1898年

人物

ジョン万次郎(ジョンまんじろう)- 中浜万次郎

江戸時代末期から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マンという愛称でも呼ばれた。土佐国出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎を名乗った。天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝の宇佐浦(現・土佐市宇佐町)、14歳になっていた万次郎は、足摺岬沖での鯵鯖漁に出航する漁船に炊係(炊事と雑事を行う係)として乗り込んだ。仲間の構成は、船頭の筆之丞(38歳。のちにハワイで「伝蔵」と改名)を筆頭に、筆之丞の弟で漁撈係の重助(25歳)、同じく筆之丞の弟で櫓係を務める五右衛門(16歳)と、もうひとりの櫓係の寅右衛門(26歳)、そして炊係の万次郎(14歳)であった...
便り

廣徳寺-北海道虻田郡

・廣徳寺 真宗大谷派 北海道虻田郡京極町字京極615明治43年に「廣徳寺創立願」が北海道庁に提出され、この添付書類の由緒という一項に、「明治31年5月より布教に着手、同36年に説教所認可。」という内容の記述があり、第一世江隈圓導の署名のある「明細表」には「京極農場への移住者のために布教を始め、京極家の特志もあって明治45年に廣徳寺となった」という内容が記されている。(リンク先より)※明治31年 1898年 << 戻る
便り

密厳寺-北海道余市郡

・密厳寺 真言宗豊山派 北海道余市郡余市町大川町10-17明治三十一年開山、米沢から来道し庵を結ぶ普及所となる。 昭和十一年に本堂を再建し、寺号公称する。総本山は長谷寺。ご本尊は十一面観音、秘佛歓喜天、大日如来、脇には大聖不動明王。(リンク先より) << 戻る