自動化を目指す時代に生きて②

中島法雄

前回、私たちが生きているのは無意識に自動的に働いてくれる身体があるからという話をしました。ところで、私は一般家庭からお寺の世界に入ったのですが、お寺の仕事と言えば何を思い浮かべますか?

お葬式や法要でお経を唱えて、坐禅をして、鐘を叩いて、一般的なイメージはそんなところでしょうか。師匠とは50歳離れていて、その奥さんが亡くなってから住み込みで働いたので、その他に炊事洗濯掃除などの家事、畑仕事、電話対応、パソコン管理、事務全般、思いつくだけでこれだけですね。実質24時間勤務です。

禅寺だったので、精進料理というイメージを持つ人もいると思いますが、自給自足の精神も受け継がれていて、畑仕事をするお寺もあります。ナス、トマト、きゅうり、ししとう、おくら、大葉、大根、今、思い出せただけでこれくらい作っていました。

畑をクワで耕して、石灰をまいて、肥料を入れて、畝をつくって、ここまでの力仕事は大体私がして、野菜の苗を選んで買ってきて、植えるのは師匠の仕事でした。その後の剪定などはノータッチだったので、師匠がお世話を楽しんでいたのだと思います。水やりは手分けしていました。

幼少の時には母が庭の一画でナスを育てていたし、お寺を出てからも定期的に畑の空き区画で野菜を育ててみたり、プランターで挑戦してみたり、水耕栽培をしてみたり、形式にとらわれない感じで野菜を育てることに親しんできました。

ここまでの話で行くと、畑仕事は自動化とは縁がないような、人の手が掛かっていることが分かると思います。しかし、畑仕事にも自動化の波は確実に来ています。水やりや、収穫といった部分での自動化が進んでいます。また、人手を少なくできるロボティクスも進んでいます。

ただ、個人で畑仕事をする範囲での一つの気づきとして、育つ環境を整えれば野菜は育つということです。畑でも、プランターでも、水耕栽培でも、環境さえ整えば自動的に野菜は育っていく。その間の手入れも環境を整えるという感覚で行いました。

水耕栽培をする際には、出来る限り種から育てていましたが、種の説明書には発芽適温というものが書いています。種にも個体差があるのでその通りに発芽しないことも多いのですが、温度や湿度、光の有無といった条件がそろわないと発芽しません。適温にならないと育たないという情報を小さな種は持っているんです。

そこから、上手く育たないというのは、環境が整っていないからだと分かります。自然が相手なのでどうしようもないことも多くあります。人が水を供給しなければ育たない場所であれば、人の調子が悪くてお世話が出来なければ、野菜も調子が悪くなります。

暑い日が続くと水の減りも早く、お世話をする体力も限られる、虫などの襲来もあるという具合で、人の代わりに機械がやってくれればなとは感じます。しかし、機械にも耐熱が必要ですね。

実は野菜もメッセージを送ってきます。水が少なくてしおれる、匂いを出す。水が多かったり、日光が少なくて徒長する、栄養が多すぎたり少なすぎで葉の色が変わる、葉の大きさが変わる。そういった時に、正しく判断してお世話が必要です。

お世話するという場合、そこには人が仲介しています。こういった場合にはこうする。ああいった場合にはああする。そのように自動的に対応することが出来る人というのはなかなか高機能です。

農作物は環境さえ整えれば育つとして、人が助けて欲しいところに機械的自動化を組み込むことは出来そうです。近未来の農業はどうなっていくのか楽しみです。

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