仏教(インド)の出来事

仏教を本気で学ぶ

菩提樹(ぼだいじゅ)

菩提樹はインドで古くからピッパラと呼ばれ聖木として扱われてきた樹の一つです。シッダッタがこの樹下で、坐禅を組んで全宇宙の真理(菩提)を悟り、ブッダとなったことから、後に悟りの樹、菩提樹(ボーディ・ブリクシャ)と呼ばれるようになりました。また、三大聖木の一つです。この写真はブッダガヤにある菩提樹です。この菩提樹のことを知る人に詳しく聞きましたが、この菩提樹は4代目だそうです。仏教にとって聖なる樹であっても、異教徒にとってはそうでない場合もあり、切り倒されてしまったこともあったようです。今ではその周りには坐禅をする人、お経を唱える人、観光に来た人、あらゆる人が常にいました。ここが仏教にとっての聖地...
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『阿弥陀経』(あみだきょう)

阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその...
年表

年表

寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。飛鳥時代, 奈良時代, 平安時代, 鎌倉時代, 室町時代, 安土桃山時代, 江戸時代, 明治時代, 大正時代, 昭和時代, 平成時代, 令和時代, 曹洞宗の出来事, 浄土宗の出来事, 浄土真宗の出来事, 天台宗の出来事, 真言宗の出来事, 臨済宗の出来事, 日蓮系宗派の出来事, 諸宗派の出来事, 世界の出来事(仏教),世界の出来事(仏教以外),仏教(インド)の出来事,仏教(中国)の出来事,日本の出来事(仏教以外)...
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『無量寿経』(むりょうじゅきょう)

無量寿経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとの梵語(サンスクリット語)では सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)となります。同タイトルの『阿弥陀経』と区別して『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『阿弥陀経』の『小経』に対して、無量寿経を『大経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりお経の解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈...
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祇園精舎の鐘(ぎおんしょうじゃのかね)

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し  猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ平家物語はこのような一節から始まるので、祇園精舎にはどんな鐘があるのだろうかと思う人が多いそうです。しかし、ブッダが生きていた時代にはどうだったかは分かりませんが、遺跡が発掘されて以降、祇園精舎に鐘はありませんでした。インドに旅行に行く人が増え、祇園精舎を訪ねる人も増えてくると、この問題にぶつかります。そうです。ネットもスマホもない時代、「地球の歩き方」はあったのか無かったのかという昭和、祇園精舎を訪れる人は次々にこう尋ね...
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アジャンタ石窟寺院(せっくつじいん)

インドのムンバイ(旧・ボンベイ)東北東約350km、マハーラーシュトラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院。1819年4月に発見。紀元前後から7世紀にわたってつくられ、グプタ式美術を代表する傑作を多く残している。とくに壁画が有名。1819年4月、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたとき、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。<< 戻る
人物

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

玄奘三蔵とは、中国(唐)の訳経僧です。玄奘とは僧名で、また諱でもあります。僧の最高峰である「三蔵」の号を得た高僧で、初代三蔵の鳩羅摩什(くまらじゅう)と共に「二聖」、あるいは真諦と不空金剛を含めて「四大訳経家」とも呼ばれます。法師、三蔵などが付いているのは尊称です。現在の河南省に生まれ、俗名は陳褘(ちんき)、諡(おくりな)は大遍覚(だいへんがく)です。629年に陸路でインドに向かい、645年に経典657部や仏像などを持ち帰った旅が『大唐西域記』として残されています。法相宗の開祖です。10歳で父を亡くした玄奘は、次兄の長捷(陳素)が出家して浄土寺(洛陽)に住むようになり、自身も浄土寺に学び、11...
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ナーランダ/ナーランダ大学

ナーランダ大学とは、427年に建てられた世界最古の大学であったと考えられており、インド仏教の最重要拠点であった僧院です。5世紀初頭のインド、グプタ王朝のクマーラグプタ1世(シャークラ・ディティヤ王)が創建しました。ナーランダは「蓮のある場所」「知識の提供者」という意味です。それから12世紀ごろまで栄え、数千人の僧侶が学んでいたと伝えられ、多い時には1万人の学僧が集まったという記述もあります。現在はその一部が発掘、整備され公園になっています。また、ラージギル(王舎城)まで15km、ブッダガヤまで82kmほどという位置関係です。下の写真は、この地方出身と伝えられるブッダ十大弟子の1人であるサーリプ...
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『般若心経』(はんにゃしんぎょう)

『般若心経』は、正式には『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』といい、さらに略して『心経(しんぎょう)』と呼ばれることもあります。サンスクリット語では、प्रज्ञापारमिताहृदय(Prajna-paramita-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)で、現在一般的に広まっているのは玄奘三蔵が漢訳した『般若心経』(掲載のもの)です。成立年代や成立場所がはっきりしていないものの紀元後300年から400年の間にインド文化圏で成立したと考えられています。なお、現存するテキストで最古のものは、鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『摩訶般若波羅蜜大明呪経』一巻で、402...
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龍樹(ナーガールジュナ)

