飛鳥時代

人物

道昭(どうしょう)

道昭とは、玄奘三蔵が師であり、弟子に行基がいる河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧です。父は船恵尺。道紹や道照とも表記されます。出家して元興寺において戒行を修しました。白雉4年(653年)、遣唐使の一員として定恵らと共に入唐し、大慈恩寺の玄奘三蔵より法相宗の教えを受けました。また、玄奘の紹介で禅宗第二祖の慧可の孫弟子である隆化寺の慧満より禅の教えを授かったといわれています。斉明天皇6年(660年)頃に帰国し、同時に持ち帰った多くの経論・経典類は、天智1年 (661年) 元興寺の境内に禅院を建立し安置しました。日本における法相宗の初伝で、この法系を南寺伝と呼びます。...
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龍蔵寺-山口県山口市

・龍蔵寺 真言宗御室派 山口県山口市吉敷1750文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。(リンク先より)
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廣福寺-山口県宇部市

・廣福寺 真言宗御室派 山口県宇部市中山80明王山廣福寺と称す。この寺の開基は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。前諸国遍歴の役の行者は中山の里に紫雲棚引くを見て、この地は仏の住する地なり里人に仏の教えを広めんとして延命地蔵菩薩像を彫刻し小さな庵を建ててこれを祀り里人に仏の教えを説きかたわら十王倶生神 五道の冥官 三途の河の老婆 我造罪刹鬼悪是等を彫刻し地蔵菩薩像と共に安置した(695頃)その後四十五代聖武天皇(724 即位)はこの地蔵尊の霊験殊勝なるを知りて勅願寺とされて天平13年(741)堂宇を建立し当時聖武帝の教僧行基(ぎょうき)に落慶法要の導師を命ぜられた。勅命をうけた行基は堂の...
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藤原京遷都

694年、持統天皇が飛鳥の藤原京に都を遷す。<< 戻る
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大谷寺-福井県丹生郡

・大谷寺 天台宗 福井県丹生郡越前町大谷寺40-4-1奈良佛教の盛期に、我国古来の神を尊崇し佛の信仰を併せて行う、本地垂迹神佛習合の説を流布して、山野を跋渉し、大いに道路を開拓して、民衆の教化に専念された越の大徳・泰澄大師が、本拠の地として苦修練行された処で、ここに越知山三所大権現の御本地佛・地主大聖不動明王を自ら彫んで安置し、威験無双の廟社を創建されました。時に持統天皇6年(692年)と伝えられ、故に北陸佛法最初の霊場と称されます。(リンク先より) << 戻る
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明星輪寺-岐阜県大垣市

・明星輪寺 真言宗 岐阜県大垣市赤坂町4610持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(686年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍をはじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を再建修復す。このとき桓武天皇は勅願を下し封戸三百石を寄進された。(リンク先より) << 戻る
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大龍寺-岐阜県岐阜市

・大龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市粟野2339寺伝によると、第四十一代持統天皇の御世(686~697)に鎮護国家の為に創建されたのが始まりであります。後に禅宗に改宗されるまでは密宗寺院でした。その時代の詳しいことはわかりません。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-奈良県桜井市

・長谷寺 真言宗豊山派 奈良県桜井市初瀬731-1・第七番 ⇒ 西国三十三所 第八番 豊山 長谷寺 ⇒ 第九番当山は山号を豊山(ぶさん)と称し、寺号を長谷寺(はせでら)と言い、正式には豊山神楽院長谷寺と申します。 「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉集にうたわれていますように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬など美しい名でよばれていたので、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも言われていました。朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面...
年表

八色の姓を制定

684年、八色の姓を制定。 << 戻る
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小松寺-千葉県南房総市

・小松寺開基1300年WEB 真言宗智山派 千葉県南房総市千倉町大貫1057文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。(リンク先より) << 戻る
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西南院-奈良県葛城市

・西南院 高野山真言宗 奈良県葛城市當麻1263當麻寺 塔頭 西南院は、當麻真人国見が麻呂子親王によって草創された萬法蔵院を、白鳳12年 百済の僧正恵潅を導師に迎え當麻寺として還造した時、坤(裏鬼門)の守の寺院として創建されたのが始まりで、西塔の別当となった。(リンク先より)白鳳12年 683年 << 戻る
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極楽寺-愛媛県西条市

