行基

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法音寺-山形県米沢市

・法音寺 真言宗豊山派 山形県米沢市御廟1-5-32法音寺は、山号を八海山といい、真言宗豊山派に所属し、本山は奈良県の長谷寺であります。当寺は、もと越後の国南魚沼郡藤原の里、八海山の麓(現在の新潟県六日町)に、聖武天皇の勅命により、天平9年(737)年に総建された寺です。 当寺所蔵の八海山縁起によれば、藤原政照卿が、天皇の命を受けて諸国巡視中、越後国、飯盛山の麓で病死、その菩提を弔うため、行基菩薩が、勅命によってその地に法相宗の寺を建立したのが始まりとあります。寺号は政照卿の法名「都正院殿正二位政照法音大居士」に依ったものです。(リンク先より)<< 戻る
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地蔵寺-和歌山県橋本市

・地蔵寺 高野山真言宗 和歌山県橋本市菖蒲谷94天平9年(737年)の春、奈良の大仏で有名な東大寺建立に力を尽くした、「行基菩薩」によって開基されました。ご本尊『地蔵菩薩』は行基菩薩自らが彫られたもので『日本最勝・日本最古の地蔵菩薩』です。ご本尊は安産祈願の為に、この地に安置されたものですから「子安地蔵さん」と呼ばれています。(リンク先より) << 戻る
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霊山寺-奈良県奈良市

・霊山寺 霊山寺真言宗 奈良県奈良市中町3879神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。(リンク先より)※天平八年 736年 << 戻る
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乙宝寺-新潟県胎内市

・乙宝寺 真言宗智山派 新潟県胎内市乙1112当山は天平八年(七三六年)聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧によって開山されました。七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が当山の本尊としておまつりされています。婆羅門僧正は名を菩提僊那(ぼだいせんな)と言って印度より渡来した高僧で、その際に釈尊の両眼の舎利を請来されました。右眼のお舎利は日本へ渡来する前に中国へ渡りお寺を建ててそれを納め供養しました。そして日本へ渡来し、聖武天皇の勅願を受けて建てたお寺に左眼の舎利を納めて供養をしました。(リンク先より) << 戻る
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常光円満寺-大阪府吹田市

・常光円満寺 高野山真言宗 大阪府吹田市元町28-13常光円満寺は735年、行基という僧によって開山された由緒あるお寺です。最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が自らの菩提寺として深く信仰されていたとのことですが、応仁の乱の兵火によって全焼。寺領荘園の全てを失ってしまうのです。(リンク先より) << 戻る
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東光院-大阪府豊中市

・仏日山吉祥林 東光院 萩の寺 曹洞宗 大阪府豊中市南桜塚1-12-7東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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杉本寺-神奈川県鎌倉市

・杉本寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市二階堂903当山は天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。(リンク先より) << 戻る
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醫王寺-静岡県磐田市

・醫王寺 真言宗智山派 静岡県磐田市鎌田2065-1天平6年〜20年(734〜748)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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西生寺-新潟県長岡市

・西生寺 真言宗智山派 新潟県長岡市寺泊野積8996開山  天平5年(西暦733年)開祖  行基菩薩(ぎょうきぼさつ)御本尊 上品上生阿弥陀如来仏(じょうぼんじょうしょうあみだにょらいぶつ)真言  オンアミリタテイセイカラウン(リンク先より) << 戻る
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東林院-徳島県鳴門市

・東林院(種蒔大師) 高野山真言宗 徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59当院は、天平五年(733年)に行基によって開基されたと伝わります。その後、大同年間(806~810年)に弘法大師空海が御巡錫されて以来、真言密教の寺として紆余曲折がありながらも護持されてきました。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-長野県松本市

・放光寺 曹洞宗 長野県松本市蟻ケ崎1283天平二年 730年 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称す延暦年間 790年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設。又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したとされている(リンク先より) << 戻る
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円福寺-千葉県銚子市

