長崎県長崎市

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天福寺-長崎県長崎市

・天福寺 曹洞宗 長崎県長崎市樫山郷887元禄元年(一六八八年)深堀菩提寺七世「天瑞萬奇大和尚」が天福寺を開山する。当時この地域の住民の殆どがキリシタン信者であり、寛永十七年(一六四〇年)の寺請檀家制度の実施により、大村藩主第二十二代純長は承応二年(一六五三年)真宗「光照寺」(神浦)、万治三年(一六六〇年)真宗「正林寺」(三重)を建立した。深堀藩鍋島茂春も飛び地領であった樫山に天福寺を建立せざるを得なかった。(リンク先より) << 戻る
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萬福寺-長崎県長崎市

・萬福寺 真言宗御室派 長崎県長崎市旭町23-27正保4年(1647)創立今の淵神社上の山を妙見嶺又は虚空藏峰とも云う。伝説によれば、ここは元神宮寺の支院であった所で、寺は麓なる海岸にあって、そこには弁財天の祠を設け、山頂には虚空藏菩薩と玄武神とを祀り之を妙見と云った。これが山の名の起こりである。山の一名を寳山と云い、後また寳珠山とも云うた。この峰が茂り鮮やかでその形が寳珠に似て居たからであると云う、意味のことが長崎圖史に書いてある。(リンク先より) << 戻る
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高林寺-長崎県長崎市

・高林寺 曹洞宗 長崎県長崎市鳴滝1-6-27当寺は正保三年(1646年)、晧台寺重興開山一庭融頓和尚によって建てられた、禅宗の一派である曹洞宗の寺院です。本尊はシャム王朝の勅願寺たるサケート寺から贈られた釈迦如来像です。(リンク先より) << 戻る
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光源寺-長崎県長崎市

・光源寺 浄土真宗本願寺派 長崎県長崎市伊良林町1-4-4寛永8年(1631年)開基松吟、福岡県瀬高より長崎に寄住し布教を開始寛永14年(1637年)山号・寺号の免許、銀屋町に一寺を建立延宝4年(1676年)銀屋町の寺地類焼のため、現在の伊良林の地に移転(リンク先より) << 戻る
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興福寺-長崎県長崎市

・興福寺 黄檗宗 長崎県長崎市寺町4-32興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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晧臺寺-長崎県長崎市

・晧臺寺 曹洞宗 長崎県長崎市寺町1海雲山 晧臺寺は、今からおよそ400年前、慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘した亀翁の苦心は想像に余りあるものでした。 慶長18年(1613)、キリシタン禁教例の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始めました。 そこで亀翁は、後任に肥前国上佐嘉春日村(佐賀県佐賀郡大和町)玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲りました。(リンク先より) << 戻る