・極楽寺 石鎚山真言宗 愛媛県西条市大保木4-36西暦680年頃、役の行者神変大菩薩が、関西第一の霊峰、石鎚山(海抜1982米)に入山せられ、龍王山に籠らせ給い、毎日、不動ヶ滝に身を清め、西方にそびえ立つ霊峰石鎚山を拝しながら、ひたすらに衆生済度、密厳浄土、の実現を祈られつつ、厳しい修行を続けられた。(リンク先より) << 戻る
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薬師寺-奈良県奈良市

・薬師寺 法相宗 奈良県奈良市西ノ京町457六八〇年 天武天皇 皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、薬師寺建立を発願する。 六八六年 天武天皇崩御。皇后であった鸕野讃良皇女が持統天皇として即位される。六八八年 無遮大会を薬師寺に設ける。六九八年 薬師寺講堂阿弥陀大繍仏の開眼供養を行う。この時ほぼ講作が終り僧侶を住まわせ始める。(リンク先より)※2020年9月確認時点でアドレスの変更があったため更新しました。<< 戻る
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矢田寺-奈良県大和郡山市

・矢田寺 高野山真言宗 奈良県大和郡山市矢田町矢田寺3549「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は、 城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。(リンク先より)※白鳳4年 675年 << 戻る
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慈光寺-埼玉県比企郡

・慈光寺公式HP 天台宗 埼玉県比企郡ときがわ町西平386九十六世信海が書きました寺伝『都幾山慈光寺実録』によりますと、天武天皇の2年(673年)癸酉、僧慈訓が当山に登り慈光老翁の委嘱を受け、千手観音堂を建て、観音霊場として開基しました。その頃、役小角が伊豆の国に配流となり、関東を歴遊して当山に至り、西蔵坊を設け修験道場としました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

三論宗(空宗)が伝わる

天武天皇2年(673年)に僧正となった中国(呉)出身の智蔵(恵灌の弟子)は元興寺で恵灌に三論を学んだ後に入唐し、恵灌の師であり三論宗の大成者でもある吉蔵に直接師事して伝えた三論宗は、法隆寺の空宗とも呼ばれます。三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)です。空を唱える事から、空宗ともいわれます。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もあります。中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成しました。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論です。<< 戻る
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三井寺(園城寺)-滋賀県大津市

・三井寺(園城寺) 天台寺門宗 滋賀県大津市園城寺町246・第十三番 ⇒ 西国三十三所 第十四番 長等山 三井寺 ⇒ 第十五番弘文一年 672 七月 壬申の乱が起り、大友皇子(弘文天皇)崩御。大津京滅びる。この頃、大友村主家によって園城寺建立朱鳥一年 686 この年 寺伝に、天武天皇より「園城寺」の勅願を賜い大友氏の氏寺となす、という(リンク先より) << 戻る
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江岩寺-愛知県小牧市

・江岩寺 臨済宗妙心寺派 愛知県小牧市大字大山416飛鳥時代 6世紀から7世紀 (672年 壬申の乱)大山の寺 創建 発掘調査で白鳳期の布目瓦が大量に出てきたことから最初に建立された大山寺は壬申の乱後の7世紀末と考えられる。奈良時代 8世紀 大山寺廃絶平安時代 9世紀から12世紀 1113年 大山峰 正福寺 建立 天台宗、玄海上人が衰退していた大山寺を再興、尾張地方屈指の天台寺院となる。『大山三千坊』とも『西の比叡山、東の大山寺』とも称せられた。(リンク先より) << 戻る
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宝光寺-岐阜県不破郡

・宝光寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1414弘文天皇の時代(六七二)関が原関所の役についていた林豊後守藤原徳光が出家して法相宗末の宝光寺定空となったのを前期の開基とし、その末裔二十五代藤原道義が蓮如上人に帰依、宝光寺を相続していたのを後期の開基とする。(リンク先より) << 戻る
年表

