便り 正永寺-長野県飯田市 ・正永寺 曹洞宗 長野県飯田市江戸町3-246-1飯田城主二代 坂西由政(ばんざい よしまさ)が応永十五年(約六〇〇年前)六十六歳の時に、正永寺殿賢峰道因大居士と号して入道し、風越山の麓、圜悟沢付近に庵を結んで閑居したのが始まりで、その後、正永寺原に一寺を建立し「正永寺」と称しました。※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。(旧アドレス:) << 戻る 2018.09.06 便り
便り 圓福寺-長野県長野市 ・圓福寺 曹洞宗 長野県長野市篠ノ井横田869今では千曲川の堤防の外に、日吉神社跡の碑が建っていますが、古老が語るところでは、この神社のそばにお堂があったと伝えられています。それが今日の円福寺のもとであって、知っているのは、門前の大欅だけですが、豊かに栄えたこの村の人々の信仰の願いによって、松代の御朱印地であった浄福寺の五代能國咄藝大和尚を開山にお迎えして、龍眼山円福寺というお寺が開創されたのですが、実際に住職されたのは二世伝國全長大和尚であって、浄福寺を本寺にいただくために、能國咄藝大和尚を御開山に拝請したことと察せられます。(リンク先より) << 戻る 2018.09.06 便り
便り 賴岳寺-長野県茅野市 ・賴岳寺 曹洞宗 長野県茅野市ちの上原1753開創は、江戸時代初期の寛永8年(1631)でご開山(初代住職)は雙林寺(群馬県)十三世大通関徹大和尚 開基は高島藩初代藩主の諏訪頼水 頼水は諏訪大社にまつられる建御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主 として君臨し江戸時代は高島藩三万石の大大名として栄えていた(リンク先より) << 戻る 1631.01.07 便り年表
便り 龍顔寺-長野県上田市 ・龍顔寺 曹洞宗 長野県上田市生田4659当寺は慶長12年(1607年)真田宮内之助高勝公(附系図参照)の菩提寺として、信州上田城主、真田信之公の朱印状により開創されました。高勝は信光とも称し、上田城主、真田昌幸公の弟にして、幸村はその甥に当たります。開山は葉山存荷大和尚(1620年示寂)であり、甲府市恵運院二世光厳東旭大和尚の二番弟子です。兄弟子は松山存宿大和尚といい、上田市大輪寺の開山大和尚です。(リンク先より) << 戻る 1607.01.01 便り年表
便り 廣正寺-長野県須坂市 ・廣正寺 曹洞宗 長野県須坂市野辺町669廣正寺は、慶長年間(1596~1614)に下八町の大廣院開基大峡但馬守廣綱の次男である大峡兵左衛門廣正が創立し、父の分骨を収めて石碑を建てたとされている。(リンク先より) << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 良泉寺-長野県上田市 ・良泉寺 曹洞宗 長野県上田市殿城1363寺伝によると天正3年(1575年)3月、矢沢薩摩守綱頼(真田幸隆の弟)が当寺を創立、寺領10貫文を寄付し 大安山良泉寺と号し、菩提所とした。そして天正8年9月、桂昌寺五代の住僧玄廓大和尚を迎えて開山とした。 これより先、 当地に十貫山広沢寺と称せし小字があり綱頼がこれを拡充整備して当寺を創せしともいう。(リンク先より) << 戻る 1575.01.01 便り年表
便り 見性寺-長野県千曲市 ・見性寺 曹洞宗 長野県千曲市大字新山629天正3年(1575)真言宗の僧侶盛巖佑昌庵主が遷化(他界)し、上山田町城腰の普携寺第4世、繁室玄昌大和尚が入寺して以来曹洞宗の禅寺として歴史を刻んでおります。(リンク先より) << 戻る 1575.01.01 便り年表
便り 長福寺-長野県北安曇郡 ・長福寺 曹洞宗 長野県北安曇郡池田町大字会染3011長福寺の開創は、永禄年間でありますが、現在の長福寺は、「曹洞宗 大本山 総持寺直末 金勝山長福寺」として、明治13年再興されたお寺です。江戸時代まで、安曇野には沢山のお寺がありましたが、明治初期、この安曇野一円の寺院が藩令により廃寺とされ、そのほとんどが取り壊しを受けました。しかし、その後、人々の中に《何としても、お寺を建て、ご先祖の供養をしなければならない》という気運が高まり、檀信徒の熱意によって、明治13年、この安曇野ではいち早く、現在の地に長福寺が再建されました。(リンク先より)※永禄年間 1558年から1570年 << 戻る 1558.01.01 便り年表
便り 長國寺-長野県長野市 ・長國寺 曹洞宗 長野県長野市松代町町松代町1015-1天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、畏敬する伝為晃運(でんいこううん)禅師を開山第一世に招き、一族の菩提寺として松尾(現・)城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。(リンク先より) << 戻る 1547.01.01 便り年表
便り 碩水寺-長野県東筑摩郡 ・碩水寺 曹洞宗 長野県東筑摩郡筑北村坂北1044-1当寺は天明二年と文化十年の火災にあい、寺の由緒は詳かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られる。現在の曹洞宗に改められたのは、享禄年中(1528~)、当時の領主青柳近江守清長、伊勢守頼長父子が勢力をはっていた頃のことで、頼長が開基となり、南安曇有明の青原寺二世天如桂樹和尚を請じて開山となし、天文元年(1532)、寺が創立された。(リンク先より) << 戻る 1528.01.01 便り年表
便り 岩松院-長野県上高井郡 ・岩松院 曹洞宗 長野県上高井郡小布施町大字雁田615荻野備後守常倫が雁田の辺に20端の城塁をつくり岩松と称しました。開創は文明4年(1472年)、開山は不琢玄珪禅師。本尊仏は宝冠をいただく釈迦牟尼仏で、江戸時代初期(慶長かその直後)に作られました。(リンク先より) << 戻る 1472.01.01 便り年表
便り 常圓寺-長野県伊那市 ・常圓寺 曹洞宗 長野県伊那市山寺3251応永六年(1399)に信濃国西伊那部村西山の内(現在の伊那市横山)の寺社平に開創されました。現在は記念碑が建っています。 その後、百年を経て文亀元年(1501)に賢甫宗俊禅師により開山され、現在地の字上の原山王権現(現在の伊那市山寺区)に移転再興されたのは天正九年(1581)で、五世造天弘宅大和尚のときであり、開基は御園の御子柴六左衛門茂久です。(リンク先より) << 戻る 1399.01.01 便り年表
便り 放光寺-長野県松本市 ・放光寺 曹洞宗 長野県松本市蟻ケ崎1283天平二年 730年 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称す延暦年間 790年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設。又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したとされている(リンク先より) << 戻る 0730.01.01 便り年表