
田島比呂子(たじまひろし)
本名博。1936(昭和11)年、兄が亡くなった代わりに東京小石川で友禅模様師をしていた高村樵耕に内弟子として入門。動植物の模写や師が描くのを隣で見て同じように描くなど、日本画の基礎を学ぶ。48年に肺結核を患い千葉九十九里の病院に入院し療養生活を送る。療養中に正岡子規の全集に影響を受け、俳句・短歌を詠みはじめ新聞に投稿する。限られた文字数で推敲を重ねて表現する手法は、丹念に試し染を行う友禅染への制作態度に引き継がれていく。54年、退院し、友禅の制作を再開、模様師として独立する。日本伝統工芸展に出品し、作家活動を開始する。同時に、社団法人日本工芸会に入会し、友禅の中村勝馬や山田貢との交流がはじまる...