山階寺の移転、厩坂寺に改称

天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。後の興福寺。<< 戻る
年表

壬申の乱

672年、壬申の乱。皇位の後継ぎ問題、これに勝った大海人皇子が天武天皇となる。<< 戻る
年表

天智天皇が死去

671年、天智天皇が死去。<< 戻る
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興福寺-奈良県奈良市

・興福寺 法相宗 奈良県奈良市登大路町48・第八番 ⇒ 西国三十三所 第九番 興福寺 南円堂 ⇒ 第十番法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置する為に造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、...
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石光寺-奈良県葛城市

・石光寺 浄土宗 奈良県葛城市染野387天智天皇(668~671在位)の勅願で建てられ、 役小角(えんのおづぬ)の開山と伝えられる。境内に奈良時代前期と言われる塔の大心礎があり、 平成3年には弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、日本最古の白鳳時代の石仏(当時の本尊)と他に瓦や仏せん(せんぶつ)が出土。(リンク先より) << 戻る
年表

中大兄皇子が即位、天智天皇となる

668年、中大兄皇子が即位、天智天皇となる。我が国最初の法典(近江令)や我が国最初の戸籍(庚午年籍)をつくる。<< 戻る
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誓願寺-京都府京都市中京区

・誓願寺 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区新京極三条下る桜之町453誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建されました。もともとは奈良にあったのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移されました。(リンク先より) << 戻る
年表

大津宮に都を遷す

667年、大津宮に都を遷す。<< 戻る
年表

白村江の戦い

663年、白村江(はくすきえ)の戦い。新羅と唐が結んで百済を攻めたため、日本が百済を助けて朝鮮に出兵した。日本軍は敗れ、朝鮮半島から手を引き、北九州の守りをかためた。<< 戻る
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仙遊寺-愛媛県今治市

・仙遊寺 高野山真言宗 愛媛県今治市玉川町別所甲483・57番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第58番札所 作礼山 千光院 仙遊寺 ⇒ 59番札所寺伝によると、仙遊寺は天智天皇(626〜在位661〜672)の勅願により創建されたといわれています。実際に地元で指揮を執ったのが当時の国守であった越智守興(おちもりおき)。作礼山の頂上付近に堂宇を建立したのが始まりといわれています。(作礼山の麓に越智守興をまつった三嶋神社があります)(リンク先より)<< 戻る
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建治寺-徳島県徳島市

・建治寺 東寺真言宗 徳島県徳島市入田町金治230当寺は白鳳時代天智天皇の頃(661~671)役行者(えんのぎょうじゃ)を開基に、金剛蔵王大権現を御本尊として発祀しました。弘仁年間(810~824)弘法大師が四国巡礼の折、当山に登り霊験あらたかなその聖地に感じ入り、修行場所として最適な霊地と逗留されることとなりました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

倶舎宗が伝わる

元興寺禅院の開祖の道昭が661年に帰朝の際、倶舎論および注疏を招来したと考えられています。その後、倶舎宗という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間(749年~757年)の東大寺において大仏開眼供養にちなんで南都六宗の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説しています。奈良時代以後は元興寺(南寺)と興福寺(北寺)を中心とする法相宗の付宗として伝統が伝えられました。倶舎宗とは、世親の阿毘達磨倶舎論およびその注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちのグループです。毘曇宗、抑舎宗、倶舎衆、薩婆多(さっばた)宗などとも呼ばれます。<< 戻る
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千光寺-奈良県生駒郡

・千光寺 真言宗醍醐派 奈良県生駒郡平群町大字鳴川188修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)は、舒明天皇6年(634年)元日、出雲の国の高賀茂問賀介麿(まかげまろ)と賀茂役氏の娘の白専女(しらとうめ)の子として、大和国葛木上郡茅原の郷に生まれました。幼少期の時より山に入り、修行を積み、修験道を開かれました。後に成人し、金剛葛城山において仏道修業に励まれました。西暦660年頃、生駒明神に参拝の折にご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、将軍木(ウルシの木)で千手観音を刻んで安置しました。その後、天武天皇が国家鎮護を願って伽藍を建立し、「千光寺」と名付け、寺領500石を下し賜われました。(...