806年

年表

空海上人、唐から帰国

805年12月15日、恵果和尚が60歳で入寂し、元和元(延暦25、806)年1月17日、弟子を代表して碑文を撰しました。3月に長安を出発し、4月には越州に到り4か月滞在し、土木技術や薬学をはじめ多分野を学び、経典などを収集しました。8月に明州を出航して、大同元(806)年10月、九州博多に到着し、集めてきた経論の整理をされ、帰朝上表(きちょうじょうひょう)を朝廷に奉進(ほうしん)しました。<< 戻る
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千光寺-広島県尾道市

・千光寺 単立(真言宗) 広島県尾道市東土堂町15-1開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-岩手県釜石市

・盛岩寺 曹洞宗 岩手県釜石市唐丹町字小白浜453当山の開創は、大同年中に天台宗の寺として開かれました。慶長6年8月(1601)陸前高田市米崎の普門寺4世在天長存大和尚によって曹洞宗に改め開山開堂の式が行れました。(リンク先より)※大同年中 806年から810年 << 戻る
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櫟野寺-滋賀県甲賀市

・櫟野寺 天台宗 滋賀県甲賀市甲賀町檪野1377福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。) その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永...
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勝龍寺-京都府長岡京市

・恵解山 勝龍寺 真言三宝宗 京都府長岡京市勝竜寺19-25大同元年(806)空海(弘法大師)の開基。寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。大干ばつ大飢饉の年に住職千観(せんかん)上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。(リンク先より) << 戻る
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妙光院-山形県山形市

・妙光院 天台宗 山形県山形市内表東124-1当院はおよそ1,200年前の延暦25年(806)に伝教大師最澄によって開かれた宗派である天台宗に属する寺院であり、「一隅を照らす」という教えの元、一人一人が輝きあい、手を繋ぎ合って暮らせる社会の実現を願い、日々お勤めしております。(リンク先より) << 戻る
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明通寺-福井県小浜市

・明通寺 真言宗御室派 福井県小浜市門前5-21大同元年(806)征夷大将軍・坂上田村麻呂創建。「文化財の宝庫」と称されるこの若狭地方において、国宝指定の本堂・三重塔をはじめ、重文の仏像など数多くの寺宝を擁する古刹です。(リンク先より) << 戻る
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大椿寺-岡山県新見市

・大椿寺 曹洞宗 岡山県新見市哲多町花木4649大椿寺は平安初期(西暦806年)の大同元年に法相宗の僧侶である大徳玄賓僧都が開かれた寺院です。江戸初期に入り、玄賓僧都から800年余り続いた仏教の教えが途絶えそうになりました。当時の領主であった備中松山藩主 水谷勝隆はその事態を憂い、寛永5年(西暦1628年)に現在の岡山県高梁市にある定林寺7代目住職 源嶺呑高禅師に大椿寺の復興を命じられました。(リンク先より) << 戻る
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廣度寺-福島県郡山市

・廣度寺 曹洞宗 福島県郡山市西田町鬼生田字前田119曹洞宗鬼生山廣度寺は、平将門の末裔 平氏田村一族の開基で大同年間(806年~810年)に開かれました。時は移り文明年間(1469年~1487年)には曹洞宗大本山総持寺第三百拾世重屋清珍禅師によって鬼生山廣度寺が開創され、以来法灯は連綿として今日に至る由緒ある寺です。(リンク先より) << 戻る
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本吉山清水寺-福岡県みやま市

・本吉山清水寺 天台宗 福岡県みやま市瀬高町本吉1119-1寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったところ、苔むした合歓(むね)の霊木に出会われたのでした。このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル)の千手観音像を刻まれました。そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様をお祀されました。(リンク先より) << 戻る
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善雄寺-群馬県みどり市

・善雄寺 天台宗 群馬県みどり市東町大字荻原192善雄寺は、傳教大師の高弟暁海和尚により大同元年(806年)の草創とされる。暦応元年(1338年)弘秀上人が中興。江戸の初期天海僧正(慈眼大師)が元和三年四月、久能山より家康公の御骨を捧げて日光へ登嶽の折に立ち寄られた御縁により、幕府から御朱印十一石二斗を賜った。御本尊は阿弥陀如来立像。(リンク先より) << 戻る
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龍願寺-群馬県前橋市

・龍願寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市粕川町中之沢349本尊は不動明王(波切不動明王)。大同2年(806年)10月空海(後の弘法大師)様御帰朝の際、玄界灘の荒れ狂う風と波に船は翻弄され、たびたび沈没の危機にさらされた時、大師様が祈念され不動明王を示現されました。 (リンク先より) << 戻る
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天然寺-長野県下高井郡

・天然寺 浄土宗 長野県下高井郡木島平村大字上木島3336-イ天然寺は浄土宗、京都総本山知恩院の直末寺であり、本尊は阿弥陀如来です。寺の草創は今から千二百年をさかのぼる大同年間(806~809)とされています。かつてはこの地方の豪族市河筑前守信房の帰依を受けて隆盛をきわめ、末寺十二ヵ寺を擁したと伝えられていますが、現在は高社の麓にひっそりとかつての面影を偲ばせるように佇んでいます。(リンク先より) << 戻る
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世音寺-広島県尾道市

・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る
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法福寺-富山県黒部市

・法福寺 高野山真言宗 富山県黒部市宇奈月町明日836法福寺は、大同元年(806)幻識大和上の創建であると伝えられている。本尊は十一面観音であり、むかって右の脇立ちは馬頭観音、左の脇立ちは聖観音である。いずれも奈良の仏師春日の御作と言われている。かつては七堂伽藍があり、仁王門の中にも十六坊が立ち並んでいたが上杉謙信が侵入した折、兵火にかかって消失したという。(リンク先より) << 戻る
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金泉寺-長崎県諫早市

・金泉寺 高野山真言宗 長崎県諫早市高来町金泉寺は、空海 (弘法大師)が平安時代の初め頃(806~07)行基菩薩の遺跡を訪ね、ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。太良嶽大権現の神宮寺として肥洲の真言宗道場として多くの信徒に崇められて来た。即ち祈祷仏教として名高く「国家安泰、五穀豊穣、航海安全、神仏混交の名刹」として遠近の崇敬の聖地として栄え最盛期には30余の宿坊を数えたと言う。(リンク先より) << 戻る
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楊谷寺-京都府長岡京市

・立願山楊谷寺 西山浄土宗 京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2柳谷観音は806年(大同元年)平安時代、清水寺を開山された第一世延鎮僧都により開創されました。 延鎮僧都は『西山にて生身の観音様に出会うことが出来る』 という夢のお告げにより、清水寺からこの西山に入り、柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられました。 その観音様が、古来より眼病に霊験あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩だったということです。(リンク先より)<< 戻る
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成実宗が伝わる

成実宗(じょうじつしゅう)は、百済の道蔵が日本へ伝えました。延暦25年(806年)の太政官符によれば、三論業3名のうち、1名には成実論を読ませた、とあります。俗諦と真諦とを対立させ、俗諦の存在を認めるが、真実界に立ってみればそれは空であると説かれています。成実宗とは『成実論』を研究する論宗(経を所依とせず、論を所依とする宗派)です。中国十三宗・日本の南都六宗の1つで、三論宗に附属する宗派です。<< 戻る
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天台宗が公認される

延暦25(806)年、華厳宗・律宗・三論宗(成実宗含む)・法相宗(倶舎宗含む)に天台宗を加えて十二名の年分度者が許されることになり、天台宗が公認されました。このころ、最澄上人は空海から、真言、悉曇(梵字)、華厳の典籍を借り、研究したといわれています。<< 戻る