【仏教用語/人物集 索引】

武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)

投稿日:1189年4月30日 更新日:

 
武蔵坊弁慶は、平安時代末期の僧衆。源義経の郎党。 『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされる。

弁慶の立往生
義経が衣川の館を攻められた際、弁慶は並み居る敵兵を次々倒すが、ついには無数の矢を受けて薙刀を杖にして仁王立ちのまま息絶えたと伝えられている。ここから命を投げ出して主君を護っていた忠義の臣を表す。

弁慶の泣き所
弁慶ほどの豪傑でもここを打てば涙を流すほど痛いとされる急所のこと。最もよく知られているのが脛(膝頭の下から足首の上まで)で、皮膚のすぐ下、骨(脛骨)のすぐ上を神経が通っている。他にアキレス腱や中指の第一関節から先の部分もこのように呼ばれる。

弁慶の七つ道具
弁慶が持っていたと伝えられる七種の武器(薙刀、鉄の熊手、大槌、大鋸、刺又、突棒、袖搦)から転じて、7個で一式のものを七つ道具と呼ぶようになり、「選挙のー」、「探偵のー」のような使われ方をされる。

内弁慶、外地蔵
家の中では強気になって威張り散らすが、外では意気地が無くおとなしい人間のこと。転じて、特定の場面においてのみ威勢を張る様を以って「ー弁慶」等と組み合わせて用いる。

弁慶ぎなた式
「ぎなた読み」とも。「弁慶が薙刀を持って刺し殺した」という文を「弁慶がな、ぎなたを持ってさ、し殺した」と区切りを間違えて読むこと。句読点の付け方(または息継ぎ)を変えると文章の意味も変わるということを示す例。「ここではきものをぬいでください」なども同様。

生誕 

命日 文治5年閏4月30日(1189年6月15日)

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