京都府(天台宗)

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青蓮院門跡-京都府京都市東山区

・青蓮院門跡 天台宗 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(えんにん、慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。 平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主であります。...
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行願寺-京都府京都市中京区

・行願寺 天台宗 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17・第十八番 ⇒ 西国三十三所 第十九番 霊麀山 革堂 行願寺 ⇒ 第二十番<< 戻る
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穴太寺-京都府亀岡市

・穴太寺 天台宗 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46・第二十番 ⇒ 西国三十三所 第二十一番 菩提山 穴太寺 ⇒ 第二十二番<< 戻る
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善峯寺-京都府京都市西京区

・善峯寺 天台宗 京都府京都市西京区大原野小塩町1372・第十九番 ⇒ 西国三十三所 第二十番 西山 善峯寺 ⇒ 第二十一番善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。 長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜さ...
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二尊院-京都府京都市右京区

・二尊院 天台宗 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27二尊院の歴史は、嵯峨天皇の勅願により天台宗第三世慈覚大師(円仁)が承和年間(八三四〜八四八)に建立したことにはじまります。 鎌倉時代の初期には、法然上人(一一三三〜一二一二)が二尊院に住んで法を説かれ、関白九条兼実公(一一四九〜一二〇七)を筆頭に身分の高い人たちの信望を集め(リンク先より)<< 戻る
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愛宕念仏寺-京都府京都市右京区

・愛宕念仏寺 天台宗 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5奈良時代・天平神護二年(766)に、聖武天皇の娘の称徳天皇によって現在の東山松原通の地に寺が建立されます。 当時はこの地を、山城国愛宕郡(おたぎごうり)と言いましたが、この寺も愛宕の地に最初に建てられたので愛宕寺と名付けられました。(リンク先より) << 戻る
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毘沙門堂-京都府京都市山科区

・毘沙門堂 天台宗 京都府京都市山科区朱稲荷山町18毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。(リンク先より)...
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寂光院-京都府京都市左京区

・寂光院 天台宗 京都府京都市左京区大原草生町676寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といい、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であったが現存しない。(リンク先より) << 戻る