知恩院-京都府京都市東山区

仏教を本気で学ぶ

ミッドナイト念仏

ミッドナイト念仏とは、夜から翌朝まで木魚を打ち「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称える行事であり、主に浄土宗総本山知恩院で行われています。1996年9月に初開催され(おてつぎ運動30周年記念「MAKINGサラナ」の諸行事の内の一つ)、1997年からは毎年4月18日に「ミッドナイト念仏 in 御忌」として国宝三門楼上で夜の8時から翌朝7時までの12時間、木魚を打ち念仏を称える行事が行われています。御忌(ぎょき)とは、法然上人の忌日法要で毎年4月に知恩院で行われています。なお、2011年は東日本大震災のため中止、2020年は新型コロナウィルス感染予防のため中止となりました。例年は、誰でも参...
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新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴う山内行事(6月)の中止について(知恩院)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内での発生状況を踏まえて感染拡大防止を考慮した結果、下記の行事の中止を決定いたしました。皆様には多大なご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解のほどお願い申し上げます。各行事の詳細に関してはそれぞれの担当係までお問合せください。6月1日(月) 華頂流花道教室【教務係TEL.075-531-2157】11日(木)・12日(金) 善導忌【法要係TEL.075-531-2273】13日(土) 発願文写経会【おてつぎ運動係TEL. 075-541-5142】13日(土) 第639回おてつぎ文化講座【おてつぎ運動係】14日(日) 日曜法話【教務係】15日(月...
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消費税増税に伴う価格改定のお知らせ

令和2年1月より、精進料理を下記の価格にてご提供させていただきます。(知恩院)葵御膳  4,500円華頂御前 3,500円知恩弁当 2,000円詳しくは公式ページへ
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知恩院 秋のライトアップ2018

知恩院のライトアップに行ってきました。知恩院は京都で一番好きな場所で、1年に何度か訪れるのですが、ライトアップは初めて。(リンク先より)・知恩院 秋のライトアップ2018
市区町村の宗派別寺院一覧

京都府京都市東山区の寺院

寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。👍2 知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町👍2 法性寺 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市東山区本町16-307光照院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町408正林寺 浄土宗 京都府京都市東山区渋谷通東大路東入三丁目上馬町553松宿院 浄土宗 京都府京都市東山区林下町山内406青竜寺 浄土宗 京都府京都市東山区下河原町通八坂鳥居前下る三丁目南側411得浄明院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町459光玄院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町413...
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台風被害 下鴨神社と知恩寺

一昨日(9月4日)に近畿地方を襲った台風21号は、京都の文化財にも多くの被害がありました。家の近くの気になる寺社の写真と共に、昨日の段階で判明している京都府の文化財被害をお知らせします。(リンク先より)・台風被害 下鴨神社と知恩寺(京都を歩くアルバム)
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知恩院の三門、御影堂が国宝に

2002年(平成14年)、知恩院の三門、御影堂が国宝の指定を受ける。<< 戻る
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知恩院、大方丈・黒門・集会堂などの修復

1835年(天保6年)、大方丈・黒門・集会堂などの修復なる。<< 戻る
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知恩院、「華頂山」の勅額

1710年(宝永7年)、霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う。<< 戻る
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知恩院、諸堂の再建

1639年(寛永16年)、諸堂の再建なる(御影堂・大小方丈など)。知恩院の火災について三代将軍徳川家光公に報告し、再建の命を下し、片桐貞昌を造営奉行として復興が行われました。1639年(寛永16年)5月には御影堂立柱、同年7月上棟となり、その後約2年で大・小方丈、唐門などを含めた現在の伽藍が再建されました。<< 戻る
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勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失

1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。その時の様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書かれています。「正月九日亥の刻(午後10時)火が出て、私は一番に方丈に入り火の元に行ったが、すでに小方丈北側半分まで火が移っていた。霊巌上人は猛火の中に飛び込もうとしていたのでそれをなだめ、人を付けてお護りした。私は奥に入り権現様や秀忠公ご拝領の品などを持ち出した。御影堂に延焼するのを防ぐ為、霊巌上人や寺内の衆、一心院住持、近辺の衆と共に御影堂北側の廊下を切り離そうとした。そこへ周防守様の御家中木下宮...
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知恩院、三門、経蔵を造営

1619年(元和5年)、江戸幕府が知恩院の三門、経蔵を造営、2年後に竣工しました。【三門】1619年(元和5年)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、我が国現存の木造建築として最大級の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」とい...
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後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。<< 戻る
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知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。<< 戻る
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知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。<< 戻る
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知恩院に寺領百九十石

1585年(天正13年)、豊臣秀吉、知恩院に寺領百九十石の朱印状を付す。<< 戻る
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知恩院、勢至堂の再興

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源がここにあります。現在の勢至堂は享禄3年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21メートル、梁行20メートルの現存する知恩院最古の建造物です。ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に移されたため、それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(重要文化財)をご本尊としておまつりしています。これが勢至堂と言...
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知恩院にて御忌大会

1524年(大永4年)、御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が知恩院で始まる。<< 戻る
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知恩院、火災にあう

1517年(永正14年)8月、火災がおこったが、影像、勅伝など災いを免れた。<< 戻る
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源智、知恩院の諸堂を興す

1234年(文暦1年)、法然上人の弟子源智が上人を開山として知恩院の諸堂を興す。<< 戻る
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知恩院-京都府京都市東山区

・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う(リンク先より)<< 戻る