(命日)05月15日

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犬養毅(いぬかいつよし)

政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任した。生誕 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉命日 1932年〈昭和7年〉5月15日台光院殿沈毅木堂大居士<< 戻る
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長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)

安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。また、京都府京都市下京区の蓮光寺境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に蓮光寺の住職、蓮光上人と親交があったといいます。大坂夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を蓮光寺の墓地に葬って供養しました。生誕 天正...
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村田珠光(むらたじゅこう)

室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者とされる人物。なお僧侶であり本来ならば苗字は持たないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。 近年では「しゅこう」と濁らないとする説もある。奈良に出生し、11歳の時、奈良の浄土宗・称名寺に入り出家。僧名である「珠光」の名は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』の語句「一々の珠、一々の光」からとられた。20歳以前に称名寺を出る。その後の経歴は不明。応仁の乱の頃には、奈良に帰るが、称名寺には戻らずに、東大寺の近くの北川端町で、庵を営む。当時の北川端町は、民家もない田園だった(『奈良坊目拙解』より)。生誕 応永29年(1422年)または30年(1423...