江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉。鼠小僧次郎吉として知られる。本業は鳶職であったと言われる。大名・旗本など権力者の武家屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人達にそれを施したとされる事から、後世に義賊として伝説化された。
鼠のように天井裏から侵入するため鼠小僧という異名がついた。32回の盗みを行なった時点で一度捕まり「入れ墨刑」を受ける。しかし改心することなく、1832年に二度目のお縄。自白によると、保釈後の10年間でさらに71ヵ所、90回に及ぶ盗みを重ねていた。
生涯に侵入した屋敷は99軒、被害総額は約3120両(約3億円)。最期は市中引き回しのうえ小塚原刑場で磔にされ、首が晒された。その後、頭部は墨田区両国の回向院に、胴体は荒川区南千住の回向院(同名)に埋葬された。
鼠小僧は長く逮捕されなかったため、その強運にあやかろうと昔から博打好きがその墓を削って帰るとか、どこにでも「スルリと入る」ことから、近年は受験生が削ることも多いという。墓石を削る者が絶えないため、両寺とも江戸時代から対抗策がとられてきた。
両国の回向院では、本墓の手前にニセモノの墓「お前立ち」を置き「こちらのお前立ちをお削り下さい」と促している。南千住の回向院では、金網で囲って防御していたが、一般市民から「罪人でも死ねば魂は浄化され仏になっているはず。網がかかっていては、死んでも牢屋に入っているようで可哀想だ」と声があがり、住職が取り払ったとのこと。
生誕 寛政9年(1797年)
命日 天保3年8月19日(1832年9月13日)
教覚速善居士
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