746年

人物

玄昉(げんぼう)

奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。藤原武智麻呂らが流行病により倒れたため、橘諸兄・吉備真備らと共に政界での権力を握ることになりました。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、鎮護国家のための仏教確立に大きな影響を与えたといわれています。740年、藤原広嗣の乱は権力の中枢にあった玄昉を除くためのものでしたが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷されます。生誕 命日 天平18年6月18日(746年...
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国分寺-岐阜県高山市

・国分寺 高野山真言宗 岐阜県高山市総和町1-83天平13年(AD741)、聖武天皇は国分寺建立の詔勅を下し、諸国に国分寺と尼寺を造立せしまられた。僧寺には七重の塔を造り、金光明最勝王経を写し、封50戸、水田10町を施入し僧20人と定められた。その目的は金光明最勝王経の読誦講読による鎮護国家の理想実現と地方政治の確立、文化の開拓にあった。  当飛騨の国分寺は、開基を行基菩薩とし、天平18年(AD746)草建されたという。(リンク先より) << 戻る
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護国之寺-岐阜県岐阜市

・護国之寺 高野山真言宗 岐阜県岐阜市長良雄総194-1天平18年(746)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創されました 創建時は三十三の堂塔が並び長良島、日野を寺領とする壮大な寺院であったと伝えられます嘉元2年(1304)熊谷直実蓮生坊が祖父の為に供養塔を建立されました 塔は宝篋印塔で 現存します(リンク先より) << 戻る
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慈恩寺-山形県寒河江市

・慈恩寺 慈恩宗 山形県寒河江市大字慈恩寺字鬼越31寺伝によれば、神亀元年(724年)、僧基薩が諸国巡錫の砌、慈恩寺の景勝なるを見て都に帰り、聖武帝に奏上し、勅命によって印度僧婆羅門僧正が天平18年(746)精舎を建立して開基したのが慈恩寺の初まりであると書かれている。しかし、これはあくまで寺伝として受け止めるべきであろう。最近の調査で慈恩寺の歴史が少しずつ明らかになって来たのは平安後期からである。(リンク先より) << 戻る
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普照院-兵庫県神戸市兵庫区

・普照院 時宗 兵庫県神戸市兵庫区今出在家町4丁目1-29当寺は慈光山普照院(じこうざんふしょういん)と申します。天平18年(746年)行基菩薩によって開基されました薬仙寺(神戸市兵庫区)境内に於いて、国阿上人が貞治4年(1365年:室町時代初期)に普照院を建立されました。その後は、永らく薬仙寺内塔頭(たっちゅう)寺院として、兵庫史と共に歩みます(約500年)。(リンク先より) << 戻る