臨済宗の出来事

人物

虎関師錬(こかんしれん)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。玄恵の兄弟とする説もある。京都の出身。諡号は本覚国師。漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。著作に『元亨釈書』の他、『楞伽経』の注釈『仏語心論』、詩文集『済北集』、語録『十禅支録』、日本最初の韻書『聚分韻略』などがある。生誕 弘安元年4月16日(1278年5月9日)命日 興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日)<< 戻る
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掲諦寺-大分県速見郡

・掲諦寺 臨済宗妙心寺派 大分県速見郡日出町大字豊岡3460室町時代初頭の1346年に建立され、ご本尊さまは、『オン コロコロ センダリマトウギソワカ』の御真言で有名な薬師瑠璃光如来(お薬師さん)であります。羯諦寺の開山さまは、豊後国太田村出身の南溟殊鵬和尚です。南溟殊鵬和尚は 天皇陛下から諡として佛照大光禅師を頂いております。(リンク先より) << 戻る
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等持院-京都府京都市北区

・等持院 臨済宗天龍寺派 京都府京都市北区等持院北町63暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る
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天龍寺-京都府京都市右京区

・天龍寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。 この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、...
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頼久寺-岡山県高梁市

・頼久寺 臨済宗永源寺派 岡山県高梁市頼久寺町18草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-岐阜県山県市

・洞泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県山県市高富688延元四年(一三三九)、南朝の後醍醐天皇朝臣杉山義祐が根尾城にて戦死した。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-群馬県利根郡

・吉祥寺 臨済宗建長寺派 群馬県利根郡川場村大字門前860-1吉祥寺創建は南北朝時代の暦応二年(1339)中巌円月禅師を開山和尚とし大友氏時により創建されました。建長寺派四百有余かヶ寺の寺院の中で一番北域に位置することから、建長寺北の門とも呼ばれています。(リンク先より) << 戻る
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天龍寺派(本山天龍寺(京都))の開派

南朝 : 延元4・北朝 : 暦応2(1339)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗天龍寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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圓光寺-山梨県山梨市

・圓光寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市牧丘町杣口1092開創は暦應年中(1338年頃)。当山は、七朝帝師夢窓疎石によって開創される。開基は足利尊氏。本尊は十一面観世音菩薩、鎮守は富士浅間大菩薩。(リンク先より) << 戻る
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妙心寺派(本山妙心寺(京都))の開派

南朝:延元2・北朝:建武4(1337)年、関山恵玄禅師により始まる。末寺3400ケ寺を持つ臨済宗最大の宗派。臨済宗妙心寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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福聚寺-神奈川県横浜市保土ヶ谷区

・福聚寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩井町56建武2年(1335年)南北朝時代初期に創建されました。寛政年間までは現在の横浜市西区久保町にありましたが、隠居寺であった蓮求庵(現在の地)に移転し、(明治21年本堂落慶)現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
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報国寺-神奈川県鎌倉市

・報国寺 HOUKOKUJI 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市浄明寺533建武元年(1334年)報国寺開山(仏乗禅師)さまは、現在地に休耕庵を建てて修業なされました。また余暇を得て、詩作を楽しみとしつつ、静かな御生涯を過ごされました。そのゆかりの御堂跡に、今こんなに美しい竹が生い繁るようになったのです。何卒心静かに眺めて下さい。又この寺の開基は足利家時ですが、上杉重兼も寺の創設にかかわっています。家時から二代後の足利尊氏は室町幕府を樹立し、関東を治めるのに子息基氏を鎌倉公方に据えました。(リンク先より) << 戻る
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清白寺-山梨県山梨市

・清白寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市三ケ所620清白寺は、寺蔵の「仏殿沿革調査書」(明治39年〔1906〕)によると、足利尊氏が開基し、夢窓国師(疎石)を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる臨済宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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妙光寺-愛知県一宮市

・妙光寺 臨済宗妙心寺派 愛知県一宮市大字笹野字宮西1260正慶元年(1332年)義海和尚が鎌倉の円覚寺より来て、一山を開いたことが始まりです。橘康武氏が永和四年(1378年)、寺の所領として田畑を寄進しました。それにより、萬松山と号し、寺号を妙光寺としました。永正元年(1504年)に、京都妙心寺の蘭室和尚の弟子の笑溪和尚が住職となり、以降五百年に渡り臨済禅の法燈を脈々と受け継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-山梨県甲府市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲府市和田町2595後醍醐天皇の元徳2(1330)年、当時甲斐国主であった武田家第七代の信武公が、夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建しました。従って、本来ならば月舟禅師が初祖となる訳ですが、禅師は自ら二世を称して、恩師の夢窓国師を開山としました。 開山後は夢窓国師を中心とする五山派の官寺となり、室町幕府の保護を受けていたものと思われますが、応仁の乱以後幕府の勢力が衰えると共に、五山派も著しく衰微し、以後武田信玄公が甲斐国主となるまでの約200年間の当山の歴史は明らかではありません。(リンク先より)<< 戻る
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保寧寺-埼玉県加須市

・保寧寺ホームページ 臨済宗妙心寺派 埼玉県加須市日出安1286当寺は東安山と号し、本尊に釈迦如来像を奉安する。元徳2年(1330年)に玉山徳旋によって、禅寺として開山されたという。天正19年(1591年)には、時の騎西城主松平康重から田畑一町歩の寄進を受けている。これは当寺の中興開山である南雄和尚に帰依してのことで、後に歴代徳川将軍から寺領十石の御朱印を賜っている。(リンク先より) << 戻る
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恵林寺-山梨県甲州市