・飯沼山 圓福寺(円福寺) 単立 千葉県銚子市馬場町293-1天平年間(729~749)になり、行基菩薩がこの奇瑞を耳にして、厨子を作って奉納した。しかし尊像の方が少し大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、尊像は首をたれて、みずから厨子に入ったという。後に、弘法大師が東国を巡錫した弘仁年間(810~824)、この尊像を拝したが、海中出現のままの姿だったので、台座や光背を作り、開眼供養をおこなった。そして、下総国の守護千葉氏の系統を引く海上長者が、尊像と大師に帰依して、壮大な伽藍を天生六年(1578)建立したとされる。(リンク先より) << 戻る
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大池寺-滋賀県甲賀市

・大池寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県甲賀市水口町名坂1168天平年間(729~784)諸国行脚の高僧、行基菩薩(668~749)がこの地(現在の滋賀県甲賀市水口町名坂)を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている。 当時の文献は、何一つ、残されてはいないが『甲賀郡志』『水口町志』によると、寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった、天台宗の寺であったという。(リンク先より)<< 戻る
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黒石寺-岩手県奥州市

・黒石寺 天台宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開山で、東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火にあい寺は焼失した。大同2年(807)飛騨(今の岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建し、嘉祥2年(849)第3代天台座主慈覚大師円仁が復興し妙見山黒石寺と改名した、天台宗の古刹である。(リンク先より) << 戻る
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遍照寺-兵庫県美方郡

・遍照寺 高野山真言宗 兵庫県美方郡香美町香住区小原616天平年間、行基菩薩によって開創され、天平宝字4年に洛陽椋橋山住僧法爾和上来臨され宝殿を築いて中興する。御本尊に十一面観世音菩薩を仰ぎ、法燈相伝えて1200有余年、幾多の栄枯盛衰の歴史の中、道俗こよなく浄心を運び地域の守護仏として十方を照らし安寧を願う。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る
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興徳寺-大阪府大阪市天王寺区

・興徳寺 高野山真言宗 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。(リンク先より) << 戻る
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西楽寺-広島県福山市

・西楽寺 高野山真言宗 広島県福山市坪生町1354-1天平年中(729~748)行基菩薩による開創と寺伝に記されています。のち、坪生氏の祖先菩提寺として、弘安4年(1281)、支族陶山氏により再建されたました(福山志科)。現在の本堂は、昭和の初め手城町庵ノ下の益本屋(土屋家)住宅を移築したもので、江戸末期の庄屋建築を示す貴重な建物です。(リンク先より) << 戻る
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妙法寺-香川県丸亀市

・妙法寺 天台宗 香川県丸亀市富屋町9寺の起こりは天平年間に行基菩薩が諸国を遍歴した際、豊田郡和田村(現在の香川県三豊郡豊浜町和田)の正因山に一宇のお堂を建立したことに始まる。長宗我部元親の兵火による消失の後、再建されたが、文禄4年(1595)、豊田郡坂本郷(現在の香川県観音寺市坂本町)に移り、当時は日蓮宗不受布施派に属していた。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る
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西国寺-広島県尾道市

・西国寺 真言宗醍醐派 広島県尾道市西久保町29-27西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山です。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。時は西暦729年のこととされています。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅しましたが、永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至ります。 伽藍の規模は正に西国一という意味を込め、西國寺と名付けられました。(リンク先より) << 戻る
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岩船寺-京都府木津川市

・岩船寺 真言律宗 京都府木津川市大字岩船小字上ノ門43岩船寺は、729年に聖武天皇が行基に阿弥陀堂を建立させたことに始まります。。<< 戻る
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天台寺-岩手県二戸市

・天台寺 天台宗 岩手県二戸市浄法寺町御山御山久保33-1天台寺は、神亀5(728)年の開山とされる天台宗の寺院である。新しい寺の候補地を捜すよう聖武天皇から命じられた僧・行基が、八峯八渓(8つの峰と8つの谷)を持つこの山を八葉山(はちようざん)と名付け、桂の木を用いて観音菩薩像を彫り、天皇自らが記した天台寺という額を掲げて開いたと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-愛知県豊橋市

