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経蔵(きょうぞう)- 仏教建築

経蔵とは、仏教寺院において経典や仏教に関する書物を収蔵する主要な建物です。経堂・経庫などともいわれます。また、経蔵の中央に輪蔵(りんぞう)が設置されている場合、中心軸に沿って回転させることが可能な書架が設けられています。そこには大蔵経などが収納されており、これを回転させることによって、納められた経文を全てを読んたのと同じ功徳を得るという信仰があります。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(経蔵内部・總持寺祖院)<< 戻る
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緊那羅(きんなら)

緊那羅とは、インド神話に登場する特に歌が美しいと言われる音楽の神々です。仏教では護法善神の一尊で、帝釈天の眷属とされ、八部衆の一つでもあります。半身半獣の姿とされるため、人非人ともいい、緊那羅王、緊那羅神、疑神、歌神、楽神、緊捺羅(きんなら)、甄陀羅(けんだら)、真陀羅(しんだら)ともいわれます。その像は、人頭鳥身、あるいは馬首人身などがあり、両手で鼓(つづみ)を打つ姿、笛を吹く姿、琵琶を持って歌舞する姿などにつくられます。<< 戻る
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吉祥天女(きちじょうてんにょ)

吉祥天女とは、毘沙門天(びしゃもんてん)の妻で、福徳をつかさどる女神です。古代インド神話から仏教に取り入れられた女神で、造形は唐(中国)の貴婦人の形をとられることが多いようです。絵画では薬師寺の吉祥天女画像、彫刻では浄瑠璃寺の吉祥天立像が有名です。吉祥天(きっしょうてん・きちじょうてん)、功徳天、宝蔵天女ともいいます。ヒンドゥーの女神ラクシュミーが仏教に取り入れられたもので、ヒンドゥーではヴィシュヌ神の妻で、また愛神カーマの母とされています。仏教では、父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神(きしぼじん)、妹に黒闇天(こくあんてん)がいます。(吉祥天女 写真提供:薬師寺)<< 戻る
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岸部四郎(きしべしろう)

タレント、俳優、司会者、元実業家。岸部シロー名義も1994年まで使っており、2000年代中期頃より再び使うようになっている。元ザ・タイガースのメンバー。アン・ヌフ所属。 京都府京都市出身。父は元憲兵。兄は同じくタイガースのメンバーであった岸部一徳。生誕 1949年〈昭和24年〉6月7日命日 2020年〈令和2年〉8月28日<< 戻る
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宜保愛子(ぎぼあいこ)

女性作家。ビートたけしやカール・ルイスの霊視で話題になった霊能者で、テレビ番組に出演していたほか、多くの著書も残している。生誕 1932年1月5日命日 2003年5月6日<< 戻る
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衣笠祥雄(きぬがささちお)

プロ野球選手。引退後は野球解説者・野球評論家・タレント。所属事務所はキャスト・プラス。広島東洋カープオーナー付スタッフ。京都府京都市東山区馬町出身。旧名は衣笠 幸雄。愛称は「鉄人」。国民栄誉賞受賞者。生誕 1947年1月18日命日 2018年4月23日<< 戻る
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京唄子(きょううたこ)

女優・漫才師である。本名:鵜島ウタ子。京都府京都市上京区西陣出身。さち子プロに所属していた。主な作品として、テレビドラマ『てなもんや三度笠』『ひとりじゃないの』、バラエティー番組『お笑いスター誕生!!』など。生誕 1927年(昭和2年)7月12日命日 2017年(平成29年)4月6日戒名 闘覚院機魂寛道居士(とうがくいんきこんかんどうこじ)<< 戻る
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北の湖敏満(きたのうみとしみつ)

北海道有珠郡壮瞥町出身の元大相撲力士。第55代横綱。元日本相撲協会理事長。生誕 1953年(昭和28年)5月16日命日 2015年(平成27年)11月20日弘照院殿北偉徳実法湖大居士<< 戻る
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北杜夫(きたもりお)

小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。代表作『どくとるマンボウ航海記』(1960年、随筆)『夜と霧の隅で』(1960年)『楡家の人びと』(1964年)『輝ける碧き空の下で』(1982年 - 1986年)生誕 1927年5月1日命日 2011年10月24日<< 戻る
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喜味こいし(きみこいし)

漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ夢路いとし・喜味こいし(いとし・こいし)」のツッコミとして活躍した。ネタの一つである「お笑い鍋料理」にはいくつかのバリエーションがあるが、鍋の具についてこいしが説明するところで、いとしがボケるくだりがある。「生きてるうちがニワトリ、死んだら戒名がかしわ」「生きてるあいだは、いのしし。死んだら戒名が、ぼたん」「生きている間は牛、死んだら戒名が牛肉」生誕 1927年11月5日命日 2011年1月23日<< 戻る
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木村拓也(きむらたくや)

宮崎県宮崎郡田野町(現:宮崎市)出身のプロ野球選手(内野手・外野手・捕手、右投両打)、コーチ。 愛称は「キムタク」。生誕 1972年4月15日命日 2010年4月7日<< 戻る
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北森鴻(きたもりこう)

推理作家。小学館の編集プロダクションを経て、作家デビュー。骨董や民俗学などの分野を得意とする。生誕 1961年11月15日命日 2010年1月25日<< 戻る
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キヨノサチコ

絵本作家。『ノンタンぶらんこのせて』でデビュー。『ノンタン』シリーズは40巻2800万部が発行され、代表作となった。生誕 1947年〈昭和22年〉命日 2008年〈平成20年〉6月19日<< 戻る
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御饌草料(ぎょせんそうりょう)

