buddhism

人物

柳田國男(やなぎたくにお)

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。生誕 1875年〈明治8年〉7月31日命日 1962年〈昭和37年〉8月8日永隆院殿顕誉常正明国大居士<< 戻る
人物

石井漠(いしいばく)

舞踊家、ダンサーである。代表作は『甦る新世界』(1933)や、晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。いずれも作曲家の石井歓、石井眞木は息子、石井五郎は弟。また舞踊家の石井登は孫、石井武は曾孫である。生誕 1886年12月25日命日 1962年1月7日<< 戻る
寺院

金毘羅院-鳥取県倉吉市

・金毘羅院 単立(真言宗) 鳥取県倉吉市上井一番地昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を建立しました。これが当山の始まりです。(リンク先より) << 戻る
人物

津田左右吉(つだそうきち)

20世紀前半の日本の歴史学者・思想史家。『古事記』と『日本書紀』を史料批判の観点から研究したことで知られる。生誕 1873年(明治6年)10月3日命日 1961年(昭和36年)12月4日<< 戻る
仏教を学ぶ

宗祖七百回御遠忌法要

1961(昭和三六)年4月、宗祖七百回御遠忌法要。<< 戻る
人物

和辻哲郎(わつじてつろう)

哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。生誕 1889年3月1日命日 1960年12月26日明徳院和風良哲居士<< 戻る
人物

風巻景次郎(かざまきけいじろう)

国文学者。主著『中世の文学伝統』。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。生誕 1902年(明治35年)5月22日命日 1960年(昭和35年)1月4日<< 戻る
寺院

浄真寺-千葉県柏市

・浄真寺 真宗大谷派 千葉県柏市南逆井7-19-1この浄真寺は1960年代に開設された、まだ生まれたてのお寺です。(リンク先より) << 戻る
人物

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る
人物

高浜虚子(たかはまきょし)

明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。生誕 1874年2月22日命日 1959年4月8日虚子庵高吟椿寿居士<< 戻る
人物

和田英作(わだえいさく)

鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。生誕 1874年12月23日命日 1959年1月3日<< 戻る
人物

小室哲哉(こむろてつや)

音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ。83年、宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORK(のちのTMN)を結成し、84年に「金曜日のライオン」でデビュー。同ユニットのリーダーとして、早くからその音楽的才能を開花。93年にtrfを手がけたことがきっかけで、一気にプロデューサーとしてブレイクした。以後、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle With t、globeなど、自身が手がけたアーティストが次々にミリオンヒット。2010年、作曲家としての活動を再開。AAA、森進一、北乃きい、超特急、SCANDAL、To...
人物

横山大観(よこやまたいかん)

美術家、日本画家。本名、横山秀麿(よこやま ひでまろ)。常陸国水戸出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。『村童観猿翁』1893年 東京藝術大学蔵 東京美術学校卒業制作『無我』1897年 東京国立博物館蔵『屈原』1898年 厳島神社蔵『迷児』1902年 個人蔵 『流燈』1909年 茨城県近代美術館蔵『瀟湘八景』1912年 東京国立博物館蔵 ※重要文化財『柳蔭』1913年 東京国立博物館蔵 六曲一双屏風 『游刄有余地』(ゆうじ...
寺院

萬福寺-大阪府大阪市西区

・萬福寺のホームページ 浄土真宗本願寺派 大阪府大阪市西区南堀江1-14-23桂春団冶の落語「親子茶屋」に登場する「島之内の萬福寺さん」はこの萬福寺です。約350年間、島之内 (現在のアメリカ村) にありましたが、昭和33年(1958年)にここ堀江に移転して参りました。(リンク先より) << 戻る
寺院

順正寺-東京都練馬区

・順正寺 真宗大谷派 東京都練馬区石神井町3-17-4昭和33年、宗教法人として成立。翌34年、開基本多正丸師の遠縁にあたる現住職江口貫照師が京都より招かれて着任し、布教活動を開始して現在に至ります。(リンク先より)※昭和33年 1958年 << 戻る
人物

徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
人物

志賀潔(しがきよし)

医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。生誕 1871年2月7日(明治3年12月18日)命日 1957年(昭和32年)1月25日<< 戻る
人物

小林一三(こばやしいちぞう)

実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る
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牧野富太郎(まきのとみたろう)

植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957...
人物

有馬頼寧(ありまよりやす)

政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球球団オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。明治43年(1910)東京帝大農大学卒業後、農商務省に入り農政に携わる。大正6年(1917)年に辞職後は、東京帝大の講師、助教授となる一方、部落解放運動や農民組合運動を支援し、「革新」的な華族として注目される。13年衆議院議員、昭和4年(1929)貴族院議員、7年農村政務次官、12年第1次近衛内閣農相。他に産業組合の要職を歴任、近衛の側近として新体制運動に参画し、15年大政翼賛会の初代事務総長となった。戦後はA級戦犯として収容されたが不起訴。30年中央競馬会理事長となり、「...
人物

高村光太郎(たかむらこうたろう)

詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。高村光太郎の命日(4月2日)は、高村がアトリエの庭に咲く連翹(れんぎょう)の花を好んでおり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことから連翹忌と呼ばれている。生誕 1883年(明治16年)3月13日命日 1956年(昭和31年)4月2日光珠院殿顕誉智照居士<< 戻る
寺院

勝光寺-大阪府河内長野市

・勝光寺 真言宗 大阪府河内長野市日野1379-6昭和三十一年夏の夜のこと、井本凡勝は激しい霊夢に襲われた。右手に剣、左手に青年を抱いた物凄い形相の不動明王が夢枕に立ち、「我は勝負の神なり、この世の勝負をつかさどる不動明王なり。我をまつれよ」と不動明王の激しい啓示を賜った。(リンク先より) << 戻る
人物

本多光太郎(ほんだこうたろう)

物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。生誕 1870年3月24日(明治3年2月23日)命日 1954年(昭和29年)2月12日<< 戻る
人物

峠三吉(とうげさんきち)

詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る
人物

斎藤茂吉(さいとうもきち)

歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。生誕 1882年(明治15年)5月14日命日 1953年(昭和28年)2月25日赤光院仁誉遊阿暁寂清居士<< 戻る
人物

鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)

人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者。『ある老学徒の手記』生誕 1870年5月4日(明治3年4月4日)命日 1953年(昭和28年)1月14日<< 戻る
寺院

浄泉寺-大阪府大阪市大正区

・浄泉寺 浄土真宗本願寺派 大阪府大阪市大正区泉尾2-18-101945年~(昭和20年)戦後、現寺院の近くに説教所が開設され、地域の中心の場として活用される。1953年(昭和28年)多くの檀家の方々に支えられ、11月22日に寝殿造の浄泉寺が完成。落慶法要が行われる。(リンク先より) << 戻る
人物

中山晋平(なかやましんぺい)

作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1...
人物

藤井健次郎(ふじいけんじろう)

、 - )は、日本の植物学者、遺伝学者。帝国大学で植物形態学の研究をし、ドイツ・イギリスに留学。帰国後、ドイツ遺伝学の研究を取り入れ東京帝国大学に細胞遺伝学講座を初めて開設し、日本における遺伝学研究に尽力。生誕 1866年11月11日(慶応2年10月5日)命日 1952年(昭和27年)1月11日<< 戻る
人物

西川正治(にしかわしょうじ)

東京都八王子市出身の結晶学者。東京帝国大学物理学科を卒業 (1910) 。同大学教授 (22~45) 。生誕 1884年12月5日命日 1952年1月5日<< 戻る
人物

林芙美子(はやしふみこ)

小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る
人物

白井松次郎(しらいまつじろう)

松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。生誕 1877年12月13日命日 1951年1月23日<< 戻る