奈良時代

便り

長尾寺-香川県さぬき市

・長尾寺 天台宗 香川県さぬき市長尾町西653・86番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第87番札所 補陀洛山 観音院 長尾寺 ⇒ 88番札所当山は、聖徳太子の開創と伝えられている。古くより聖武天皇( 724)、天平11年( 739)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳(ようりゅう)」をもって聖観世音菩薩像(三尺五寸、約1メートル)の尊容を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置した。大同年間( 806- 810)に空海上人が、当山にて年頭七夜五穀豊熟、国土安穏を祈念された。その後、空海上人が唐に渡る前にこの地を訪れ、護摩修法を行い人々に護摩符を授けた。唐から帰国した空海は、天長2年( 825...
便り

東福寺-徳島県美馬郡

・東福寺 真言宗御室派 徳島県美馬郡つるぎ町木屋341縁起では、神亀元(724)年 忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として、法福寺を建立、さらに、東寺、西寺を建て、後東寺を東福寺と改め、忌部別当とした。また、弘法大師が巡錫の時、南山に宝剣が下るのを見て、不動明王を刻み本尊として、弘仁3(812)年に開創したとも伝う。(リンク先より) << 戻る
年表

聖武天皇が即位

724年、聖武天皇が即位する。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

施薬院と悲田院

施薬院(せやくいん)とは、貧しい病人に薬を与え疫病(えきびょう)の治療をした施設です。今の病院にあたります。悲田院(ひでんいん)とは、貧窮者・病者・孤児などの救済施設です。今の養護施設にあたります。723年(養老7年)、皇太子妃時代の光明皇后が奈良の興福寺に施薬院と悲田院を創設しれたという記録が『扶桑略記』にあり、これが記録上最古の施薬院と悲田院です。その後、役割を補い合い、各所につくられるようになりますが、中世には衰亡しました。また、豊臣秀吉が再興しています。光明皇后(701〜760年)は、奈良時代の聖武天皇の皇后です。名は光明子(こうみょうし)といいました。安宿媛(あすかべひめ)ともいいま...
年表

三世一身の法

723年、三世一身の法が出される。土地の開墾の奨励のため。班田制がくずれる。<< 戻る
便り

常福寺-三重県伊賀市

・常福寺 真言宗豊山派 三重県伊賀市古郡559創建は、養老六年(722年)。徳道上人開基。和州豊山長谷寺(総本山長谷寺)の開基である徳道上人が、長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、「南面が晴れて霊鷲山に良く似た名利の地である」として、長谷寺本尊十一面観世音菩薩造立の余材を用いて稽文會・稽主薫の二人の仏師に命じて本尊五大明王(五大尊)を造り、仏閣を修造した後、天平二年(730年)聖武天皇に上奏して勅願寺に定められました。(リンク先より) << 戻る
便り

正法寺-滋賀県大津市

・正法寺 真言宗醍醐派 滋賀県大津市石山内畑町82・第十一番 ⇒ 西国三十三所 第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺) ⇒ 第十三番西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽 観音霊場第四番札所、びわ湖百八霊場湖西二十七古刹第二番。養老六年(722年)、加賀白山を開いた泰澄大師が元正天皇の33歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。(リンク先より) << 戻る
便り

大蔵経寺-山梨県笛吹市

・大蔵経寺 真言宗智山派 山梨県笛吹市石和町松本610松本山大蔵経寺(しょうほんざんだいぞうきょうじ)は奈良時代養老6年(722年)に法相宗の行基菩薩を開祖として創建されたと伝えられています。 往古は菩提山長谷寺(ぼだいさんちょうこくじ)の本坊で、松本寺と呼ばれており、山内に物部神社を勧請し、大寺院であったようです。応安年間(南北朝時代)足利三代将軍義満の庶子、観道上人(かんどうしょうにん)が中興開山として入山するにあたり、義満公が甲斐の守護武田信成に命じて七堂伽藍を建立させました。この時より武田家祈願寺になっています。(リンク先より)<< 戻る
便り

称念寺-福井県坂井市

・称念寺 時宗 福井県坂井市丸岡町長崎19-17縁起によれば当地長崎が湖のほとりにあったころ白山権現がこの地に渡来した際、着岸した旧跡であったといいます。また泰澄大師というお坊さんがこの地を訪れ、養老5年(721)元正天皇の勅願を受け阿弥陀堂を創建したと記録してあります。(リンク先より) << 戻る
便り

