便り 西往寺-佐賀県神埼郡 ・西往寺 浄土宗 佐賀県神埼郡吉野ケ里町大曲1539浄蓮社純誉恵秀上人(天文七年 1538年没)の創建で、開基は1520年頃と思われます。当時は戦乱が続き、開山恵秀上人が死没後衰退の一途であったが、天正十四年(1586年)大木知光がこの地を領することになり、大木家菩提寺となって息を吹き返しました。その後、大木庄右衛門朝貞を大檀那とし、大庄屋小宮善右衛門の肝入りで大蓮社鏡誉上人を中興開山上人として再興されました。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 玄忠寺-鳥取県鳥取市 ・玄忠寺 浄土宗 鳥取県鳥取市新品治町176永正5(1508)年に、鳥取城下、湯所町高浜地(現在の鳥取北中学校付近)に草庵を築いたのではないかと伝えられています。その後城郭整備により矢野地(材木町)へ、さらに城郭整備により中の島(現在の玄好町公園)へと移転しました。玄好町という町名は玄忠寺の寺号がもとになっています(『因幡誌』)。またこの頃に浄土宗寺院としての体裁が整ってきたものと考えられます。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 宝台院-静岡県静岡市葵区 ・宝台院 浄土宗 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2永正4年(1507)、大本山鎌倉光明寺九世観誉祐崇上人により開創されました。上人は常紫衣沙門の始まりの人で、浄土宗のお十夜法要をはじめて行なった方です。(リンク先より) << 戻る 1507.01.01 便り年表
人物 村田珠光(むらたじゅこう) 室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者とされる人物。なお僧侶であり本来ならば苗字は持たないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。 近年では「しゅこう」と濁らないとする説もある。奈良に出生し、11歳の時、奈良の浄土宗・称名寺に入り出家。僧名である「珠光」の名は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』の語句「一々の珠、一々の光」からとられた。20歳以前に称名寺を出る。その後の経歴は不明。応仁の乱の頃には、奈良に帰るが、称名寺には戻らずに、東大寺の近くの北川端町で、庵を営む。当時の北川端町は、民家もない田園だった(『奈良坊目拙解』より)。生誕 応永29年(1422年)または30年(1423... 1502.05.15 人物
便り 蓮光寺-京都府京都市下京区 ・蓮光寺 浄土宗 京都府京都市下京区富小路通六条上る本塩竃町534明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。(リンク先より) また、境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に当山の住職、蓮光上人と親交があったといいま... 1492.01.01 便り年表
便り 大樹寺-愛知県岡崎市 ・大樹寺 浄土宗 愛知県岡崎市鴫田町広元5-1成道山松安院大樹寺は、安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠が真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)2月22日創建した浄土宗の寺院である。(リンク先より) << 戻る 1475.02.22 便り年表
便り 増上寺-東京都港区 ・大本山増上寺 浄土宗 東京都港区芝公園4-7-35酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。(リンク先より) << 戻る 1470.01.01 便り年表
便り 如来寺-栃木県日光市 ・如来寺 浄土宗 栃木県日光市今市710文明年間(1469~87年)に常福寺(茨城県那珂市瓜連)の第5世・昇蓮社超譽聖欽上人の高弟であった金蓮社暁譽最勝大和尚によって開かれました。(暁譽上人の経歴は明らかではありません。永正13年(1516年)4月16日寂し、お墓は当寺の歴代上人の墓地にあります)(リンク先より) << 戻る 1469.01.01 便り年表
便り 西生寺-福岡県北九州市門司区 ・西生寺 西山浄土宗 福岡県北九州市門司区大里本町1-8-8西生寺は、康正2年(1456)に創建された浄土宗西山派の流れを汲む寺院です。当寺開山である、等阿弥陀慧門大和尚は、山城国(現在の京都)の生まれで、姓を藤原と云いました。また、幼少の頃より鎌倉時代の仏師運慶作で奥州毛越寺本尊と同木同作の阿弥陀如来像を深く信仰していました。その仏像を本尊として、当山西生寺を開基したといわれています。(リンク先より) << 戻る 1456.01.01 便り年表
便り 願行寺-愛知県刈谷市 ・願行寺 浄土宗 愛知県刈谷市半城土町乙本郷81宝徳年間(今から560年ほど前)に創建され、以来三河の地で脈々と法灯を受け継いでおります。お近くにお越しの際は、どうぞお気軽にお立ち寄りください。(リンク先より)※宝徳年間 1449年から1452年 << 戻る 1449.01.01 便り年表
