
03月26日


3月26日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 4月1日二七日忌 4月8日三七日忌 4月15日四七日忌 4月22日五七日忌・35日法要 4月29日六七日忌 5月6日七七日忌・満中陰・四十九日法要 5月13日百箇日忌 7月3日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

公文公(くもんとおる)
数学教育者。「公文式」学習指導法の考案者。高知県出身。土佐中学校を経て1933年に高知高等学校を卒業。1936年、大阪帝国大学理学部数学科を第1期生として卒業。高知県立高知小津高等学校数学教師を退職後、1958年に大阪数学研究会(現・日本公文教育研究会)を設立。「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文公の長年の主張であった。公文式学習法が誕生した経緯や彼の考えは、『やってみよう-公文公自伝 子供の知的可能性を追求して』(くもん出版 1991年)という著書に詳しく書かれている。数学教育について、水道方式の遠山啓とは長年のライバル関係にあった。生誕 1914年...

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)
江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。生誕 元亀2年(1571年)命日 正保3年3月26日(1646年5月11日)西江院殿前但州太守大通宗活大居士<< 戻る

足利義尚(あしかがよしひさ)
室町時代後期の室町幕府第9代将軍。 『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、晩年に義煕と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職を巡る対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。生誕 寛正6年11月23日(1465年12月11日)命日 長享3年3月26日(1489年4月26日)常徳院悦山道治<< 戻る