1351年

人物

夢窓疎石(むそうそせき)

鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元(中国)の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)...
人物

高師直(こうのもろなお)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて足利尊氏に仕えた武将、官僚、政治家、歌人。正式な名乗りは、高階師直(たかしな の もろなお)。鎌倉幕府有力御家人足利氏執事、建武政権雑訴決断所三番奉行人・武者所および窪所寄人、北朝武蔵守、室町幕府初代および第三代執事(室町幕府管領の前身)・上総国守護・武蔵国守護・引付頭人。生誕 命日 正平6年/観応2年2月26日(1351年3月24日)真如寺殿道常大禅定門<< 戻る
便り

大成寺-福井県大飯郡

・大成寺 臨済宗建仁寺派 福井県大飯郡高浜町日置31創建は観応2年(1351)足利尊氏の二男・基氏の開基とされています。御詠歌にもあるように高浜町内浦地区の日引にあり瑞泉寺といいましたが、火災により焼失しました。応永元年(1394)小浜領主・大高重成の庇護により、この地に移し再建しその時、領主の徳をたたえ「大成寺」としました。(リンク先より) << 戻る