栃木県

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総徳寺-栃木県那須郡

・昇覚院総徳寺 真言宗智山派 栃木県那須郡那珂川町大山田下郷1724真言宗智山派み属し、寶珠山 曻覺院 總徳寺という。本尊は不動明王を安置し鎌倉仏師運慶の作と伝えられる。1217 (健保5)年 光寶上人により開基。醍醐無量寿院の直末となる。八溝山周囲三県に渡り、末寺二十八ヶ寺を有す。江戸時代 水戸領となり、光圀公の時代寺社改革のため多数の寺が破却されるも存続を許される。(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-栃木県足利市

・龍泉寺 天台宗 栃木県足利市助戸1-652当寺は、元久2年(紀元1205年3月)の開創であり、権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く「吾と汝と共に日本60余州を巡礼し、66部の経典を各霊場に納め、汝は是れ我なり」と言うなり霞の如く消失したという。(リンク先より) << 戻る
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鑁阿寺-栃木県足利市

・鑁阿寺 真言宗大日派 栃木県足利市家富町2220鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。(リンク先より) << 戻る
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福厳寺-栃木県足利市

・福厳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市緑町1-3270今から約830年前の寿永元年(1182年)に、藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養する為に理真上人を勧請開山として開創されたと寺伝に記録されております。(リンク先より) << 戻る
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常圓寺-栃木県那須郡

・常圓寺 浄土真宗本願寺派 栃木県那須郡那珂川町片平753保元2年(1157)照證法印成善阿闍梨(俗称は那須太郎資隆の弟、那須次郎資房)が片平字竹ノ内に再興。文治4年(1189)片平城主八郎義隆(那須与一宗隆の兄)が亡父資隆(法号佛光洞照)の法要を営む。建久元年(1190)後鳥羽天皇の時代に後白河法皇より勅願を賜り、佛光山東照院と号する。(リンク先より) << 戻る
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正宗寺-栃木県芳賀郡

・正宗寺 時宗 栃木県芳賀郡益子町益子3615紀貫之、十七代の末孫紀仲之(益子氏(紀氏)初代・之宗の父)、入道し、正宗と号す。天治元年(1124年)夢告により、専阿上人を開山上人に迎え、自ら開基となり、一宇建立し守り本尊を安置し一翁山阿弥陀院正宗寺と号した。これが正宗寺の起こりである。益子氏の菩提寺。(リンク先より) << 戻る
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本願寺-栃木県佐野市

・本願寺 曹洞宗 栃木県佐野市赤見町4821天慶8年(944年)、赤見村駒場坪字宮合山ふもと東ノ沢に面積2反1畝10歩の官有地があり、この境内地に藤原忠則公の帰依と宝徳比丘尊により、東西20間・南北21間の堂宇が建設され「本願庵」と称したのが、当山の開基始祖であり、後々法統脈々として相承してきた。応永元年(1394年)山火事により450年の庵は焼失した。(リンク先より) << 戻る
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泉福寺-栃木県日光市

・泉福寺 真言宗智山派 栃木県日光市猪倉2733815(弘仁6)年 弘法大師空海上人が薬師如来を刻し草庵を結び、東光院と名付けたのを開創としています。その時当地は未曾有の大旱魃に見舞われており大師はこれを憐れみ山頂の大穴に穴を穿ち 仏舎利一粒を沈め、請雨法を修したところ忽ちに雨を呼び旱魃の苦を救われたとの伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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大谷寺-栃木県宇都宮市

・大谷寺 天台宗 栃木県宇都宮市大谷町1198大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきました。(リンク先より) << 戻る
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高勝寺-栃木県下都賀郡

・高勝寺 天台宗 栃木県下都賀郡岩舟町静3当山は岩船山 高勝寺と号す。弘誓坊明願が宝亀2年に開山、「生身の地蔵尊」を本尊とする天台宗の末寺である。(リンク先より)※宝亀2年 771年 << 戻る
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輪王寺-栃木県日光市

・輪王寺 天台宗 栃木県日光市山内2300日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。(リンク先より) << 戻る