1877年

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村田新八(むらたしんぱち)

武士(薩摩藩士)・政治家。明治10年以降、賊軍の将として遇されたが、大正5年(1916年)4月11日に正五位を追贈されて名誉回復した。生誕 天保7年11月3日(1836年12月10日)命日 明治10年(1877年)9月24日<< 戻る
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西郷隆盛(さいごうたかもり)

武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。藩主の島津斉彬の目にとまり抜擢され、当代一の開明派大名であった斉彬の身近にあって、強い影響を受けた。斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される...
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和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)

仁孝天皇の第8皇女。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。家茂死後には落飾し、静寛院の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った。 「和宮」は誕生時に賜わった幼名で、「親子」は文久元年の内親王宣下に際して賜わった諱である。孝明天皇の異母妹。明治天皇の叔母にあたる。品位は二品、薨後贈一品。生誕 1846年7月3日〈弘化3年閏5月10日〉命日 1877年〈明治10年〉9月2日<< 戻る
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木戸孝允(きどたかよし)

武士、革命家。和田小五郎、桂小五郎。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人。名の孝允は「こういん」と読まれることもある。父は萩藩の藩医。吉田松陰に師事。のち江戸で剣術、西洋兵学を学ぶ。公武合体派に反対し、尊皇攘夷運動に奔走。藩の重職に就き、藩論を討幕へと導く。慶応2年(1866)鹿児島藩との間に薩長連合を締結。王政復古のクーデター後、五箇条の誓文草案を起草。参与に任ぜられ、版籍奉還の実現に尽力した。明治3年(1870)6月参議。4年岩倉遣外使節団に副使として参加。以後文部卿、内務卿、地方官会議議長、内閣顧問等を歴任。立憲制の漸進的樹立を唱えた。生誕 天保4年6月26日(1833年8月1...