1237年

便り

興聖寺-滋賀県高島市

・興聖寺 曹洞宗 滋賀県高島市朽木岩瀬374四条天皇の嘉禎3年(西暦1237年)近江源氏(宇多源氏)近江守護佐々木信綱が京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖 道元禅師に謁し、承久の乱で戦死した一族の供養をお願いし、朽木の里に拝請、このとき禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、絶景だと喜ばれ一寺の創建を奨められ、山号を高巌山興聖寺とするよう勧奨されました。それから三年仁治元年、七堂伽藍が完成し、遷仏式には永平二世孤雲懐奘禅師の拝請を賜り、盛大に挙行され、それ以来当山が曹洞宗第三の古道場といわれました。(リンク先より) << 戻る
年表

日蓮聖人の得度

嘉禎3(1237)年、日蓮聖人は道善房のもとで正式に出家得度し、是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)とあらためました。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『典座教訓』(てんぞきょうくん)

典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視されていた典座の職を高く評価し、重要視するべきだと説いています。修行としての食事とはいかなるものであるかを示され、典座の大切さや意義を中国で出会われた老典座との逸話などをまじえ、喜びの心(喜心)・相手を思いやる心(老心)・動じない心(大心)の三心を、調理する者の心とし、素材そのものを生かす料理でなければならないと説かれています。典座教訓に著されている中国・宋での体験は、道元禅師の仏法・修行のあり方に影...