・恵林寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲州市塩山小屋敷2280元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。(リンク先より) << 戻る
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高源寺-兵庫県丹波市

・高源寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県丹波市青垣町檜倉514高源寺は、1325年(鎌倉時代)に遠渓祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創された、臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)(幻住派(げんじゅうは)とも)の本山です。甲斐(山梨)の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目(にしてんもく)と呼ばれ、丹波屈指の名刹として知られています。(リンク先より) << 戻る
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善応寺-栃木県河内郡

・善応寺 臨済宗妙心寺派 栃木県河内郡上三川町上三川50991320年(元応2年)、上三川城主横田貞朝が、上三川城内に善應寺を建立し、菩提寺とする。1379年(康暦元年)、横田家累代の墓(町指定文化財)の宝篋印塔が作られる。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺派(本山大徳寺(京都))の開派

正和4(1315)年、宗峰妙超禅師により始まる。大徳寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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永保寺-岐阜県多治見市

・永保寺 臨済宗南禅寺派 岐阜県多治見市虎渓山町1-40山号は虎渓山。虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。  1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。(リンク先より) << 戻る
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虎渓寺-佐賀県多久市

・虎渓寺 臨済宗南禅寺派 佐賀県多久市東多久町大字別府980虎渓寺は田舎の小さな禅寺ですが、静かな高台で700年以上の歴史をつないできました。開山 石庵旨明禅師大和尚(1312年4月2日示寂)(リンク先より) << 戻る
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永興寺-山口県岩国市

・永興寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市横山1-10-27永興寺(ようこうじ)は鎌倉末期の延慶二(1309)年、禅の高僧仏国国師を開山に、大内弘幸によって創建されました。(リンク先より) << 戻る
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龍門寺-岐阜県加茂郡

・龍門寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡七宗町神渕44311308年、岐阜長良に輪番制の寺として、福光山龍門寺が創建されました。戦国時代に兵火により焼失しましたが、創建後150年ほど後に、当地に移転されました。(リンク先より) << 戻る
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国泰寺-富山県高岡市

・国泰寺 臨済宗国泰寺派 富山県高岡市太田184開山の慈雲妙意禅師(1274−1345)は、行脚の時、二上山の幽玄の境にひかれて、山中の草庵で独り坐禅に励まれていた。たまたま通りかかった孤峯覚明禅師(島根県雲樹寺の御開山。三光国師)に誘われて、紀伊由良の西方寺(現 興国寺)の無本覚心禅師(法灯国師)に参じて大悟されたが、まもなく師の遷化(せんげ。お亡くなりになること)に遭い、二上山に戻られ、悟後の修行に励まれた。やがてその禅風を慕って雲水が集まり、嘉元2年(1304)には摩頂山東松寺を開創された。嘉暦2年(1327)には宮中に参内されて後醍醐天皇に法要をお説きになり、 「清泉禅師」の号を賜られ...
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壽徳寺-栃木県足利市

・壽徳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市野田町1463開山 大本山建長寺第十一世 大通禅師《中国宋朝の名僧で 名は 西澗子曇(せいかんすどん)》開山忌 10月28日創建 鎌倉時代 嘉元元年(1303年)本尊 釈迦牟尼佛(リンク先より) << 戻る
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近松寺-佐賀県唐津市

・近松寺(きんしょうじ) 臨済宗南禅寺派 佐賀県唐津市西寺町511-1寺の創建は寺伝によれば、のち二條天皇の乾元元年(1302)と伝えられています。降って天文年間(1532~1554)、岸嶽城主波多三河守親は博多聖福寺の僧湖心碩鼎(こしんせきてい)の高徳を慕い、満島山(現在の唐津城内)に近松寺を再建し開祖として迎えたと伝えられています。この寺は、天正2年(1574)に兵火に遭い(あい)焼失しました。文禄(ぶんろく)2年(1593)、豊臣政権によって波多三河守親が改易になり、寺沢広高が波多氏の後を受けて唐津地方の代官になりました。そこで、広高は博多聖福寺にいた耳峯玄熊(じほうげんゆう)を招き、中...
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国泰寺派(本山国泰寺(富山高岡))の開派

正安2(1300)年頃、慈雲妙意禅師により始まる。国泰寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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南禅寺-京都府京都市左京区

・南禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区南禅寺福地町正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。(リンク先より) << 戻る
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南禅寺派(本山南禅寺(京都))の開派

正応4(1291)年、無関普門禅師により始まる。臨済宗南禅寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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東慶寺-神奈川県鎌倉市

・北鎌倉 松岡山東慶寺 臨済宗円覚寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内1367東慶寺は鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。女性から離婚できなかった封建時代に、当寺に駆け込めば離縁ができる女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を引き継いできました。(リンク先より) << 戻る
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東昌寺-宮城県仙台市青葉区

・東昌寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区青葉町8-1東昌寺は1283年(弘安6年)福島の伊達の桑折という所から始まりました。伊達家の初代から3世までははっきりとした形の菩提寺というものは持っていませんでしたが、4世の伊達政依という方は仏道の帰依が厚く、自分自身の寺としてこの東昌寺を作ったのです。つまり、伊達家最初の菩提寺ということになります。(リンク先より) << 戻る