南インド出身の仏教僧。バラモンの家系に生まれましたが出家して仏教僧となりました。梵語(サンスクリット語)で नागार्जुन、Nāgārjuna、ナーガールジュナといい、漢訳名では、音写で那伽閼刺樹那(なぎゃはらじゅな)、意訳で龍樹(りゅうじゅ)、龍勝(りゅうしょう)、龍猛(りゅうみょう)。著作とされるものに『中論』『十二問論』『大智度論』『十住毘婆沙論』等。竜樹。特に『中論』において確立された空の思想は、以後、全ての大乗仏教思想に最大の影響を与え、その学派は後世、中観派(ちゅうがんは)と呼ばれるようになりました。伝承的な部分が多く、龍樹が書いたという書物も多いですが、古来から現代までの研究...
人物

カニシカ王 – 仏教を保護

カニシカ王とは、中央アジアからガンジス川流域を支配し、仏教を保護したクシャーナ朝の中で最も名の知られた王です。漢訳仏典では音写して迦膩色迦などと表記されます。在位は144年頃~171年頃と考えられています。この時代にガンダーラ美術がおこりました。カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されています。その伝説によれば、カシミール地方にシンハという王がいて、仏教に帰依してスダルシャナと称して出家し、カシミールで法を説いていました。カニシカ王は彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったといいます。各地に仏塔を建造したことが知られているほか、仏典の第四回結集(第三回とも)が...
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『法華経』(ほけきょう)

法華経とは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)のことです。もともとの梵語(サンスクリット語)では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Pundarīka Sutra, 正しい教えである白蓮花の経典)であり、鳩摩羅什訳で「妙法蓮華経」となりました。「法華経」は「妙法蓮華経」の略称です。日本に仏教が538年か552年に伝来し、聖徳太子の法華経の注釈書「法華義疏」は615年に著されたので、日本では早い段階から重要な位置にあったはずです。中国では286年に竺法護が『正法華経』として漢訳しています。法華経はサンスクリット語の写本...
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大衆部枝末分裂/上座部枝末分裂

紀元前160年頃、大衆部枝末分裂。上座部枝末分裂。説一切有部、経量部等成立。アビダルマ仏教。論蔵の成立。<< 戻る
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ミリンダ王の問い

紀元前2世紀後半にアフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世(ミリンダ王/弥蘭王/弥蘭陀王)とインド仏教の長老であるナーガセーナ(那先/那伽犀那/龍軍)との間で紀元前160年頃に3日間行われた問答で、王は最後には仏教信者になる。パーリ語経典の『ミリンダ王の問い』、漢語経典の『那先比丘経』として伝えられている。初日はミリンダ王がナーガセーナを訪ね、2日目と3日目はナーガセーナが王宮を訪ね問答を行う。初日の問答の始まりはこんな感じです。あなたの名前を教えてください王よ、私はナーガセーナと世間に呼ばれているけど、それはあくまでも呼称・記号・通念・名称で...
年表

アショーカ王がルンビニを訪れる

紀元前249年にブッダの生誕地ルンビニをマウリヤ王朝のアショーカ王が訪れる。ルンビニで発見されたアショーカピラー(石柱)に記される。<< 戻る
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第三結集(だいさんけつじゅう)- アショーカ王の呼びかけ

(アショーカピラー/インド・ビハール州クムラハール)紀元前260年(インド)第三結集がマウリヤ王朝の都パータリプトラ(パトナ市)の郊外にある鶏園寺(クムラハール)において、マウリヤ王朝3代目アショーカ王の呼びかけで阿羅漢1000人が集まり経・律・論がまとめられる。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から235年後頃に行われた(上座部の伝承)。なお、紀元前244年開催説もある。<< 戻る
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アショーカ王即位

(アショーカ王レリーフ/より)紀元前268年(インド)、アショーカ王(阿育王)が即位し、治世9年目にインド亜大陸の東岸で勢力を振るったカリンガ国に戦を仕掛け征服するが、戦争の悲惨さを実感し仏教に帰依。アショーカ王が石柱や摩崖(岩)などに刻ませたアショーカ王碑文が多く残る。在位~紀元前232年頃の間、仏教がインド全体に普及。原始仏教聖典原型成立。『阿含経』『法句経』『ジャータカ』等。<< 戻る
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第二結集(だいにけつじゅう)- 上座部と大衆部に根本分裂

