04月08日

仏教を本気で学ぶ

灌仏会(かんぶつえ/花まつり・花祭・釈尊降誕会)

4月8日は灌仏会です。釈尊、お釈迦様、ブッダ、色んな呼び名で呼ばれることがありますが、一番初め、生まれた時につけられた名前はシッダッタといいます。シッダッタが生まれたのは現在、ネパールという国のルンビニという場所です。全てはそこからはじまったわけです。仏教の開祖・釈尊の生まれた日には、寺院などでは法要をしたり、地域の人を集めて花祭りをしたりします。また、地方によってはひと月遅れの5月8日に花祭りが行われる場合があります。また、上座部仏教圏(南伝仏教)ではヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月にお釈迦様が生まれた日と伝えられていて、その日をブッダプールニマーといいます。<< ...
便り

4月の出来事/有名人の誕生日・命日

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4月8日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 4月14日二七日忌 4月21日三七日忌 4月28日四七日忌 5月5日五七日忌・35日法要 5月12日六七日忌 5月19日七七日忌・満中陰・四十九日法要 5月26日百箇日忌 7月16日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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萩原流行(はぎわらながれ)

俳優、タレント、ダンサー。主な作品/舞台『ホワイトレビュー』など、映画『蒲田行進曲』、テレビドラマ『家なき子2』など多数。生誕 1953年4月8日命日 2015年4月22日<< 戻る
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周富徳(しゅうとみとく)

広東料理の料理人。神奈川県横浜市中区山下町の横浜中華街出身。愛称は「炎の料理人」。生誕 1943年3月11日命日 2014年4月8日<< 戻る
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安岡力也(やすおかりきや)

俳優、ロック歌手・キックボクサー・タレント。シャープ・ホークスのボーカル。本名はリカルド・ニコ・バレンティーノ。安岡力也は日本国籍名。生誕 1947年7月19日命日 2012年4月8日鑑薔院濤力仁道大居士<< 戻る
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田中好子(たなかよしこ)

アイドル歌手でキャンディーズのメンバー・女優。旧姓:田中。愛称「スーちゃん」。生誕 1956年4月8日命日 2011年4月21日春芳院妙純日好大姉<< 戻る
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藤山一郎(ふじやまいちろう)

歌手・声楽家・作曲家・指揮者。本名、増永丈夫(ますなが たけお)。本名ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手として活躍。生誕 1911年(明治44年)4月8日命日 1993年(平成5年)8月21日藤光院愛譽白童居士<< 戻る
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高浜虚子(たかはまきょし)

明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。生誕 1874年2月22日命日 1959年4月8日虚子庵高吟椿寿居士<< 戻る
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佐藤尚中(さとうたかなか/しょうちゅう)

幕末から明治初期の蘭方医。幼名を竜太郎、舜海と称し、笠翁と号す。佐藤泰然の弟子でのちに養子となる。下総国小見川出身。東京順天堂の第2代堂主、順天堂医院の初代院長。生年については諸説ある。ドラマ化もされた人気漫画「JIN−仁−」の主人公、南方仁のモデルとも言われている。生誕 1827年5月3日(文政10年4月8日)命日 1882年(明治15年)7月23日<< 戻る
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吉田東洋(よしだとうよう)

江戸時代後期の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。文久2年4月8日(1862年5月6日)、帰邸途次の帯屋町にて武市半平太の指令を受けた土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助によって暗殺された。享年47歳。生誕 文化13年(1816年)命日 文久2年4月8日(1862年5月6日)<< 戻る
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徳川家定(とくがわいえさだ)

江戸幕府の第13代征夷大将軍。第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。しかし家定も幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った。天保12年(1841年)に大御所・徳川家斉(第11代将軍。家定の祖父)の死後、(第12代将軍・家慶の)世嗣となる。しかし家慶は、家定の継嗣としての器量を心配して、一橋家の徳川慶喜を将軍継嗣にしようと考えたほどである。だが、老中・阿部正弘らが反対したため、結局は家定を将軍継嗣とした。黒船来航の19日後にあたる嘉永6年6月22日(1853年7月27日)、家慶が病死したことを受け家定は第1...
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祐天(ゆうてん)

祐天とは、浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師。字は愚心。号は明蓮社顕誉。 密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説がある。祐天の除霊伝説は存命中に書かれた『死霊解脱物語聞集』など、大衆向けに書かれた出版物によって広まった。生誕 寛永14年4月8日(1637年5月31日)命日 享保3年7月15日(1718年8月11日)<< 戻る
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結城秀康(ゆうきひでやす)/ 松平秀康(まつだいらひでやす)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。徳川家康の次男として遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。天正18年(1590年)、家康が駿遠三甲信から、旧北条氏の領地である関東に国替えになり240万石を得た。豊臣秀吉は、関東平定の功労者である家康へ更なる加増として、秀康を北関東の大名結城氏の婿養子とすることを考えついた。結城氏は下野国の守護に任命されたこともある名家で、秀康は関東に下り黒田孝高の取り成しで結城晴朝の姪と婚姻して結城氏の家督および結城領を継いだ。また、改めて羽柴姓を賜り、官位から羽柴結城少将と呼ばれた。生誕 天正2年2月8日(1574年3...
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吉田兼好(よしだけんこう)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また、出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。生誕 弘安6年(1283年)頃?命日 観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)※諸説あり。<< 戻る
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源頼朝(みなもとのよりとも)

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。 清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。生誕 久安3年4月8日(ユリウス暦1147年5月9日、先発グレゴリオ暦1147年5月16日)命日 建久10年1月13日(ユリウ...
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釈迦(しゃか)

釈迦とは、北インドの人物で、仏教の開祖です。お釈迦様と呼ばれる他、いくつもの呼び名があります。主なものは、ゴータマ・シッダッタ、ブッダ、世尊、釈尊、釈迦牟尼、釋迦。如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊。釈迦の父は釈迦族のスッドーダナ王、生後7日後に亡くなった母は摩耶夫人、その妹で養母となったマハー・パジャーパティー、出家する以前の妃ヤソーダラー、実子であり十大弟子の一人であるラーフラがいます。過去七仏の六番目に数えられる迦葉仏の次にブッダとなったのが釈迦であり、その弟子の代表的存在が十大弟子です。その内のマハーカッサパ、アーナンダの系統が主流...