、檀信徒の熱意によって、明治13年、この安曇野ではいち早く、現在の地に長福寺が再建されました。(リンク先より)※永禄年間 1558年から1570年 << 戻る
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光松寺-大阪府高槻市

・光松寺 西山浄土宗 大阪府高槻市大手町2-47伝え書きによると“元良元ノ結ビシ草庵ナリト言フモ記録詳ナラズ”とあるのですが、年号表を調べても不明です。ただ、永禄年間(1558年~)、高山右近の高槻城築城の歳に今の地を“代地”として賜り移転、とも記されております。その折りに、総本山光明寺の法主猊下・顕空登順上人を開山上人として迎え、西山浄土宗の寺院として教義を喧傳(宣傳?)されたということです。(リンク先より) << 戻る
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若林寺-兵庫県篠山市

・若林寺 浄土宗 兵庫県篠山市栗栖野480永禄元年(1558)創建の由緒あるお寺です。法然上人の教えを実践し、生き生きとした平和な暮らしと、生きる事の喜びを感じる事を意識しましょう。(リンク先より) << 戻る
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泰養寺-岩手県胆沢郡

・泰養寺 曹洞宗 岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根字南町62宝暦13年(1763)と安永5年(1776)の『西根村風土記』によれば、「泰養寺」は今から約450年前の永禄元年(1558)鶴庵全賀大和尚により開山された寺である。鶴庵大和尚は泰養寺を開山した後、養雲寺四世住職に移られたので、養雲寺を本寺にしたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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本覚寺-岐阜県羽島市

・本覚寺 曹洞宗 岐阜県羽島市竹鼻町2434-1寺伝によると当寺は天台宗の寺院であったという。永禄元年(1558)、正眼寺より玄沢祖栄を創建開山として招請、天台宗を曹洞宗に改宗。その後、戦乱が続き、寺はしばらく衰微した。(リンク先より) << 戻る
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龍福寺-岐阜県加茂郡

・龍福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡富加町加治田135-1加治田城主佐藤紀伊守の母が、弘治三年(一五五八)、龍福庵を開いたことを始めとしている。その後紀伊守は永禄九年(一五六六)、母を、堂洞城合戦、関合戦で娘、息子を亡くし菩提を弔うために庵を拡張して龍福寺を建立する。天猷玄晃を創建開山に、その師蘭畹玄秀を勧請開山とする。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-埼玉県八潮市

・普門寺 真言宗豊山派 埼玉県八潮市南川崎440永禄年間(1558~1570)に開創され、開山から現住職までに29世を数える古いお寺で、真言宗豊山派に属しています。開創当時は、現在の埼玉県八潮市木曽根という場所にありましたが、埼玉県から東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川 中川の改修事業への協力の為、昭和59年に、現在の八潮市南川崎の地へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
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戒善寺-広島県広島市中区

・戒善寺 浄土宗 広島県広島市中区小町2-35永禄元年(1558年)高田郡吉田村城山(現在の広島県安芸高田市吉田町)の麓に源蓮社性譽宝山上人(のちの浄土宗大本山黒谷金戒光明寺二十一世の法主)がお開きになられました。 市史によれば慶長年間(1596〜1615年)広島城築城に伴い、広島西魚屋町に移転したとされています。(リンク先より) << 戻る
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谷性寺-愛知県知多郡

・谷性寺 浄土宗鎮西派 愛知県知多郡阿久比町宮津宮本73宗派:浄土宗 鎮西派本尊:阿弥陀如来立像創建:永禄元年(1558年)(リンク先より) << 戻る
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善光寺-山梨県甲府市

・善光寺 浄土宗 山梨県甲府市善光寺3-36-1当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。ここ板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公を葬送した地と伝えられ、信濃より大本願上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。(リンク先より) << 戻る
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順正寺-愛知県あま市

・順正寺 真宗大谷派 愛知県あま市七宝町下之森6391558年、順正寺は建立されました。<< 戻る
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円通寺-神奈川県足柄上郡

・龍雲山円通寺 曹洞宗 神奈川県足柄上郡山北町谷峨303龍雲山 円通寺神奈川県足柄上郡山北町谷峨開山 弘治3年(1557年) 蘭甫秀藝大和尚(リンク先より) << 戻る
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神將院東明寺-千葉県船橋市

・神將院東明寺 浄土宗 千葉県船橋市東中山1-1-8弘治3年(1557)誓譽上人の開基。<< 戻る
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斎藤道三(さいとうどうさん/利政/としまさ)

戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。 名としては、長井規秀・長井秀龍・斎藤利政・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原規秀・斎藤利政・道三などのみである。現在では坂口安吾「信長」や山岡荘八「織田信長」といった小説の影響により美濃の蝮という綽名でも知られる。生誕 明応3年(1494年)命日 弘治2年4月20日(1556年5月28日)円覚院殿一翁道三日抬大居士神儀<< 戻る
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長蓮寺-富山県富山市

