【仏教用語/人物集 索引】

林羅山(はやしらざん)

投稿日:1657年1月23日 更新日:

 
江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。羅山とは儒学者としての号で、中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき、師の藤原惺窩が命名したもの。

13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄ら禅僧について学んだが、僧にはならず、十五歳で寺を出て帰宅した。

学問を実際の政治と結びつけることを目指し、慶長十年に二条城で家康に謁し、学識を認められる。同十二年に江戸で将軍徳川秀忠に謁し、駿府で家康に仕えて、その命により僧形となり、道春と称した。

家康に随行して上洛した際に、京都の数村で三百十石余の知行を与えられた。こののち、秀忠・家光・家綱まで四代の将軍に歴仕し、侍講を勤めると共に、古書旧記の調査、『大蔵一覧』『群書治要』などの出版、また朝鮮通信使の応接や、外交文書の起草、あるいは寺社関係の裁判事務など、学問や儀礼に関係ある公務に従事した。

また、排仏論を唱え、『排耶蘇』を著わしたりもした。しかし現実には幕府で僧侶として待遇されており、寛永六年には民部卿法印に叙任された。法印は最高の僧位で、名誉ではあったが、言行不一致として民間の中江藤樹らの批判を招くこととなった。

生誕 天正11年(1583年)

命日 明暦3年1月23日(1657年3月7日)

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