喜光寺-奈良県奈良市

・喜光寺 法相宗 奈良県奈良市菅原町508養老5年(721)行基菩薩は、この地に住んでいた寺史乙丸という人物から平城京右京三条三坊の土地の寄進を受けられ、翌年にお寺を建てました。これが喜光寺です。行基菩薩は土地の名前から「菅原寺」と名づけられました。菅原寺(喜光寺)は、行基菩薩の建立されたお寺のなかで唯一平城京内にあり、行基菩薩の布教活動・社会事業の重要な拠点寺院となっていったのです。(リンク先より) << 戻る
便り

高田寺-愛知県北名古屋市

・高田寺 天台宗 愛知県北名古屋市高田寺383高田寺の創建は、奈良時代にさかのぼる。壬申の乱で功を得た高田首新家の菩提を弔って養老四年(七二〇)、その子首名が行基菩薩を請じて建立したと言われる。「続日本紀」巻第二十四、淳仁天皇天平寶字七年(七六三)の条は、高田寺が歴史上最初にその名が登場する文献である。その後、大同年間、伝教大師が東国巡鍚の折、天台宗となった。(リンク先より) << 戻る
年表

日本書紀

720年、日本書紀ができる。舎人親王、太安万侶。<< 戻る
便り

台雲寺-宮崎県延岡市

・台雲寺 曹洞宗 宮崎県延岡市北小路3739養老3年 (719年) 懸(あがた・現延岡市)の領主・土持氏の時代に、笑領和尚によって今山へ蓬来山金仙寺が創建される。天正15年 (1578年) 県領主となった高橋元種が金仙寺を萩に移し、後に大圓山西林寺を建立して菩提寺とした。(リンク先より) << 戻る
便り

観海寺-大分県別府市

・観海寺 曹洞宗 大分県別府市観海寺四口碑に曰く、奈良時代・養老二年(元正天皇)約一二八〇年前仁聞菩薩始めて錫を此地に駐め温泉を拓き、諸々の病者して入浴せしめ後、丘に一宇を建立し観海寺と称す。當時一刀三禯の薬師如来の尊像を彫刻し本尊仏となす。とあり奈良朝、六郷満山を開いた僧、仁聞の開基とされております。(リンク先より)※養老二年 718年 << 戻る
便り

大善寺-山梨県甲州市

・大善寺 真言宗智山派 山梨県甲州市勝沼町勝沼3565養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れた時、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。(リンク先より) << 戻る
便り

法承寺-福井県福井市

・法承寺 単立 福井県福井市飯塚町23-2飯塚町観音堂に安置し奉る聖観音菩薩御尊像(秘仏)は、人皇第四十四代元正天皇の御代養老二年(718年)に奈良の菅原寺住職の行基が彫刻した御尊像であります。養老二年の春、行基菩薩が当地に巡幸の折、一夜の宿を飯塚の氏神様にお求めになり、その夜に瑞夢に紫雲たなびき光明が輝きましたので、これは不思議の霊地として一刀刻みにより御丈五尺三寸の聖観音菩薩の御尊像を彫刻し、国家安穏、五穀成就、万民快楽を祈願されたのであります。(リンク先より) << 戻る
便り

松尾寺-奈良県大和郡山市

・松尾寺 単立(松尾山真言宗) 奈良県大和郡山市山田町683松尾寺は、養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。(リンク先より) << 戻る
便り

倶利伽羅不動寺-石川県河北郡

・倶利伽羅不動寺 高野山真言宗 石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ-2倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。(リンク先より) << 戻る
年表

養老律令

718年、藤原不比等らが「養老律令」をつくる。<< 戻る
便り

願慶寺-石川県白山市

・願慶寺 単立(東本願寺浄土真宗) 石川県白山市吉野タ25-1伝承によれば当寺の草創は極めて古く、養老年間、僧泰澄が白山を開く時に、当寺に立ち寄って一夜の宿としたという。また、古老の語る民話では、『昔吉野の地には大きな沼があり、そこに一匹の龍が住んで、絶えず雨を降らせ、村民は田畑を作ることができずに困っていたという。ある時、たまたまこの地を訪れた高僧(泰澄か?)が泊めてもらった家でこの話を聞き、一晩の恩義に報いるため、三日三晩の祈祷の末、この龍を退治し、白蛇に姿を変えて、小さな祠の中に閉じ込めたという。(リンク先より)※養老年間 717年から724年 << 戻る
便り