・長蓮寺 法華宗(陣門流) 富山県富山市西中野本12-8法華宗総本山本成寺の8世日覺聖人が富山を通りかかられた時、天台宗(当時)の本覚寺と言うお寺で「法華経」の教義をお説きになりました。当時の住職はとても感銘を受け、法華宗に改宗し 一寺を富山覚中町に建立されました。これが「長蓮寺」です。 1556年(弘治2年)3月4日の事でした。(リンク先より) << 戻る
人物

陶晴賢/陶隆房(すえはるかた/たかふさ)

戦国時代の武将。大内氏の家臣。 晴賢と名乗ったのは、天文20年に主君・大内義隆を討ち大友晴英を当主に据えてから厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけであり、それまでは初名の隆房を名乗っていた。「西国無双の侍大将」と呼ばれる一方で厳島の戦いに際し、弘中隆包の「元就の狙いは大内軍を狭い厳島に誘き寄せて殲滅しようとするものだ」という進言を入れずに出陣し大敗するなど、器量に乏しい面も覗かせる。生誕 大永元年(1521年)命日 天文24年10月1日(1555年10月16日)卓鍼軒呂翁全羨<< 戻る
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浄運寺-福岡県春日市

・浄運寺 浄土真宗本願寺派 福岡県春日市下白水南4-35蓮華寺第六世の住職宗節師の時代は室町の乱世にあり、その頃の浄土真宗の教えは飛躍的な発展をみせ、そのお念仏のみ教えはここ白水の地にも伝えられました。宗節師はその縁に出逢い他力易行道の教えに随喜、弘治元年(西暦1555年)に改宗を決意されました。(リンク先より) << 戻る
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長源寺-山梨県山梨市

・長源寺 曹洞宗 山梨県山梨市万力3200当寺開山本室徳源大和尚は、永昌院開山一華文英大和尚の弟子四徹の1人と云われた埼玉県瑞泉院四世であったが、弘治元年(1555年)5月、当山開基中山兀原救蟹法印和尚に請われ曹洞禅寺として長源寺を開堂したと古文書に記されている(リンク先より) << 戻る
人物

山崎宗鑑(やまざきそうかん)

戦国時代の連歌師・俳諧作者。近江国の志那町。近江国栗太郡志那村(後の常盤村、現草津市志那町)に生まれ、幼少時より室町幕府9代将軍足利義尚に仕え、一休宗純とも親しくよく連れ立って志那に来たと伝えられている。義尚が鈎の陣で没し(延徳元年、1489年)、無常を感じ出家した。摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。「一夜庵」の名...
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修善院常福寺-福岡県北九州市若松区

・修善院常福寺 浄土宗 福岡県北九州市若松区小竹715浄土宗鎮西派に属し 天文二十三年(1554年)七月 念譽行明上人これを開基すその後天明の初年(1781年) 火災の為 堂宇灰燼にきし寛政三年(1791年)五月九日第十三世純譽香圓和尚これを再建せり現存のものこれなり(リンク先より) << 戻る
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傑岑寺-栃木県栃木市

・傑岑寺 曹洞宗 栃木県栃木市皆川城内町1732-1建幢山傑岑寺(けんどうざん けっしんじ)は、皆川の領主皆川山城守俊宗が、居城の堀の外に西接する谷津山に、天文二十三年(1554)堂宇を建立したのが開基です。弘治二年(1556)に富田壮(大平町)西山田の大中寺六世快叟良慶禅師の高弟であった天嶺呑補和尚を招請して開堂したときをもって開山としています。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-静岡県浜松市浜北区

・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る
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法伝寺-千葉県市川市

・法伝寺 浄土宗 千葉県市川市湊7-1法伝寺(正式名:佛法山東漸閣法傳寺=ぶっぽうざんとうぜんかくほうでんじ)は天文22年(1553)観竜上人によって創建されました。法然上人によって開かれた阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院で、港区芝にある浄土宗大本山増上寺(徳川家菩提寺)の末寺です。行徳三十三観音巡りの第22番札所となっています。(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-広島県広島市安佐北区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安佐北区深川2-19-28天文21年(1552)超印法師の開基によるもので、念仏道場として、善徳寺御門徒、有縁の方々により護られてきたお寺です。『高陽町史』によると「武田氏の末流山村平兵衛が、享禄年中桜尾城で討死後、一子は出家して超印と称し、佐伯郡石内村の慶蔵坊の弟子となり、下深川へ来て真言宗教徳坊の寺跡を真宗に改め、善徳寺の開基となった」とあります。(リンク先より) << 戻る