・蓮光院初馬寺 真言宗御室派 三重県津市栄町3丁目210
聖徳太子が厄除け・病気平癒のため開創されたお寺と伝えられております。即ち、太子42歳の厄年の時(614年)東の四天王寺建立を発願せられ、この伊勢の地に来られたおり、急に病に罹られ造営も太子の意のままにならず、そこへ加えて都より使いの者が現れ、御母と正妃がご不例である旨を伝える。
太子は大層ご心配になり、師であった高麗の僧、慧慈に「如何せばや」と計られたところ、慧慈は徐に口を開き「聖体今年42歳の厄難の悪しき年廻りにあらせられる。伏して乞う、伽藍の艮(うしとら)の方角に馬頭観世音菩薩を彫み、法報二身を併せ安置し除難の法を厳修したまえ」と申された。
太子はいと喜び、師の言を信じて刀を取り、一刀三礼厄除け観音を彫刻せられ、法身大日如来を慧慈に、報身阿弥陀如来を慧聡に刻ませ、鬼門の方に草堂を結んで安置し「馬宝山観音寺」と称し、当時高名な奈良法興寺の善徳僧正を召して修法に当らせられた。(リンク先より)