滋賀県

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蓮通寺-滋賀県長浜市

・蓮通寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 滋賀県長浜市西浅井町岩熊542源平争乱の寿永三年(1184年)、征夷大将軍源義仲は粟津ヶ原で敗死し、その室山吹御前は子息義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で世の浮沈を窺って暮らしていたが、義仲を破った頼朝・義経の兄弟も世を去り、琵琶湖にすぐ近い海津の荘に住まいを移したところ、本願寺御開山親鸞聖人、越後に流罪となり琵琶湖を舟で渡ってこられ海津にお着きになり、義隆・義順兄弟と師弟の約諾を交わしてくださり、兄の義隆は海津荘岩谷の地で願慶寺開基となり、弟の義順は浅井郡塩津荘岩熊に赴き蓮通寺の開基となった。(リンク先より) << 戻る
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圓満院門跡-滋賀県大津市

・圓満院門跡 単立 滋賀県大津市園城寺町33圓満院は寛和三年(987年)に、村上天皇の第三皇子悟円親王により創立された天台宗の門跡寺院です。三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と呼ばれていました。藤原道長が宇治に建てた別荘をその子藤原頼道の時代に寺院にするよう命令が下され、平等院(後の圓満院)の明尊大僧正によって完成しました。(リンク先より) << 戻る
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願乘寺-滋賀県彦根市

・願乘寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県彦根市錦町3-23天暦10年(956年)坂田郡荘厳寺村において、天台宗護念院願乘寺として、了覚が創立しました。その後12代を経て、13代了善が、柏原駅にて親鸞聖人の教化を蒙り浄土真宗に転派しました。(リンク先より) << 戻る
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伊崎寺-滋賀県近江八幡市

・伊崎寺 天台宗 滋賀県近江八幡市白王町1391伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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西明寺-滋賀県犬上郡

・西明寺 天台宗 滋賀県犬上郡甲良町池寺26寺伝によると、平安時代の初期に当たる承和元年(834年)のある日、三修上人(慈勝上人)が、琵琶湖の西岸を歩いていると、突如として琵琶湖の東方の彼方より、紫雲が現れまぶしい光が射しました。この雲や光を見た上人は「この光の源をたずねれば、きっとすばらしい霊地があり、修行中の私に何か悟らしめて、重大な使命が下されるに違いない」との霊感に打たれ、池に向かって一心に祈念なされました。やがて、不思議な事に薬師如来の尊像が現れ、その後に日光菩薩、月光菩薩、続いて十二神将が現れました。三修上人に帰依していた仁明天皇は、この不思議な出来事を聞くと、この地に勅願寺として...
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冷泉寺-滋賀県近江八幡市

・冷泉寺 曹洞宗 滋賀県近江八幡市千僧供町252大同三年(八〇八年)行基菩薩開創の七堂伽藍を備えた巨刹「蔓陀羅坊」(千僧供廃寺)遺跡を継承由来する。御本尊十一面千手観世音菩薩立像をはじめ、 薬師如来坐像、地蔵菩薩像、多聞・持国・増長・広目の四天王立像の七体は平安時代の仏像で 国の重要文化財に指定され、(昭和二十六年)この蔓陀羅坊の尊像であったものである。(リンク先より) << 戻る
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櫟野寺-滋賀県甲賀市

・櫟野寺 天台宗 滋賀県甲賀市甲賀町檪野1377福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。) その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永...
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比叡山延暦寺-滋賀県大津市

・比叡山延暦寺 天台宗 滋賀県大津市坂本本町4220最澄は12歳で近江の国分寺行表(ぎょうひょう)の弟子となり、宝亀11年(780)に得度、延暦4年(785)に奈良の東大寺戒壇院で具足戒(250戒)を受け、国に認められた正式な僧侶となられたのです。受戒後3ヵ月ほどで奈良を離れ、比叡山に分け入り修行の生活に入られました。そして若き僧最澄は願文を作り、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を下りないと、み仏に誓いました。その後、延暦7年(788)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を刻まれました。最澄亡き後、一乗止観院は「延暦寺」の寺額を勅賜され、比叡山延暦寺と呼ばれるようになりま...
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石山寺-滋賀県大津市