那谷寺-石川県小松市

・那谷寺 高野山真言宗 石川県小松市那谷町ユ-122養老元年(717年)に泰澄が那谷寺を創建したと伝えられています。ここでは那谷寺の歴史に関わった人を紹介します。(リンク先より) << 戻る
便り

福通寺-福井県丹生郡

・福通寺 真言宗東寺派 福井県丹生郡越前町朝日7-61奈良時代の養老元年(西暦717年)、越の大徳(こしのだいとこ=越前のえらいお坊さん)泰澄大師により開かれたお寺です。言い伝えによれば、泰澄大師がこのあたりを巡錫(仏の教えを広め人々を救う修行をすること)していたところ、山に妖しい雲がただよい、ただならぬ気配が村をつつんでいるのに気がつかれました。村人にその理由を聞けば、この山に魔神が棲み、人々を苦しめているとのこと。人々は泰澄大師に魔神のたたりを鎮めてくれるように哀願しました。泰澄大師はその願いを聞きいれ、魔障うずまく山中に籠り、衆生済度(人々を救う)の仏である観音菩薩に祈りを捧げました。一...
便り

平泉寺-福井県勝山市

・平泉寺 天台宗 福井県勝山市平泉寺町平泉寺66-2白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われているのが白山平泉寺です。一帯は、最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄します。しかし、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失しました。(リンク先より) << 戻る
便り

大福寺-千葉県館山市

・大福寺 真言宗智山派 千葉県館山市船形835この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。(リンク先より) << 戻る
便り

大興善寺-佐賀県三養基郡

・大興善寺 天台宗 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。(リンク先より)※養老元年 717年 << 戻る
便り

大山寺-鳥取県西伯郡

・大山寺 天台宗 鳥取県西伯郡大山町大山9大山寺は、奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。 昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいういわゆる鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。(リンク先より)※養老年間 717年から724年<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝と言われる。<< 戻る
便り

善興寺-富山県高岡市

・善興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市中田4500-1善興寺は、もともと後亟(ごぜ:小矢部市)に在りました。現在もその旧地には石碑が建っています。善興寺に伝わる古文書には、開基について「飛鳥法興寺七世慧乗禅師によって建立」された、と記されています。飛鳥朝の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。仏像を天皇より賜った蘇我氏の菩提寺、法興寺の第7世慧乗法師が、諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、石動山の麓に勝地を選んで一宇を建立したことが始まりとされます。霊亀2年(716)のことです。のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜り、石動山の三分一を功徳田としました。(リンク先...
便り

岩屋寺-愛知県知多郡

・岩屋寺 尾張高野山 愛知県知多郡南知多町大字山海字間草109草壁皇子と元明天皇【阿閇皇女(あへのひめひこ)】の娘である元正天皇が即位された霊亀元年(715)に勅使として押小路中納言実直卿が都より派遣され、 後に東大寺建立に尽力され日本で最初に大僧正になられた行基菩薩が導師となり聖観音の開眼供養が行われたのが始まりと伝わっています。 創建当時は堂塔伽藍十二ヶ坊、大門、楼門、多宝塔が建立され荘厳であったとの記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
年表

国ごとに「風土記」の編さんを命じる

713年、国ごとに「風土記」の編さんを命じる(日本最古の地理書)。<< 戻る
年表

古事記ができる

712年、古事記ができる。稗田阿礼、太安万侶らによる日本最古の歴史書。<< 戻る
便り

蓮光院-新潟県柏崎市

・蓮光院 真言宗豊山派 新潟県柏崎市米山町2260寺伝によれば、和銅四年(711) 越前の修験行者・泰澄の開山と伝えています。泰澄は米山伝説に登場する人物で、日本海を通る北前船に米の托鉢を乞うたところ拒否されたため、神通力をもって米山山頂に米を飛来させた、という行者でした。(リンク先より) << 戻る