長野県

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浄運寺-長野県須坂市

・浄運寺 浄土宗 長野県須坂市井上2618浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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称名寺-長野県長野市

・称名寺 真宗大谷派 長野県長野市若穂綿内8532粟津の戦(この時17歳、義仲31歳)に敗れ、後 各地を流浪。承元四年(1210年) 越後にいた親鸞聖人の弟子となる。 後、稲田へ同行、その後信濃へ帰り、金山の麓 波羅蜜寺に入り、寺号を義仲院水口山称名寺と変え、そこに住す。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
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瑠璃寺-長野県下伊那郡

・瑠璃寺 天台宗 長野県下伊那郡高森町大字大島山812比叡山竹林院の観誉僧都(かんよそうず)がこの地に入り、 仁王山の間の洞(あいのほら)の樹間に出現した薬師如来にいたく感激し、創建した古刹です。 建久3(1197)年に源頼朝の祈願所となり、寺領750石を永代寄進。その折、三本の桜も共託された。伊那谷に拝む 平安仏の寺、源頼朝公祈願寺、上杉謙信公戦勝祈願の寺、武田信玄公仏道修行の寺、徳川家御加護の寺として知られている。聖衆来迎の図、十六善神、愛染明王、武田信玄寄進の鶏香炉、雨乞いの青獅子などの寺宝がある。(リンク先より) << 戻る
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福應寺-長野県松本市

・福應寺 高野山真言宗 長野県松本市大字神林1747草創は、寺伝によれば承安3年(1173)にさかのぼる。即ちこの地の地頭であった平野刑部が、相州鎌倉より当地の守護神として、鶴岡八幡宮を勧請したとき、その本地である阿弥陀如来を安置する為に、別当寺として穂屋野山曼荼羅寺を建立したことに始まるという。曼荼羅寺は現在の福應寺の地より南にあり、寺中六坊を数えた繁栄の密場であった。(リンク先より) << 戻る
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大安楽寺-長野県松本市

・大安楽寺 真言宗智山派 長野県松本市女鳥羽2-5-8大安楽寺は延長2年(924年)一条修理太夫が当地におもむき、庶民の福祉を念じ大護摩祈願を厳修、現在の御徒士町に安原山「安楽寺」と称し行基菩薩により開山されました。 後に永正元年(1504年)島立右近が松本城建築に際し、東北東鬼門の方角に当る松本城鬼門除守護の霊刹とし七堂伽藍を再建しました。(リンク先より)<< 戻る
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千手院-長野県南佐久郡

・千手院 天台宗 長野県南佐久郡佐久穂町平林263佐久十四番札所として、平林觀音さまで知られている千手院は、天台宗に属し比叡山を総本山とし、仁寿年間(紀元一五十一年頃)第三世天台座主を勤められました慈覚 大師「圓仁」の開基で、現在まで七十六代、一千百五十余年の法統を守る古刹であります。 山号を平林山、寺号を津金寺と称し、千手觀世音菩薩を本尊とし日本三津金寺の一寺です。日本三津金寺とは、北佐久郡立科町山部の津金寺、甲州津金の津金寺(現在の海岸寺)と當山の三箇寺で、ひとり寺号を同じくするのみでなく、ともに行基菩薩御手造りの三躰觀世音菩薩像を各々本尊としています。(リンク先より)※仁寿年間 851年...
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前山寺-長野県上田市

・前山寺 真言宗智山派 長野県上田市前山300独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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天然寺-長野県下高井郡

・天然寺 浄土宗 長野県下高井郡木島平村大字上木島3336-イ天然寺は浄土宗、京都総本山知恩院の直末寺であり、本尊は阿弥陀如来です。寺の草創は今から千二百年をさかのぼる大同年間(806~809)とされています。かつてはこの地方の豪族市河筑前守信房の帰依を受けて隆盛をきわめ、末寺十二ヵ寺を擁したと伝えられていますが、現在は高社の麓にひっそりとかつての面影を偲ばせるように佇んでいます。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-長野県松本市

・放光寺 曹洞宗 長野県松本市蟻ケ崎1283天平二年 730年 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称す延暦年間 790年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設。又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したとされている(リンク先より) << 戻る
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宝輪寺-長野県松本市

・宝輪寺 高野山真言宗 長野県松本市大字今井1333宝輪寺の創建は其年代往古にして詳らかではありませんが、天平年間、光明皇后御筆の法華経が最古の寺宝として伝えられています。平安時代初期、弘法大師御巡錫の折り、不動明王を描かれご本尊として祀り、山号を平城山と称したといわれています。安元・治承の頃、今井に住した今井四郎兼平、本寺の荒廃を歎き祈願寺として再建。自ら中興の開基となりました。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る
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善光寺-長野県長野市

・善光寺 単立 長野県長野市元善町491『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。 この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座いたしました。皇極天皇三年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と...