
01月07日


1月7日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 1月13日二七日忌 1月20日三七日忌 1月27日四七日忌 2月3日五七日忌・35日法要 2月10日六七日忌 2月17日七七日忌・満中陰・四十九日法要 2月24日百箇日忌 4月16日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

岡本太郎(おかもとたろう)
絵画、彫刻、陶芸、書道、写真などで表現する芸術家。血液型はO型。1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。代表作は『傷ましき腕』、『重工業』、『明日の神話』、『マミ会館』、『太陽の塔』、ほか多数。岡本太郎は「作品を一人で独占するなんて不潔だ」と芸術作品を誰かが所有することを否定し、生涯にわたって自作を個人に売ることはなかった。そこに行けば誰でも平等に無料で楽しめる作品を目指し、壁画やストリートのオブジェを制作し続けた。岡本太郎の墓には一周忌に『午後の日』が墓碑として建てられた。多磨霊園16区1種17側3番。語録「芸術...

昭和天皇(しょうわてんのう)
第124代天皇(在位:1926年(大正15年/昭和元年)12月25日 - 1989年(昭和64年)1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹。 1921年11月25日から1926年12月25日までの5年余りに渡って、父帝・大正天皇の健康状態の悪化により、摂政宮となった。生誕 1901年(明治34年)4月29日命日 1989年(昭和64年)1月7日<< 戻る

石井漠(いしいばく)
舞踊家、ダンサーである。代表作は『甦る新世界』(1933)や、晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。いずれも作曲家の石井歓、石井眞木は息子、石井五郎は弟。また舞踊家の石井登は孫、石井武は曾孫である。生誕 1886年12月25日命日 1962年1月7日<< 戻る

前島密(まえじまひそか)
官僚、政治家。本姓は上野。通称は来輔。号は如々山翁鴻爪。日本の近代郵便制度の創設者の一人であり、その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。今日も使われる「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めたほか、1円切手の肖像で知られる。生誕 天保6年1月7日(1835年2月4日)命日 大正8年(1919年)4月27日(墓所、浄楽寺)<< 戻る

顕如(けんにょ/顯如)
戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第11世宗主、真宗大谷派第11代門首。石山本願寺住職。 顕如は号で、諱は光佐、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐とも呼ばれる。院号は信楽院。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣・九条稙通の猶子。室は左大臣・三条公頼三女の如春尼。長男に真宗大谷派第12代門首の教如、次男に真宗興正派第17世門主の顕尊、三男に浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如がいる。宗教者でありながら武装した僧侶や信徒と共に、神仏の冒涜を繰り返した織田信長を敵とみなし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけて、天下統一を目前で阻止した。軍事的にも経済...

足利義政(あしかがよしまさ)
は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は義成(よししげ)。なお、銀閣寺(慈照寺)の由来は義政の戒名「慈照院」から名付けられています。生誕 永享8年1月2日(1436年1月20日)命日 延徳2年1月7日(1490年1月27日)慈照院殿准三宮贈一品喜山道慶大禅定門<< 戻る

如宝(にょほう)
奈良時代から平安時代にかけての律宗の渡来僧。 胡国(西域と考えられている)の人で、鑑真の随員として日本を訪れた。鑑真死後に唐招提寺の長老となる。754年(天平勝宝6年)2月、鑑真と共に平城京に入る。同年4月、東大寺大仏殿前で盛大な受戒の儀が行われた際、如法も受戒して正規の僧となり、僧籍は薬師寺に置かれた。生誕 不明命日 弘仁6年1月7日(815年2月19日)<< 戻る