
06月18日


6月18日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 6月24日二七日忌 7月1日三七日忌 7月8日四七日忌 7月15日五七日忌・35日法要 7月22日六七日忌 7月29日七七日忌・満中陰・四十九日法要 8月5日百箇日忌 9月25日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

横山光輝(よこやまみつてる)
漫画家。兵庫県神戸市須磨区出身。本名は、横山 光照。代表作に『鉄人28号』、『伊賀の影丸』、『仮面の忍者 赤影』、『魔法使いサリー』、『コメットさん』、『バビル2世』、『三国志』等々多数。長年に渡り幅広いジャンルで活躍し、手塚治虫、石ノ森章太郎などと並び称された漫画界の巨匠の一人である。生誕 1934年(昭和9年)6月18日命日 2004年(平成16年)4月15日<< 戻る

田中平八(たなかへいはち)
幕末、明治の実業家、相場師。横浜で糸屋平八商店を営み、生糸・洋銀などの相場で財を成し、「天下の糸平」と呼ばれた。本姓は藤島。幼名は釜吉。名は政春。生誕 1834年8月15日(天保5年7月11日)命日 1884年(明治17年)6月8日<< 戻る

島津忠久(しまづただひさ)
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。鎌倉幕府御家人。島津氏の祖。正式な名乗りは惟宗忠久という。出自・生年については諸説ある。治承3年(1179年)2月8日、春日祭使の行列に供奉している記録が史料上の初見とされる(『山槐記』)。島津忠久は元々摂関家に仕える都の武者であったが、治承・寿永の乱において源頼朝が台頭してくると、母が頼朝の乳母子だった縁で頼朝に重用されるようになってくる。生誕 命日 嘉禄3年6月18日(1227年8月1日)浄光明寺殿 得佛道阿弥陀佛<< 戻る

玄昉(げんぼう)
奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。藤原武智麻呂らが流行病により倒れたため、橘諸兄・吉備真備らと共に政界での権力を握ることになりました。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、鎮護国家のための仏教確立に大きな影響を与えたといわれています。740年、藤原広嗣の乱は権力の中枢にあった玄昉を除くためのものでしたが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷されます。生誕 命日 天平18年6月18日(746年...