・石山寺 東寺真言宗 滋賀県大津市石山寺1-1-1・第十二番 ⇒ 西国三十三所 第十三番 石光山 石山寺 ⇒ 第十四番天平19年(747)、石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正が建てられた寺院と伝えられます。良弁僧正は聖武天皇から、東大寺の大仏建立にあたって黄金が不足しているので、黄金の産出を祈願するようにと命じられました。はじめは吉野の金峯山で祈願していた良弁僧正ですが、蔵王権現の夢告を受けて、この石山の地にたどりつきます。そして岩の上に、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を祀って祈願したところ、陸奥国で黄金が発見されました。祈願が達成されたため、念持仏を移動させようとしましたが、岩から...
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金剛輪寺-滋賀県愛知郡

・金剛輪寺 天台宗 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺873奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山されました。言い伝えによりますと行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされました。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めています。(リンク先より) << 戻る
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安養寺-滋賀県栗東市

・安養寺 真言宗泉涌寺派 滋賀県栗東市安養寺88天平十二年(740) ・聖武天皇の勅願により、金勝寺25別院の一つとして、良弁僧正が開基。  本尊が薬師如来であることから東方瑠璃山安養寺勅願を賜りました。承和元年(834) ・弘法大師空海が中興、真言宗に改宗。伽藍造立の本願は太政大臣藤原良房。(リンク先より) << 戻る
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大池寺-滋賀県甲賀市

・大池寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県甲賀市水口町名坂1168天平年間(729~784)諸国行脚の高僧、行基菩薩(668~749)がこの地(現在の滋賀県甲賀市水口町名坂)を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている。 当時の文献は、何一つ、残されてはいないが『甲賀郡志』『水口町志』によると、寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった、天台宗の寺であったという。(リンク先より)<< 戻る
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宝厳寺-滋賀県長浜市

・宝厳寺 真言宗豊山派 滋賀県長浜市早崎町1664・第二十九番 ⇒ 西国三十三所 第三十番 竹生島 宝厳寺 ​⇒ 第三十一番竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。(リンク先より)※神亀元年 724年 << 戻る
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正法寺-滋賀県大津市

・正法寺 真言宗醍醐派 滋賀県大津市石山内畑町82・第十一番 ⇒ 西国三十三所 第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺) ⇒ 第十三番西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽 観音霊場第四番札所、びわ湖百八霊場湖西二十七古刹第二番。養老六年(722年)、加賀白山を開いた泰澄大師が元正天皇の33歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。(リンク先より) << 戻る
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善水寺-滋賀県湖南市

・善水寺 天台宗 滋賀県湖南市岩根3518奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。霊水を桓武天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。(リンク先より) << 戻る
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三井寺(園城寺)-滋賀県大津市

・三井寺(園城寺) 天台寺門宗 滋賀県大津市園城寺町246・第十三番 ⇒ 西国三十三所 第十四番 長等山 三井寺 ⇒ 第十五番弘文一年 672 七月 壬申の乱が起り、大友皇子(弘文天皇)崩御。大津京滅びる。この頃、大友村主家によって園城寺建立朱鳥一年 686 この年 寺伝に、天武天皇より「園城寺」の勅願を賜い大友氏の氏寺となす、という(リンク先より) << 戻る
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百済寺-滋賀県東近江市

・百済寺 天台宗 滋賀県東近江市百済寺町323釈迦山百済寺は、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の勅願によって開かれた近江最古の仏教寺院です。創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達しました。平安時代になり、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になります。(リンク先より) << 戻る
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教林坊-滋賀県近江八幡市

・教林坊 天台宗 滋賀県近江八幡市安土町石寺1145推古13(605)年に聖徳太子によって創建されました。寺名の『教林』とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩とご本尊を祀る霊窟が残され、『石の寺』と呼ばれています。ご本尊は太子自作の石仏で難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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石馬寺-滋賀県東近江市

・石馬寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823推古2年(西暦594年)、推古天皇の摂政であった聖徳太子が「霊地は近江国にある」と占い、駒の蹄に任せて永久に鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求めていました。そして繖山(きぬがさやま)の麓辺りに来ると、駒は歩みを止めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲がたなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。 聖徳太子は「積年の望みをこの地に得たり」と深く感動して再び山を下ると、松の樹につないだ駒が傍の池に沈んで石と化していました。この奇瑞に大いに霊気を感じ、直ちに山を『御都繖山(ぎょとさんざん)』と名付け寺を建立し、馬が石と...