新潟県(曹洞宗)

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龍源寺-新潟県中魚沼郡

・龍源寺 曹洞宗 新潟県中魚沼郡津南町大字中深見甲1118安土桃山時代にあたる天正十年(西暦一五八二年)※一説に天正十五年(西暦一五八七年)開創の曹洞宗という禅宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る
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林泉寺-新潟県上越市

・林泉寺 曹洞宗 新潟県上越市中門前1-1-1越後守護代長尾重景と、諸国を行脚していた曇英慧応という室町時代の曹洞宗を代表する高僧が、上越の柿崎の地で運命的な出会いをした。重景は曇英和尚の人柄と、和尚の説く仏の教えに深く感じ入り、越後に留まってもらうために下小野という場所に庵を建て、そこに留まってもらうことにしたという。その庵こそが林泉寺の原点である。(リンク先より) << 戻る
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智泉寺-新潟県十日町市

・智泉寺 曹洞宗 新潟県十日町市泉21近世以前の智泉寺の歴史は、伝説として次のように語られています。智泉寺は元々、魚沼郡水沢邑(現在の水沢地区)の城内にありました。城主没落後に、十日町邑中澤辺り(現在の高田町)に移り山号を中澤山と号し、五代の住職を経たものの、火災により諸堂を消失。住職不在のままその後数年の歳月が流れました。(リンク先より) << 戻る
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安穏寺-新潟県阿賀野市

・安穏寺 曹洞宗 新潟県阿賀野市小浮1576※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。(旧アドレス:)青龍山安穏寺、当山は天正元年(1573)八月、 五泉市興泉寺六世勅特賜直指峰台禅師の昌山春林を開山とし、創立。(リンク先より) << 戻る
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永林寺-新潟県魚沼市

・永林寺 曹洞宗 新潟県魚沼市根小屋1765永林寺は、五百有余年前に創建され、徳川家康の孫松平忠直公(作州津山藩祖)、その子松平光長公(越後高田藩主)の香華所として本堂建築を認可され、三葉葵の紋章を許された由緒深い曹洞宗の名刹である。その折、江戸彫り御三家の石川流石川雲蝶正照を拝請し、100点余りの作品群を有りしている。置物や欄間は、華麗ななかにも艶やかさを保ち、勝縁の寺として参詣者も多い。(リンク先より) << 戻る
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雲洞庵-新潟県南魚沼市

・雲洞庵 曹洞宗 新潟県南魚沼市雲洞660今から1300年ほど前の奈良時代、藤原房前公(藤原鎌足の孫)の母君が出家して当地に庵を結び、金城山から湧き出る霊泉で沢山の病人を救いました。母君亡き後、薬師如来を携えてこの地を訪れた房前公は、母親の菩提を弔う金城山雲洞庵を建立されました。以来、藤原家の尼僧院として律宗に属し、約600年間に渡り特に女人救済の庵寺として大変栄えたのです。その後、今から600年ほど前の室町時代、関東管領・上杉憲実公が藤原家末裔の因縁で庵をうけ、曹洞宗雲洞護国禅庵を開創し、以降、北陸無双の大禅道場として栄えてきました。(リンク先より) << 戻る
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広大寺-新潟県新潟市秋葉区

・広大寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区古津601光田観音(ひだりだかんのん)広大寺(こうだいじ) 曹洞宗(リンク先より) << 戻る
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宝光寺-新潟県新発田市

・宝光寺 曹洞宗 新潟県新発田市諏訪町2-4-17宝光寺の開基は、新発田藩祖溝口秀勝公です。その後、江戸時代は歴代藩主に外護されてまいりました。(リンク先より) << 戻る
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大栄寺-新潟県新潟市江南区

・大栄寺 曹洞宗 新潟県新潟市江南区沢海6925 僧堂の一日【4:30】  暁天…早朝の坐禅【5:20】  朝課諷経…お経を僧侶と一緒にお唱えします(日中・晩課も同様)【6:30】  小食…お粥を中心に頂く、僧堂作法に則った朝の食事【7:00】  普請作務…毎日の雑巾がけなど【9:00】  日天作務…修行僧が毎日計画を立てて行う仕事【11:00】 日中諷経【11:30】 中食…より丁寧な僧堂作法に則った昼の食事【13:30】 日天作務…午前とは異なった仕事を行います【16:00】 晩課諷経【17:30】 薬石…夜の食事(昔、食事代わりに温めた石を腹に当てていた事に由来)【19:50】 夜坐…夜...
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盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る
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広厳寺-新潟県胎内市

・広厳寺 曹洞宗 新潟県胎内市西栄町2-8広厳寺は天正16年(1588年)曹洞宗の開創であるが、起原を尋ぬれば天正16年以前、200年前の元中6年(1389年)頃、胎蔵界大日如来を本尊とする真言宗のお寺が建立されていたと伝えられている。現在のご本尊は京都の大仏師定朝法印の作でその当時のものと思われる。尚、このご本尊は宝暦11年辛巳2月大仏師定朝法印第30世源康伝によって修復されている。曹洞宗開創当時(天正16年)は戦国時代であり、戦乱の世の中でお寺も非常に荒廃し、住職もいなかったと思われる。(リンク先より) << 戻る
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宝泉寺-新潟県十日町市

