1561年

人物

尼子晴久(あまごはるひさ)

戦国時代、出雲国の戦国大名、出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆の守護大名。尼子経久の嫡孫に当たる。山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し中国地方一の大大名となった。また大内、毛利両軍をよく制した。八カ国守護とも言われる。生誕 永正11年2月12日(1514年3月8日)命日 永禄3年12月24日(1561年1月9日)天威心勢大居士月光院殿愚溪宗見大居士光德院殿鳳頷英逸大居士<< 戻る
便り

玄向寺-長野県松本市

・玄向寺 浄土宗 長野県松本市大村681当寺の歴史は、室町時代の永禄4年(1561)5月、長譽清光和尚が現松本市浅間温泉の地に、「帰命山念佛寺」を開創されたことに始まります。やがて、寛永2年(1625)10月、西譽向順和尚が現在の松本市大村に寺を移して、開山上人のお名前をいただいて、「清光寺」と名前を改めました。(リンク先より) << 戻る