便り 慶運寺-神奈川県横浜市神奈川区 ・吉祥山 茅草院 慶運寺 浄土宗 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2当慶運寺は、室町時代。文安四(一四四七)年に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創されました。本尊は、「阿弥陀如来」で、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体を安置しています。(リンク先より) << 戻る 1447.01.01 便り年表
便り 長圓寺-福岡県北九州市小倉北区 ・長圓寺 浄土宗 福岡県北九州市小倉北区鋳物師町4-8当寺院は華岳山西蓮院長圓寺と称し、室町時代中期にあたる嘉吉元年(1441年)10月25日、寂誉霊海上人によって開かれました。もとは小倉城内に在りましたが、慶長年間に細川忠興公の命により現在の地に移り今に至ります。(リンク先より) << 戻る 1441.10.25 便り年表
便り 香仙寺-茨城県常陸太田市 ・香仙寺 浄土宗 茨城県常陸太田市松栄町615香仙寺は、茨城県常陸太田市にあり、永享4年(1432)に開創された浄土宗の寺院です。茨城県指定文化財の直牒洞があり、県指定天然記念物のシイの木が、静かな境内にそびえたっています。(リンク先より) << 戻る 1432.01.01 便り年表
便り 近龍寺-栃木県栃木市 ・近龍寺 浄土宗 栃木県栃木市万町22-4当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。(リンク先より) << 戻る 1421.01.01 便り年表
便り 弘経寺-茨城県常総市 ・弘経寺 浄土宗 茨城県常総市豊岡町甲1弘経寺は、正式名称を『寿亀山天樹院弘経寺』と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建されました。室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄え、多くの学僧を世に送った有力寺院でありました。(リンク先より) << 戻る 1414.01.01 便り年表
便り 専称寺-福島県いわき市 ・専称寺 浄土宗 福島県いわき市平山崎字梅福山5梅福山・報恩院 専称寺。本尊は阿弥陀如来像。およそ600年前の応永2年(1395年)の開山。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 心光院-東京都港区 心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る 1393.01.01 便り年表
便り 法蔵寺-栃木県日光市 ・法蔵寺 浄土宗 栃木県日光市大桑町270法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といいます。宗旨は浄土宗です。開創は、康応元年(1389年)10月です。日本国を二分した南北朝の戦いの折、南朝方に味方して敗れた「新田義貞公」の孫(義宗の子)良徳という方が、一族の菩提を弔うために仏門に帰依し僧侶となり、はるかに下向して下野国倉ヶ崎村(現在の日光市倉ヶ崎)に寺院「心光院」を建立したのが始まりと伝えられます。(リンク先より) << 戻る 1389.10.01 便り年表
便り 相頓寺-埼玉県上尾市 ・快楽山安養院相頓寺 浄土宗 埼玉県上尾市五番町14-2当山は、正式には快楽山安養院相頓寺(けらくさんあんよういんそうとんじ)といいます。永徳二年(1382)に円蓮社聖満良順(えんれんじゃしょうまんりょうじゅん)上人によって開山されました。上人は、現在の大本山である鎌倉光明寺の第四代を勤めた後にこの原市の地に当寺を開山したとされています。(リンク先より) << 戻る 1382.01.01 便り年表
便り 西福寺-福井県敦賀市 ・西福寺 浄土宗 福井県敦賀市原13-7開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遥か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこの地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、突如、一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。そこで開山良如上人は ”仏法有縁の地である” としてこの奇瑞の山腹に一宇建立を発願せられました。後この岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神としえ御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(北朝応安元年、1368年)3月であります。直ちに朝廷... 1368.01.01 便り年表
便り 蓮香寺-長野県長野市 ・蓮香寺 浄土宗 長野県長野市川中島町原101貞治6年1367 開祖称蓮社名誉月秀善室上人により創建される応永22年1415 第二世聖蓮社教誉慶学上人遷化(リンク先より) << 戻る 1367.01.01 便り年表
