・金宝寺 真宗大谷派 新潟県新潟市中央区上所上1-11-5
天正元年(1573年)7月18日、織田信長による浅井・朝倉攻めが行われた。多くの者が殺されてしまったが、祖先の玄宗は僧侶であったために逃れ、越中国石動村に隠れ住んだ。その後、赤曽部村に移り住んだが、天正4年に織田信長が本願寺を攻めるにあたっては、本願寺の救援に駆けつけた。顕如上人はその功を誉め、「金寶寺」の号を送った。その子である法正は越後に帰り、蒲原郡所島村(亀田町)に家を建てて住んだ。これが金寶寺の開基である。(リンク先より)
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