幕末の志士、土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市半平太と呼称されることも多い。優れた剣術家であり、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参政・吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。
京都と江戸での国事周旋によって一時は藩論を主導し、京洛における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。1年8か月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。
生誕 文政12年9月27日(1829年10月24日)
命日 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
常照院日頓一乗居士
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