便り 迎乗寺-奈良県天理市 ・迎乗寺 浄土宗 奈良県天理市丹波市町40正しくは、白雲山紫光院迎乗寺と申し、今より約250年から260年前(江戸時代中期)に一度焼失してしまったので、それ以前については明確ではないが、今より凡そ600年程前、室町時代 の貞和年間から康安年間(西暦1350年頃から1360年頃)に建立されたようだが、その頃は小さな庵(イオリ)のようなものではなかったかと想像される。(リンク先より) << 戻る 1350.01.01 便り年表
便り 常福寺-茨城県那珂市 ・常福寺 浄土宗 茨城県那珂市瓜連1222南北朝時代の延元年中(1336~1339)に了実上人によって開山。その後第二世了誉上人の嘉慶2年(1388)の僧坊が焼失したため瓜連城址に移転し、応永12年(1405)に再建された。その背景には佐竹氏の援助があった。(リンク先より) << 戻る 1336.01.01 便り年表
便り 洞泉寺-愛知県豊田市 ・霞渓山 洞泉寺 浄土宗 愛知県豊田市小坂町3-10霞渓山紫雲院洞泉寺と号し、浄土宗総本山知恩院の直末にして、末寺十四ヶ寺を有す。古伝に依れば、正和2年(1313) 霞渓(市内保見町)の地に法相宗の寺院として発足、後に天台宗に改宗。建武の兵乱により一時衰微するも、正長永亨年間に復興。(リンク先より) << 戻る 1313.01.01 便り年表
便り 法泉寺-福岡県朝倉市 ・法泉寺 浄土宗 福岡県朝倉市甘木90法泉寺由緒によると、法相宗として、第92代伏見天皇、北条貞時の永仁四年(1296年)菩提寺字西谷に創建されたとあるが、その詳細は定かではない。また、一説によれば、後土御門天皇延徳元年(1489年)当時開山、安蓮社登誉上人檀信徒の帰嚮に依り、創立すと伝う。但し、延徳元年は開山往生の年にして、開基は今少し古いものと思われる。(リンク先より) << 戻る 1296.01.01 便り年表
便り 龍蔵寺-埼玉県加須市 ・無着山 龍光院 龍蔵寺 浄土宗 埼玉県加須市大門町18-51龍蔵寺に残されているもので、最も古いものはご本尊の阿弥陀如来像である。この阿弥陀如来像は、1293年(永仁元年)に開眼されたとされている。鎌倉時代は宗教的天才が活躍した時代で、龍蔵寺もその1人である法然上人につながる。(リンク先より) << 戻る 1293.01.01 便り年表
便り 報国寺-茨城県常総市 ・報国寺 浄土宗 茨城県常総市水海道亀岡町2637報国寺は、茨城県常総市にある浄土宗のお寺です。その昔、元は真言宗の寺院でしたが、弘安4年下総地方を教化されていた良忠上人が、この地に訪れ、多くの帰依者を得たことによって、浄土宗に改宗されました。(リンク先より)※弘安4年 1281年 << 戻る 1281.01.01 便り年表
便り 願成寺-福島県喜多方市 ・願成寺 浄土宗 福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833叶山 三寳院 願成寺と申します。嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 御開山、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。(リンク先より) << 戻る 1227.01.01 便り年表
便り 浄運寺-長野県須坂市 ・浄運寺 浄土宗 長野県須坂市井上2618浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院です。(リンク先より) << 戻る 1214.01.01 便り年表
便り 大願寺-福岡県遠賀郡 ・大願寺 浄土宗 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿13-2法然上人(1133-1212)がお亡くなりになった2年後の建保2年(1214)に、法然上人の遺志を継がれた、聖光上人(しょうこう、浄土宗二祖)によって創建されました。当時は、領主であった麻生氏の菩提寺でもありました。(リンク先より) << 戻る 1214.01.01 便り年表
便り 信行寺-広島県尾道市 ・信行寺 facebook 浄土宗 広島県尾道市東土堂町11-36信行寺は正式には得生山(とくしょうざん)(山号) 信行寺(寺号)といい、南無阿弥陀仏を一心に唱える 専修念仏の教えを広められた法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院である。歴史は古く鎌倉時代の建保2年(1214)に浄土宗第二祖の聖光上人が開創された寺である。もとは、聖光上人が京都と鎮西を往来の折り、向島の三ツ石に一草庵を結んで住まわれたのが始まりである。その後、慶長年中(1596-1614)に称住がこの草庵で四十八昼夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来のご来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、結集の中の一人は現世に残ってこ... 1214.01.01 便り年表
便り 知恩院-京都府京都市東山区 ・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う(リンク先より)<< 戻る 1211.01.01 便り年表