人物 即非如一(そくひ にょいつ) 江戸時代前期中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。福建省福州府福清県の出身。俗姓は林氏。字は即非。師の隠元に続いて来日し、長崎崇福寺・宇治黄檗山に住した。小倉の福聚寺の開山。黄檗三筆の一人。生誕 万暦44年5月14日(1616年6月27日)命日 寛文11年5月20日(1671年6月26日)<< 戻る 1671.05.20 人物
便り 閑臥庵-京都府京都市北区 ・閑臥庵 黄檗宗 京都府京都市北区鞍馬口通寺町西入新御霊口町278「閑臥庵(かんがあん)」は山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺でございます。江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でございましたが王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりであります。(リンク先より) << 戻る 1671.01.01 便り年表