・普門寺 高野山真言宗 愛知県豊橋市雲谷町ナベ山下7当寺は、 奈良時代神亀4年(727)に行基によって開山されたと伝わっています。天文3年(1534)成立の『普門寺縁起』には、次のような伝承が記されています。関東に向かう途中で当山に登った行基が、この山の地景を奇特に感じ、寺院草創の志を抱き修行をしていた(リンク先より) << 戻る
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金剛寳戒寺-大分県大分市

・金剛寳戒寺 高野山真言宗 大分県大分市上野丘2-8-27清瀧山 金剛宝戒寺は神亀4年(727年)聖武天皇の勅願を行基菩薩が奉じて創建し開山となった大分県でも由緒ある古刹です。大分郡荏隈郷五丁津留に建立された当山は寺領三万坪、金堂、塔、講堂の大伽藍と六十区の坊舎を配し大門、中門を備えた壮観なもので荘田二千余貫を有りしたと言われています。(リンク先より) << 戻る
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薬王寺-徳島県海部郡

・薬王寺 高野山真言宗 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1・22番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺 ⇒ 24番札所醫王山無量寿院薬王寺は、神亀3年(726年)、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡鍚し、一寺を建立された。弘仁6年(815年)、弘法大師42歳のとき、平城上皇の勅命によって本尊厄除薬師如来を刻んで開基した阿波の国薬王寺は、四国八十八ヶ所第23番の霊場であり、厄除根本御祈願所として全国にその名を知られている。(リンク先より) << 戻る
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尊永寺-静岡県袋井市

・尊永寺 高野山真言宗 静岡県袋井市豊沢2777神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である法多山は、勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えています。(リンク先より) << 戻る
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日石寺-富山県中新川郡

・日石寺 真言密宗 富山県中新川郡上市町犬岩163※別名・金剛不壊寺日石寺の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりと伝えられています。古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せました。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退しましたが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所として堂宇が再建されます。 本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の...
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性翁寺-東京都足立区

・木余り 性翁寺|龍燈山 貞香院 浄土宗 東京都足立区扇2-19-3神亀2年(725年)、この地に居住の足立之荘司宮城宰相が一人の娘「足立姫」と下女12人水死の難に遭った。父・荘司は悲嘆のあまり諸国廻行に出て熊野権現より霊木を授かり、海中に投げ入れると、霊木は当処へ流れ着いていた。 (旧来、熊の木の地名あり)この霊木を当地に行化の行基菩薩の御手で、六道流転化益に当たって六体の阿弥陀仏を彫刻し、六つの村里に安置して13人亡女子のため、 又、末代衆生利益のためとしたのが六阿弥陀の始まりである。(リンク先より)
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郷照寺-香川県綾歌郡

・郷照寺 時宗 香川県綾歌郡宇多津町1435・77番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺 ⇒ 79番札所奈良時代(8世紀初め・神亀2年(725))、行基菩薩が開創し仏光山・道場寺と称していた。本尊の阿弥陀如来は行基の作と言われる。後に、弘仁6年(815)弘法大使42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除のご誓願をなされたことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めている。その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わった。元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。(リンク先より)<< 戻る
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岩水寺-静岡県浜松市浜北区

・岩水寺 高野山真言宗 静岡県浜松市根堅2238神亀2年(西暦725年)。人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。(リンク先より) << 戻る
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葛井寺-大阪府藤井寺市

・葛井寺 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21・第四番 ⇒ 西国三十三所 第五番 紫雲山 葛井寺 ⇒ 第六番725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代に渡り制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられる。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られている。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。(リンク先より) << 戻る
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竹林寺-高知県高知市

・竹林寺 真言宗智山派 高知県高知市五台山3577・30番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第31番札所 五台山 金色院 竹林寺 ⇒ 32番札所竹林寺は、神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願を奉じた行基により唐の五台山(ごだいさん)になぞらえ開創されました。(リンク先より) << 戻る