(ストゥーパとアショーカピラー/インド・ビハール州ヴァイシャリ)紀元前385年(インド)第二結集が毘舎離(ヴァイシャリ)において阿羅漢700人が集まり行われる。ヴィナヤ(律蔵)の10の要点について討議されたといわれている。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から100年後頃に行われた(上座部の伝承/説一切有部の伝承では入滅から110年後)。これにより上座部と大衆部に根本分裂。<< 戻る
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十大弟子(じゅうだいでし)

ブッダの多くの弟子の中でも代表とされる十大弟子です。多くの経典にも登場し、後には造像も盛んに行われました。・マハーカッサパ(摩訶迦葉/頭陀第一)・アーナンダ(阿難/多聞第一)・サーリプッタ(舎利子、舎利弗/智恵第一)・モッガラーナ(目犍連、目連/神通第一)・スブーティ(須菩提/解空第一)・プールナマイトラーヤニープトラ(富楼那/説法第一)・マハーカッチャーナ(摩訶迦旃延/論議第一)・アニルッダ(阿那律/天眼第一)・ウパーリ(優波離/持律第一)・ラーフラ(羅睺羅/密行第一)<< 戻る
人物

アーナンダ(阿難)

アーナンダ(aananda,आनन्द)、阿難 (あなん)、阿難陀(あなんだ)ブッダの従弟であり、十大弟子の一人で「多聞第一」といわれています。nandaは歓喜・慶喜という意味です。釈迦族の王族であるドートーダナ(斛飯王・こくはんおう)の子であり、仏教経典に悪人として描かれているデーヴァダッタ(提婆達多)の弟です(諸説あり)。禅宗の系譜ではブッダの教えを伝えられた第一祖のマハーカッサパ(摩訶迦葉)より法を伝えた第二祖とされ、さらにその弟子の商那和修に伝えられています。ブッダが成道した日の未明、父のスッドーダナ(浄飯王・じょうはんおう)は自分の子がブッダとなったことをいち早く感得していました。大...
人物

ウパーリ(優波離)

ウパーリ(upaali、उपालि) 優波離(うばり)ブッダの十大弟子の一人で「持律第一」といわれています。ウパーリはインドのカースト制度の中でも下層であるスードラの出身で、カピラヴァストゥ城、釈迦族を担当する理髪師をしていました。ブッダがカピラヴァストゥ城に帰国し、スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)、ラーフラ(羅睺羅/密行第一)が弟子となった後、アニルッダ(阿那律・あなりつ)、跋提梨迦(五比丘の一人とは別人)、金毘羅、婆咎、アーナンダ(阿難陀)、デーヴァダッタ(提婆達多)の6人の諸王子がブッダの弟子となるらしいとの話を聞き、ウパーリはアニルッダに従いアヌピヤー村に向かいます。...
人物

アニルッダ(阿那律)

アニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)、阿那律(あなりつ)、阿㝹楼駄(あぬるだ)、アヌルッダ(Anuruddha)ブッダの従弟であり、十大弟子の一人で「天眼第一」といわれています。釈迦族のドロノダーナ(斛飯王)、あるいはアムリトダーナ(甘露飯)のどちらかの太子で、兄・マハーナーマ(摩訶男)の弟とされます。ブッダが故郷カピラヴァストゥ城に帰り、ナンダ(難陀)、ラーフラ(羅睺羅)がまず仏弟子となると、釈迦族の青年が次々と出家することになりました。アニルッダも兄のマハーナーマと相談して出家することになったといいます。あるいは、母親が兄弟共に出家させるのは忍びないので「バドリカ(跋提梨迦王...
人物

マハーカッチャーナ(摩訶迦旃延)

マハーカッチャーナ(mahaakaccaana、महाकच्चान)、迦旃延(かせんねん)、摩訶迦旃延 (まかかせんねん)ブッダの十大弟子の一人で「論議第一」といわれています。カッチャーナ(迦旃延)の名は、婆羅門種の十姓の一つで、姓を以って名としているため、尊称してマハー(摩訶)カッチャーナ(迦旃延)といいます。マハーカッチャーナの出身などにはいくつかの説があり、はっきりしないところがあります。南インドの婆羅門出身で、たいへん聡明な少年であり、また、その兄も博学でした。兄がバラモン教の根本聖典である『ヴェーダ』を講義するのを聞き、マハーカッチャーナ少年は、その講義を一度聞いただけ内容まで理解で...
人物

プールナマイトラーヤニープトラ(富楼那)

プールナマイトラーヤニープトラ(puurNamaitraayaniiputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)、富楼那弥多羅尼弗多羅(ふるなみたらにぷとら)、富楼那弥多羅尼子 (ふるなみたらにし)、富楼那(ふるな)ブッダの十大弟子の一人で「説法第一」といわれています。大勢いたブッダの弟子の中でも、弁舌に優れていたとされます。プールナマイトラーヤニープトラ(富楼那弥多羅尼弗多羅)のマイトラーヤニー(弥多羅尼)とは母の名で、プトラ(弗多羅)は子を意味します。同じく、富楼那弥多羅尼子とも書かれます。カピラヴァストゥ城近郊のドーナバストゥ(またはスナーパランタ)という、バラモン種族に生まれま...
人物