・宝泉寺 曹洞宗 新潟県十日町市小泉1051宝泉寺水澤山と号す、天正14年8月(1587)、上杉喜平治景勝の目代、山谷の舘主、藤木長左衛門勝久の開基にして、 上州白鄕井村雙林寺、13世大道関鉄大和尚の開山なり、本尊釈迦牟尼佛に、文珠、普賢の二菩薩とす、 境内1千5百坪、寺産豊かなり、上杉家除地寄付の起請文に依り、徳川幕府の当時、当寺境内山林田畑屋敷は、 検地毎に其式通り下賜せり、中世名家酒井氏の檀越となりて以来、同家旧君家の位牌を安置す(リンク先より) << 戻る
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宗現寺-新潟県新潟市中央区

・宗現寺 曹洞宗 新潟県新潟市中央区西堀通7-1569宗現寺は、元亀年間(1570-1573)真言律院として開創されましたが、慶長元年(1596)10月25日現在の新潟市中央区西堀通三番町法音寺七世不巌梵学大和尚(慶長18年1月15日寂)によって曹洞宗に改宗されました。歴代住職中、特に、加賀(富山県)高岡の瑞龍寺に昇住した13世霊源活湛大和尚、数次の祝融に遭遇しながら堂宇を再建された25世再中興薬欄文獅大和尚(現本堂を明治38年上棟、昭和14年4月17日寂)、新潟市西船見町満福寺開山、相模大雄山最乗寺、晋んで大本山總持寺独住第20世として曹洞宗管長に就任された26世重興形山瑾映大和尚(昭和57...
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西福寺-新潟県魚沼市

・西福寺 曹洞宗 新潟県魚沼市大浦174赤城山西福寺は、1534年(室町時代後期)、開山 芳室祖春(ほうしつそしゅん)大和尚によって開かれました。約500年の歴史を持っています。ご本尊様は阿弥陀如来三尊で、鎌倉時代の作です。本来、曹洞宗では釈迦如来をご本尊としてお奉りします。しかし、当寺は初め天台宗の寺でありました。(リンク先より) << 戻る
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安住寺-新潟県柏崎市

・安住寺 曹洞宗 新潟県柏崎市石曽根3216開山 北条普広寺三世曇芳文誉大和尚 大永3年(1523)示寂開基 石曽根帯刀公(リンク先より) << 戻る
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普廣寺-新潟県柏崎市

・普廣寺 曹洞宗 新潟県柏崎市山室726-1文亀四年(1504)当村深沢城主村山安芸守の開基、曇英和尚(群馬県群馬郡白井双林寺三世宝光隻包悍巨)の開山である。また一書に、明応二(1493)上杉定正開基とある。始め家近に建立、後現地に移した。また。一書に、元亀年間北条城主毛利家中興と記されている。(リンク先より) << 戻る
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玉泉寺-新潟県阿賀野市

・玉泉寺 曹洞宗 新潟県阿賀野市分田1043玉應山玉泉寺(ぎょくおうざんぎょくせんじ)は、その昔、真言宗の寺であった。 福聚山無量院(ふくじゅざんむりょういん)と称し、20世代まで続いた。開基は分田七郎俊長で彼の戦勝祈願の寺として建立され、俊長の墓が寺の脇の墓地にある。その後、永正元年(1504年)阿賀野市(旧水原町)にある西福寺の末寺として、雲山派天(うんざんはてん)大和尚によって禅宗の1つである曹洞宗に改宗され、開山された。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-新潟県五泉市

・慈光寺 曹洞宗 新潟県五泉市蛭野870時の嶽城主・神戸太郎最重が室町時代初期、応永10年(1403)頃、岩船・耕雲寺の傑堂能勝禅師の道風を慕い、師を勧請して中興の祖となし、爾来、禅刹として再興。ご開山・傑堂能勝禅師は、南北朝時代、後醍醐天皇を支えた楠木正成の直孫と伝えられる。早くから祖父・正成の意志を継いで、南朝の再興を願い、一族と共に良く奮戦するが、25歳の時、相手方の弓矢により足を痛められ治療の折、仏典を読み戦国乱世の虚しさを感じ、諸方に多くの禅匠を参じた後、越前・龍沢寺の梅山聞本禅師の会下に投じ、禅の奥義を究めたといわれている。(リンク先より) << 戻る
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妙高寺-新潟県小千谷市

・妙高寺 曹洞宗 新潟県小千谷市川井114妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族 田中大炊介源義房(たなかおおいのすけみなもとのよしふさ)により創建された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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東龍寺-新潟県南蒲原郡

・東龍寺 曹洞宗 新潟県南蒲原郡田上町大字田上乙1374護摩堂山は昔、三井山と呼ばれていた。護摩を焚くお堂ができて、現在の呼び名に。東龍寺は、弘仁五年(814年)あるいは、天長五年(828年)真言宗として、開創された。言い伝えとして、弘法大師空海あるいは、弟子の空法上人によって開かれた。(リンク先より) << 戻る