法要日記(供養/祈願/布薩)をはじめてみます

中島法雄法要サポート法要日記(供養/祈願/布薩)

私にとって供養、祈願、布薩などの仏事は寺院生活を通して日常生活の一部になっているので、呼吸をするように自然なことなのですが、その法要をどのような気持ちでしているのか、どのような儀式的なことがあるか、どのようなタイミングで実施しているのか、そのようなことをアウトプットしていこうと思います。

いずれは動画に切り替えることも考えていますが、編集のことを考えると時間を取られるのが厳しいです。まだ、このように文字や画像を使って伝える方が現時点では丁度良いかなと思っています。

法要と言えば、着物を着てお袈裟を付けたたお坊さんがお経を唱えて、法要の主旨を読み上げて、儀式的なことをイメージされると思います。私が実践してきたこともその通りで、一般的に法事などではそのような決まった形式で行います。

しかし、そういった形式だけではなく、写経して法要の主旨を書き込む、もしくは読み上げる形式や、一般的にお経と言われる阿弥陀経、法華経、般若心経だけではなく、お釈迦様の言葉がまとめられたスッタニパータなどの古典や最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが残した言葉や書物を読んで、法要の主旨を読み上げる形式もあります。他にも漢文ではなく現代文で読む、録音、録画したものを聴く、念仏、唱題、真言を唱えて実施する形式もあるかもしれません。

この法要日記に出て来る法要は、はじめに紹介した一般的に法事で行う形式だけではないことを宣言しておきます。また、法要依頼の際に実施している法要も同様です。ここで実施しているのは伝統仏教の仏事であることは間違いないですが、「○○宗でこの儀式(お経)は正しい/間違い」「法要とは、○○しているのが常識」という偏った固定観念はお釈迦様の教え、仏教には不似合いなものと感じています。

法要日記をはじめるに当たって、何を前提にしているのかを示しておく必要があると感じたので、以上のようにまとめておきました。供養、祈願、布薩についての基本的な考え方は次の通りです。

供養とは、身近に亡くなった親族や先祖と気持ちを向き合い、儀礼によって心と身体を整えることです。
祈願とは、自身の決意や身近な家族や知人への想いを形にする儀礼によって心と身体を整えることです。
布薩とは、初期仏教の頃からあった行事で、満月と新月の日に一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔する反省の日です。

▶ 供養依頼(1ヶ月、もしくは、1年間、毎日供養)

▶ 祈願依頼(1ヶ月、もしくは、1年間、毎日供養)

▶ 布薩法要(満月/新月に実施)

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