スブーティ(須菩提)

スブーティ(Subhuuti、सुभूति)、須菩提(しゅぼだい)ブッダの十大弟子の一人で「解空第一」といわれています。コーサラ国のシュラバスティー(舎衛城)の長者、スダッタ(須達多長者)の弟であるシュマナ(須摩那、鳩留と漢訳)の子でバラモンの家系、または商人といわれています。スブーティは、叔父のスダッタ長者による祇園精舎が完成して寄進した記念の日に、釈迦の説法を聞き深く感銘して出家し、ブッダの弟子となりました。スブーティは解空(げくう)第一と称されましたが、解空 とは、般若心経に出てくる「色即是空空即是色」の「空」、つまり、「物事に捕らわれない、執着しない」というブッダの教えに精通し、金剛般...
人物

マハーカッサパ(摩訶迦葉)

マハーカッサパ(Mahaakassapa、महाकस्सप)、摩訶迦葉 (まかかしょう)、大迦葉(だいかしょう)、迦葉(かしょう)ブッダの十大弟子の一人で「頭陀第一」といわれています。マガダ国の王舎城付近のマハーハーダラ(摩訶波羅陀)村のバラモンであるニグローダ・ゴーパ(尼拘律陀羯波)の子で、ピッパラ(菩提樹)の下で生まれたことから、幼名をピッパリといわれました。裕福なバラモンの家系の出身であると伝えられます。カッサパ(迦葉)という姓は、古代インドで一般的な名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も登場しますが、このマハーカッサパ(摩訶迦葉)とは別人です。禅宗の...
人物

モッガラーナ(目犍連、目連)

モッガラーナ(moggallaana、मोग्गळान)、目犍連(もっけんれん)、目連(もくれん)、摩訶目犍連(まかもっけんれん)ブッダの十大弟子の一人で「神通第一」といわれています。マガダ国のラージャグリハ(王舎城)北、コーリカ(拘利迦)村のバラモンの裕福な家系に生まれ、幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。容姿端麗で一切の学問に精通していたといわれます。幼い頃から隣村ナーラダのサーリプッタとは仲が良く、ある日、人々が祭りに興じて遊び戯れている姿を見て、無常を感じて出家を共に決意し合ったといわれます。モッガラーナとサーリプッタはマガダ国のラージャグリハの懐疑論者サンジャ...
人物

サーリプッタ(舎利子、舎利弗)

サーリプッタ(saariputta、सारिपुत्त)、シャーリプトラ、舎利子(しゃりし)、舎利弗(しゃりほつ)ブッダの十大弟子の一人で「智恵第一」といわれています。マガダ国のラージャグリハ(王舎城)北、ナーラダ(那羅陀、現在ナーランダ)村出身で裕福なバラモンの家に生まれました。幼名はウパティッサ(優波帝沙)と名付けられました。幼い頃から隣村コーリカのモッガラーナとは仲が良く、ある日、人々が祭りに興じて遊び戯れている姿を見て、無常を感じて出家を共に決意し合ったといわれます。サーリプッタとモッガラーナはマガダ国のラージャグリハの懐疑論者サンジャヤというバラモンに弟子入りしましたが満足せず、「も...
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第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...
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沙羅双樹(さらそうじゅ)

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し  猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ平家物語はこのような一節から始まるので、沙羅双樹という名前を知っている人が老若男女問わずいるようです。この沙羅双樹は、歴史上のブッダが入滅された場所に対で生えていたサーラの木のことです。インド原産の熱帯樹(フタバガキ科常緑樹)ですから日本では育ちません。日本で沙羅双樹と言われているものは白い花が夏の前頃に咲く夏椿(ツバキ科落葉樹)のことです。掲載画像はブッダ入滅の地、インド・クシナガラの涅槃堂前に植えている沙羅双樹です。伝...
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お釈迦様がクシナガラで入滅

紀元前485年2月15日(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラで入滅しました。(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて以降の出来事を記述しています。)<< 戻る
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四大聖地(よんだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に問いました。「ブッダが亡くなったのちには、もう、ブッダにお会いすることはできないのでしょうか?」その問いにブッダが答えたのが四大聖地です。■ルンビニ(ブッダが生まれた地)藍毘尼■ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)仏陀伽邪■サールナート(ブッダが教えを説き始めた地)鹿野苑■クシナガラ(ブッダが亡くなった地)拘尸那掲羅これらの四つの場所が、信仰心ある者が実際に訪れて見て感動する場所であると、ブッダがアーナンダに伝えたのでした。(出典:『ブッダ最後の旅』【 第5章 】18、病い重し 8偈)<< 戻る