御饌草料とは、朝廷の天皇陛下に差し上げる品物のことです。・「之を敬重すること御饌草料の如くせよ。生物熟物、倶にこの意を存せよ。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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北原謙二(きたはらけんじ)

歌手、俳優。「日暮れの小径」で歌手デビュー。その後「若いふたり」、「若い明日」、「ふるさとのはなしをしよう」などをヒットさせて活躍。生誕 1939年(昭和14年)10月8日命日 2005年(平成17年)1月26日<< 戻る
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勤旧(きんきゅう)

勤旧とは、禅宗寺院で知事、侍者、蔵主などの役職を務めたことがある僧侶のことをいいます。・「山僧在宋の時、暇日前資勤旧等に咨問するに、彼等聊か見聞を挙して、以て山僧が為めに説く。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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清元志寿太夫(きよもとしずたゆう)

大正から平成にかけて活躍した清元節太夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化功労者、日本芸術院会員。生誕 1898年(明治31年)4月25日命日 1999年(平成11年)1月2日<< 戻る
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君島一郎(きみじまいちろう)

服飾デザイナー。埼玉県本庄市出身。 「日本を代表するファッションデザイナー」などと高く評価する声も多かった。生誕 1929年2月27日命日 1996年7月14日<< 戻る
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菊島隆三(きくしまりゅうぞう)

脚本家。山梨県甲府市出身。日本ペンクラブ、日本シナリオ作家協会、日本演劇協会、日本文芸家協会所属。『野良犬』でデビューする。黒澤明と多くコンビを組み、橋本忍、小国英雄らと共に黒澤作品の脚本を執筆した。生誕 1914年1月28日命日 1989年3月18日創生院文雄日隆居士<< 戻る
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北村西望(きたむらせいぼう)

長崎県出身の日本の彫刻家。本名は北村西望(きたむら にしも)。代表作に長崎平和公園設置の巨大像「長崎平和祈念像」、国会議事堂内設置の「板垣退助翁」などがある。生誕 1884年(明治17年)12月16日命日 1987年(昭和62年)3月4日蓬壽院穆山西望大居士<< 戻る
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杵屋榮左衛門(きねやえいざえもん)

大正期から昭和期にかけて活躍した歌舞伎長唄の三味線方。歌舞伎公演の附師。重要無形文化財保持者(人間国宝)。7代芳村伊三郎(よしむらいさぶろう)、3代杵屋栄蔵に師事し、山田耕筰から和声学、作曲学をまなぶ。新字体表記では栄左衛門。生誕 1894年(明治27年)2月22日命日 1982年(昭和57年)1月12日<< 戻る
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祇園精舎の鐘(ぎおんしょうじゃのかね)

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し  猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ平家物語はこのような一節から始まるので、祇園精舎にはどんな鐘があるのだろうかと思う人が多いそうです。しかし、ブッダが生きていた時代にはどうだったかは分かりませんが、遺跡が発掘されて以降、祇園精舎に鐘はありませんでした。インドに旅行に行く人が増え、祇園精舎を訪ねる人も増えてくると、この問題にぶつかります。そうです。ネットもスマホもない時代、「地球の歩き方」はあったのか無かったのかという昭和、祇園精舎を訪れる人は次々にこう尋ね...
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金田一京助(きんだいちきょうすけ)

言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。生誕 1882年〈明治15年〉5月5日命日 1971年〈昭和46年〉11月14日寿徳院殿徹言花明大居士<< 戻る
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喜多六平太(14世)(きたろっぺいた)

十四世喜多六平太は、喜多流シテ方能楽師で、喜多流十四世宗家。能の文化的向上に多大な影響を与え、文化勲章・人間国宝(正式には無形文化財保持者)。生誕 1874年(明治7年)7月7日命日 1971年(昭和46年)1月11日<< 戻る
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清水寺は北法相宗に

1965年、京都の清水寺は北法相宗として法相宗から独立し、法相宗は興福寺、薬師寺の2本山が統括するにいたった。<< 戻る
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北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る
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菊池寛(きくちかん)

小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池寛(きくち ひろし)。また「文藝春秋」を創刊し雑誌発行人としても活躍した。生誕 1888年(明治21年)12月26日命日 1948年(昭和23年)3月6日<< 戻る
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北原白秋(きたはらはくしゅう)

詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。生誕 1885年(明治18年)1月25日命日 1942年(昭和17年)11月2日<< 戻る
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北一輝(きたいっき)

戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。生誕 1883年〈明治16年〉4月3日命日 1937年〈昭和12年〉8月19日経国院大光一輝居士<< 戻る
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清沢満之ら「教界時言社」設立

1896(明治二九)年10月、清沢満之ら「教界時言社」設立し、本山改革をとなえる。『教界時言』発刊(明治31年3月終刊)。この改革は、事務所のあった地名にちなんで「白川党宗門改革運動」と言われた。<< 戻る
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木戸孝允(きどたかよし)

武士、革命家。和田小五郎、桂小五郎。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人。名の孝允は「こういん」と読まれることもある。父は萩藩の藩医。吉田松陰に師事。のち江戸で剣術、西洋兵学を学ぶ。公武合体派に反対し、尊皇攘夷運動に奔走。藩の重職に就き、藩論を討幕へと導く。慶応2年(1866)鹿児島藩との間に薩長連合を締結。王政復古のクーデター後、五箇条の誓文草案を起草。参与に任ぜられ、版籍奉還の実現に尽力した。明治3年(1870)6月参議。4年岩倉遣外使節団に副使として参加。以後文部卿、内務卿、地方官会議議長、内閣顧問等を歴任。立憲制の漸進的樹立を唱えた。生誕 天保4年6月26日(1833年8月1...
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学侶、行人、聖の三派が廃止

明治元年(1868年)、学侶、行人、聖の三派が廃止される。<< 戻る